レヴュースタァライトの解釈【基本設定について】


(6/26Instagram投稿)

 私の中の仮説。レヴュースタァライトの話は全て、聖翔99期生が演じる”舞台”(演劇)なのではないか。だからキリンだの地下劇場だの時間遡行だの、現実では有り得ない”舞台装置”が何の解説も無く出てくる。
 その仮説が正しい可能性が増した。舞台少女愛城華恋は、聖翔99期生愛城華恋が演じる役回り。

(追記)

 とりわけ、アニメ版は明らかに”演劇”である。登場人物は全員、聖翔99期生俳優育成科の生徒である。
 先生も俳優育成科生徒の演技である。そもそもあの先生、演技指導から一般科目から寮の生活指導から、全部一人でやっている。本来ならあり得ないことである。が、教師役をそう何人も立てられないので、全部一人でやっている。そう考えれば筋が通るし、むしろ自然である。

 その点、舞台版は完全な演劇では無い、”練習風景”なのかもしれない。
 教師は演技指導にのみ徹し、展開されるシナリオには生活臭が一切無い。故にこれは、”少女歌劇レヴュースタァライト”という演劇の練習光景である。とも解釈できる。
 練習光景であるとすれば、愛城華恋の乱入はやはり本来の筋書きには無いイレギュラーな行動だった、そういう可能性も出てくる。

 スタリラについてはよくわからない部分が多い。が、

・聖翔の指導役が全くの不在
・削劇やえるのーとといった超現実的設定が幾つか存在する

 事から、やはり”演劇”(演技)である、と考えた方が良いだろう。
 但しアニメのシナリオとは違い、演じているのは聖翔のメンバーだけでは無い。晶やあるるーも実は聖翔の生徒、と言うのはさすがに無理があるだろう。シークフェルトも凛明館もフロンティアも、青嵐同様全て実在する。ということを示したのが、「Starry Diamond」公演ではないだろうか。

 スタリラの内容が演技であるとすれば、スタリラで急にへっぽこになったひかりちゃんもあれも演技である、という可能性もある。


 他校と聖翔の関係性、特に「シークフェルトから逃げ出したお姉ちゃん」についてはまた思うところがあるので、後日また記述したいと思う。

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