真智代アフター

「あそんであそんで」
 平日の午後。何もすることがない。ともがまとわりついてくる。ウザい。
「あそんであそんで」
 いつもなら河南子と寝ているころだ。だがあいつは今ここにいない。この間俺と寝ているところを
鷹文に見つかって以来、俺を拒絶するようになった。それでも殴っていう事を聞かせていたのだが、
先週ぐらいから俺が寝ている間に部屋を抜け出してそのまま夜まで帰ってこないようになった。智代
がいれば手を出さないということがわかっているのだ。
「あそんであそんで」
 ともがまだまとわりついてくる。そういえばコイツも鷹文の関係者だったな。そう考えると
腹立たしい。だがアイツには借金がある上にパソコン壊した負い目があるから何も言えない。
「くそっ」
 俺は苛立ちを振り払うように、ともの上にのしかかった。突然のことにともは逃げられずに
俺の下でもがいている。
「重い、重い」

 ともが暴れ、体がこすれる。俺の中に興奮が芽生え、下がわずかに勃起した。おいおいこんなガキ
にか?と一瞬思ったが、しかしガキだって女だ。前に杏に連れて行かれたイベントにはそういう趣味
の男がいっぱいいたじゃないか。――それに、遊んでくれと言って来たのはコイツじゃないか。
 俺は身を起こし、ともに話しかけた。
「お前、この部屋の家賃払ってないよな?」
「…うん」
「そういうの、よくないよな?」
「…うん」
「だから、今から俺と遊べ。それで今までの分は無しにしてやる。遊んでもらえて家賃がただになる
んだ、いい話だろう?」
「…うん」
 ともが頷くと同時に俺はともの服を脱がせ始めた。小さな服も体も、脱がせるのにはさほど手間は
かからない。ともは何をされているのかわからないといった様子で不安げにこちらをみている。
俺はそんなともには何も言わず、ともの下着の中に手を滑り込ませ無毛の丘を揉んだ。ともが顔をし
かめる。何かを感じてはいるようだが快感ではないようだ。
「まだ子供だから仕方がないな」

 前戯はあまり意味が無いと考え、俺はともの下着をはぎ取った。股を開かせ、自分のものを取り出
し、あてがう。ともの方が濡れていないので入れづらい。それでも俺は、強引に押し込んだ。
「――痛いッ!痛い、痛い、痛い、痛い、うわああぁぁー!」
 ともが泣きながら大暴れする。俺はそんなともの顔に平手を一発食らわせた。
「大人しくしろっ!」
 それでもともは泣きやまない。俺は右手でともの口をふさぎ、全身でともの体を押さえ込んだ。
そして下の方はわずかづつ中におし進めていく。その度に、ともの足が大暴れし、激しい締め付けが
襲いかかってくる。先端が何かに当たり、俺はもうこれ以上は進まないと判断した。いったん中程ま
で抜き、そしてまた進める。ともの抵抗も次第に薄らいでいった。それでも中のきつさには変わりは
ない。10回ほどそれを繰り返したところで射精感がこみ上げてきた。
「うウッ」
 俺はそのまま中に出した。体を起こし、ともの口から手を離した。ともの口からは嗚咽が漏れてく
る。俺はともの体から自分のものを引き抜き、ティッシュで軽く拭いてそれをしまった。
「うっく…えぐ…ひく…」
 ともはまだ泣いている。股の間から血と精液が流れ出し、畳の上にまで垂れている。俺はそれを見
て、ともに言った。
「おい。いつまでも泣いてないで、早くそれ片付けろ。俺が智代に怒られるじゃねえか。」
 ともはぐずりながら起きあがり、ティッシュで床を拭き始めた。

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※智アフ発売前後に葉鍵板に投下したと思われる

岡崎朋也論 [CLANNAD-朋也]

岡崎朋也論 [CLANNAD-朋也]

 君は、岡崎朋也が好きか? 私は、微妙である。シナリオの行動そのままを字面通りに評価するのであれば、正直好きにはなれない。

 岡崎朋也という人物を一言で言い表すならば、「ヘタレ」である。「ヘタレという言葉の定義を知りたかったらCLANNADをやりなさい、その主人公がまさにそうだ」と言っていいくらいのヘタレである。
 CLANNAD学園編で朋也はしきりに親友の春原をヘタレ呼ばわりしているが、afterシナリオでは春原以上のヘタレっぷりを見せてくれる。ぶっちゃけた話、ヘタレ同士だからこの二人は気が合ったのだ、とも言えるだろう。
 そんな朋也が、私は気にくわない。

 では主人公がヘタレなのは嫌なのか、と言ったら、そういうわけではない。かつて、Kanonの主人公相沢祐一はヘタレだと主張し、ヘタレであって欲しいと願い、ヘタレであってくれなくては困るとまで言った、そんなイタい過去があるくらいなのだ。
 「ヘタレな主人公」そのものは、むしろ好きと言っても過言ではないだろう。

 では何故朋也だと気にくわないというのか。それは朋也が、度を超したヘタレだからである。
 私がヘタレな主人公が好きなのは、「ヘタレでもヘタレなりに一生懸命頑張っている」姿に好感を抱くからである。共感と言ってもいい。しかし残念ながら岡崎朋也という人物にはそれが感じられない、若しくは間違った努力をしている。そう思わざるを得ないのだ。

 その傾向が如実に表れるのが、after後半、汐編と呼ばれる部分での朋也の行動である。ざっとそのあらすじを書いてみると。

 朋也は渚と結婚し、渚はお腹に二人の娘、汐を宿した。だが元々体の弱かった渚は出産時に死亡。汐の養育を朋也に託す。だが朋也は悲しみに暮れるあまりその養育を放棄し、5年間汐と顔を合わせようとすらしなかった。渚の母親で朋也の代わりに汐を育てていた早苗は、そんな朋也の態度に業を煮やし、二人を朋也の故郷に旅行に行かせ、朋也の祖母に会わせることで問題の解決を図ろうとする。自分の父親が、自分同様早くに妻を亡くし、しかし16になるまで自分をしっかり育ててくれたことを知り、泣き崩れる朋也。朋也は汐を育て、これまで代わりに汐を育ててくれた早苗・秋生夫婦と一生家族でいることを誓う。
 だがそんな朋也の思いも、汐が発病することで再び狂いだしてしまう。汐が渚と同じ症状だと聞かされた朋也は、これからはずっと汐の側にいると心に決める。そして汐を看病するために、早苗の反対を振り切って仕事を辞めてしまう。経済的な余裕は無くなり、貯金も僅かになっていったが、しかし義父秋生からの経済援助は断ってしまう。冬になり、汐の症状は悪化していった。ある日朋也は、汐が一緒に旅行に行きたいと言っていたことを思いだし、汐を外に連れ出してしまう。雪が降り出し、汐は歩けなくなってしまう。そして朋也の腕の中で、汐は幻想を見ながら息絶えていく・・・。

 と、ここまで書く為にCLANNAD汐編を読み直していたのだが。ふと気づいたことがある。半強制的に見せられるものとはいえ、汐編はCLANNADの「バッドエンド」なのだ。そして、あとからプレイする際にこの汐編に入るためには、渚が死の淵を彷徨っている時に朋也が渚を「呼ばない」という選択肢を選ばなくてはならない。
 これが一体何を意味するのか。

 ここでCLANNADのテーマを思い返してみる。1に「街」であり、2に「家族」である。ここで言う街は無機質なコンクリートの固まりによる構造物の集合体のことではなく、そこに住む人達の共同体である、と解するべきであろう。つまり、街にしろ家族にしろ、「人と人との繋がり」というものが、CLANNADの究極テーマであると考えられる。
 さて。汐編での朋也の行動は、このテーマに沿っているだろうか。冒頭で渚を呼ばない。自身の娘を5年も養育放棄。汐発病後、勝手に辞職。秋生からの資金援助も拒絶。まさに、「アンチCLANNAD」とすら言える行動である。そしてこの汐編はバッドエンドなのだ。
 つまり結論を言えば。汐編の朋也は、反面教師なのである。「こんな行動を取ってはいけないよ」「こんな努力の仕方は間違ってるよ」という、作者(麻枝准)からのメッセージなのだ。

 そういう意味では岡崎朋也という人物は、主人公でありながらこんな損な役割をさせられている、大変不幸な人物と言えるかもしれない。こんなことで嫌ったりするのは、酷なことなのかもしれない。だがそれでも、私はこう思わずにはいられないのだ。
 「ああはなるまい」、と。
 
 
 2005-04-12 03:33