「智代アフター」発表に関して [智代アフター]

「智代アフター」発表に関して [智代アフター]

 どっちのblogで書こうか迷ったが、どちらかというと一般人向けの「blog出張所」の方で18禁ソフトのことをあまり書くのもなあ・・・と思い、こっちで書くことにした。

 とまあ言い訳は置いといて、「智代アフター」製作発表。いや、ほんとに出すんだ。てっきり麻枝准のホラだとばっかり思ってたのに。

 というか、発表文書を見て気づいたこと。

原画が樋上いたるじゃない
シナリオも、麻枝准以外に樫田レオという人が入っている
タイトルに「CLANNAD」が入っているわけではない
登場人物紹介に、苗字がない
「ストーリー」の内容がCLANNAD本編と矛盾している(CLANNAD本編では、朋也は智代が卒業するまでの一年間、完全に距離を置いていた)

 ということから。この「智代アフター」なるゲームは、「何となくCLANNADっぽいけど実はCLANNADとは関係ない18禁ゲーム」なのではないか。という推測が導かれる。

 正直、「おいおい」という気分である。
 確かに、完全一般指定として出してしまって、和歌山県に広告にまで採用されてしまった「CLANNAD」というブランドに、今更18禁というレッテルを貼られるわけにはいかない、という商業的判断はあるのかもしれない。しかしならば、なぜこんな紛らわしい形に・・・? とも思うわけで。

 思うに、智代アフターはこういう経緯で発表に至ったのでは無かろうか。

  1. 当初は本当に、麻枝准お得意のホラだった
  2. 発売直後から葉鍵板などで朋也批判が噴出、次第にエスカレート
  3. 当初の葉鍵板での朋也批判の根拠は、智代との関係についてというところに集中していた
  4. 朋也のイメージを軌道修正させ、沈静化を図る目的で、ネタのつもりだった「智代アフター」を出すことに
  5. 当初発言で18禁と言ってしまったため、18禁で出さざるを得なくなる
  6. 和歌山県からCLANNADを観光宣伝に使いたいという話が舞い込む
  7. 販売戦略やブランドの路線方針も含め、内部で大激論
  8. 妥協の結果、CLANNADっぽい別物という形で出すことに決定、原画も差し替え

 という、まああくまで荒野草途伸の想像なわけだが。

 ところで、友人iAcnと会話していてもう一点気になったこと。
iAcn「 とも が気になるなあ(マイナスの意味で)」
xatosi「・・・まさか、『登場人物は全て18歳以上です』・・・か?!」

 ・・・まさかなあ。と、思いたいが。
 正直、Keyがそんな真似したら、もう応援する気には到底なれないぞ。いくらAIRの実績があろうとも。

 まあとにかく。自分としては、「智代アフター」は完全に様子見だなあ。つーか、買わない選択肢もあり得る・・・。

2005-04-28 02:06

岡崎朋也論 [CLANNAD-朋也]

岡崎朋也論 [CLANNAD-朋也]

 君は、岡崎朋也が好きか? 私は、微妙である。シナリオの行動そのままを字面通りに評価するのであれば、正直好きにはなれない。

 岡崎朋也という人物を一言で言い表すならば、「ヘタレ」である。「ヘタレという言葉の定義を知りたかったらCLANNADをやりなさい、その主人公がまさにそうだ」と言っていいくらいのヘタレである。
 CLANNAD学園編で朋也はしきりに親友の春原をヘタレ呼ばわりしているが、afterシナリオでは春原以上のヘタレっぷりを見せてくれる。ぶっちゃけた話、ヘタレ同士だからこの二人は気が合ったのだ、とも言えるだろう。
 そんな朋也が、私は気にくわない。

 では主人公がヘタレなのは嫌なのか、と言ったら、そういうわけではない。かつて、Kanonの主人公相沢祐一はヘタレだと主張し、ヘタレであって欲しいと願い、ヘタレであってくれなくては困るとまで言った、そんなイタい過去があるくらいなのだ。
 「ヘタレな主人公」そのものは、むしろ好きと言っても過言ではないだろう。

 では何故朋也だと気にくわないというのか。それは朋也が、度を超したヘタレだからである。
 私がヘタレな主人公が好きなのは、「ヘタレでもヘタレなりに一生懸命頑張っている」姿に好感を抱くからである。共感と言ってもいい。しかし残念ながら岡崎朋也という人物にはそれが感じられない、若しくは間違った努力をしている。そう思わざるを得ないのだ。

 その傾向が如実に表れるのが、after後半、汐編と呼ばれる部分での朋也の行動である。ざっとそのあらすじを書いてみると。

 朋也は渚と結婚し、渚はお腹に二人の娘、汐を宿した。だが元々体の弱かった渚は出産時に死亡。汐の養育を朋也に託す。だが朋也は悲しみに暮れるあまりその養育を放棄し、5年間汐と顔を合わせようとすらしなかった。渚の母親で朋也の代わりに汐を育てていた早苗は、そんな朋也の態度に業を煮やし、二人を朋也の故郷に旅行に行かせ、朋也の祖母に会わせることで問題の解決を図ろうとする。自分の父親が、自分同様早くに妻を亡くし、しかし16になるまで自分をしっかり育ててくれたことを知り、泣き崩れる朋也。朋也は汐を育て、これまで代わりに汐を育ててくれた早苗・秋生夫婦と一生家族でいることを誓う。
 だがそんな朋也の思いも、汐が発病することで再び狂いだしてしまう。汐が渚と同じ症状だと聞かされた朋也は、これからはずっと汐の側にいると心に決める。そして汐を看病するために、早苗の反対を振り切って仕事を辞めてしまう。経済的な余裕は無くなり、貯金も僅かになっていったが、しかし義父秋生からの経済援助は断ってしまう。冬になり、汐の症状は悪化していった。ある日朋也は、汐が一緒に旅行に行きたいと言っていたことを思いだし、汐を外に連れ出してしまう。雪が降り出し、汐は歩けなくなってしまう。そして朋也の腕の中で、汐は幻想を見ながら息絶えていく・・・。

 と、ここまで書く為にCLANNAD汐編を読み直していたのだが。ふと気づいたことがある。半強制的に見せられるものとはいえ、汐編はCLANNADの「バッドエンド」なのだ。そして、あとからプレイする際にこの汐編に入るためには、渚が死の淵を彷徨っている時に朋也が渚を「呼ばない」という選択肢を選ばなくてはならない。
 これが一体何を意味するのか。

 ここでCLANNADのテーマを思い返してみる。1に「街」であり、2に「家族」である。ここで言う街は無機質なコンクリートの固まりによる構造物の集合体のことではなく、そこに住む人達の共同体である、と解するべきであろう。つまり、街にしろ家族にしろ、「人と人との繋がり」というものが、CLANNADの究極テーマであると考えられる。
 さて。汐編での朋也の行動は、このテーマに沿っているだろうか。冒頭で渚を呼ばない。自身の娘を5年も養育放棄。汐発病後、勝手に辞職。秋生からの資金援助も拒絶。まさに、「アンチCLANNAD」とすら言える行動である。そしてこの汐編はバッドエンドなのだ。
 つまり結論を言えば。汐編の朋也は、反面教師なのである。「こんな行動を取ってはいけないよ」「こんな努力の仕方は間違ってるよ」という、作者(麻枝准)からのメッセージなのだ。

 そういう意味では岡崎朋也という人物は、主人公でありながらこんな損な役割をさせられている、大変不幸な人物と言えるかもしれない。こんなことで嫌ったりするのは、酷なことなのかもしれない。だがそれでも、私はこう思わずにはいられないのだ。
 「ああはなるまい」、と。
 
 
 2005-04-12 03:33

霧島佳乃論 [AIR-佳乃]

霧島佳乃論 [AIR-佳乃]

 よそのblogにトラックバックしまくるblog、というつもりで開設したが。3日も経たずに方針変更して、Key系のblogとすることにした。

 どちらかというと、Key系の話で、自分の表ページでちょっと言いづらいことをここで言っていく形になる。

 さて、今回のテーマは「霧島佳乃」。言わずとしれた、AIR3人娘の一人である。

 霧島佳乃さん、どうも世間的には「人気がない」ということになっているらしい。確かに各所の投票所でも観鈴・美凪に比べれば劣るし、コミケでもカタログに佳乃のカットを使っているサークルは決して多くはない。昨年末の冬混みでは、ついに0になってしまった。
 しかし、本当に人気がないのだろうか。私は、否だと思う。例えばKey Fun Pageの「Keyな大辞典」では、「霧島佳乃」のエントリーは1210あり、「北川潤」に次いで第2位につけている。また、同人誌やWeb漫画を取ってみても、佳乃が活躍する場面というのは意外に多い。表向き(人気取りの為)他のキャラを前面に出しつつも、実は作者自身は佳乃が好き。そんな人が多いのではないのだろうか。また、比較的女性からの人気が強いようにも思う。AIR初回版発売直後には、佳乃を割と強力に押していた女性の絵描きさんも、ちらほらと見受けられたものである。

 とはいえ。霧島佳乃というキャラクターが、一般的なオタク男性の好みではないというのも、また事実であろう。
 佳乃の性格的な特長として、「天衣無縫。誰とでも友達になれる」というところがある。これは無論、世間一般的に見れば「とても良い性格」ということになる。だからこそ、作中でも人気のあるキャラクターとして描かれているのだろう。
 ところが。この性格は一方で、「他人のプライベートエリアにも遠慮無く踏み込んでしまう」という行動に繋がってしまう傾向がある。実際、それくらいのことをしなければ、誰とでも友達になるという芸当など出来はしないだろう。

 その一方で、オタクというのは自分自身のプライベートエリアを非常に大事にする。また、その範囲も得てして広い。そんな中に問答無用で飛び込んでくる人がいたら。男女問わず、嫌悪感というか恐怖心を覚えてしまう。それがオタクの性と言うものだ。

 そう。嫌いと言うより、苦手なタイプの女性。それが、オタクにとっての霧島佳乃というキャラクターと言えるのではないだろうか。

 しかし。よく考えてみれば、佳乃みたいな女性は実際にいるとすればとてもありがたい存在である。何しろオタクというのは、女性に対して異様に奥手だったり、変なフィルターをかけたりしがち。そんな相手でも、こういうタイプの女性は問答無用で接近してくれるわけだ。
 そこで、チャンスを生かそうと必死になるか、こんな女嫌だと逃げてしまうのか。そこが結構運命の分かれ道なのだろうなあ、と、思うのである。

2005-03-19 18:17