リトバスアニメ~EX~佐々美編1話 感想(転載)

 

リトバスアニメ2期のBDは、諸事情というか宗教上の理由により1巻と7巻だけ買う予定だったのですが。予算に余裕が出来たので5、6巻も買うことにしました。7千円のjpegとか、冷静に考えたら買う意味なんてないよね…。

さて。5、6巻に付いてくる「EX」編は、佐々美ルート。原作ですと、無印の6シナリオが出題編だとすれば、EX+クドわふの4シナリオは解答編といえる存在な訳ですが。その中でもとりわけ、「世界の秘密」をストレートに解説しているのが、佐々美編です。
アニメでも、それを前面に押し出した構成になっています。

一言で言うと

「この世界に、笹瀬川佐々美は存在するか?」

 という話ですね。

これに関しては、若干とは言えないレベルで補足したいことがあるので、ちょっと後回し。

なので、世界の秘密とは直接関与しない部分から。

にっこにっこにー (世界観崩壊)

ところで声優と言えば、美魚は今回は河原木志保か。1期特典では巽裕依子だったけど。1期=巽 2期=河原木 できっちり線引きしたかー。

佳奈多と加藤多賀子は出番なしか。あと、鈴は食堂に猫連れ込むな。

そんなに書くことは無いね。

さて。後回しにした、リトバスの世界観の話。

なんか、どうも未だにわかってない人がいるようなので、再確認ですが。リトバスの世界の大前提になっているのは、「エヴェレットの多世界解釈」です。
量子力学のエヴェレット解釈をベースにした、SFの世界での多世界(平行世界)理論です。原作(葉留佳ルート冒頭)にも出てきますね。
これがわかっていないことにはお話になりません。鈴小毬以外のヒロインは途中で退場するとかいったトンデモ解釈の原因になってしまいます。アニメは原作と世界観が違うとか、そんなことはありません。一緒です。

なので、少し話がそれますが、エヴェレット解釈とはそもそも何か、というのを簡単に。

まず、エヴェレット解釈の考え方を理解するために、一つの絵を提示します。私が大学生の時に受けたエヴェレット解釈の授業(※正規の授業ではなく、ファンタジー好きの先生が自主開講していたものでしたが)で、最初に示された資料です。

これ、なーんだ?

ルビンの壺

「ルビンの壺」と呼ばれる絵。はいそうです、で、何の絵に見えますか?
壷だったり向き合っている人の顔だったり。人によって見え方は違いますね。どっちかが間違いというのではありません。どちらも同時に存在しており、見る人の「観測」によって、何の絵かが決定づけられる。

これが、エヴェレット解釈の出発点です。
量子力学の世界では、量子の位置は常に多地点に存在しており、観測によって1つの場所に決定づけられる、となります。

ちなみにこのエヴェレット解釈ですが、観測者(=人間)の存在によって位置(=物理的量)が左右される、とも受け取れるために、当時の人文学者が「自然科学の敗北だ、俺たちの大勝利!」と、EXが発表されたときのエロ厨のごとく騒いだために、葬り去られてしまいます。
代わって、「量子の位置は最初から確率的に1つの位置に存在する」という、コペンハーゲン解釈が主流となり、現在は量子力学というとコペンハーゲン解釈の方を指すようになっています。

量子力学の世界では過去の遺物となったエヴェレット解釈ですが、その後SFの世界で多世界理論を構築する際に使われるようになり、「エヴェレットの多世界解釈」と呼ばれるようになります。
この場合、量子ではなく世界そのものが同時多数的に存在し、観測者の観測によって現在位置する世界が1つに決定される、となります。
(たまに勘違いしている人がいますが、分岐型の多世界理論とは全くの別物です。)

さて。ここで、最初の話に戻ります。

「この世界に、笹瀬川佐々美は存在するか?」

 理樹の視点から見れば、佐々美は当然存在します。では、鈴や小毬からしたら、どうなのか? クド美魚葉留佳、唯湖、謙吾からしたらどうなのか?
佐々美が佐々美だと、認識できていない、となりますね。

認識できていないのなら見えないし、見えないのは「いない」のと一緒。
葉留佳BAD(保健室じゃない方)で佳奈多が言っていたことを、具体的事例として解説している。それが佐々美ルートなのですね。

…この辺の理解は、無印が発売された2007年の年末頃には既におおむねできあがっていて、EXでそれが証明された、という流れだったはずなんだがなあ。どこでずれた事言う人が出てしまったんだろう。
あの世界で実在するのは事故ったバスの乗客だけ、っていう話もいまだにたまに目にするけど。あれってそもそも、葉鍵板で自分が言い出したことが発端なんだけど、その後の議論でそれじゃ話がおかしくなるよね、って否定された筈なんだよなあ。あと、それ以前に、恭介一人であの世界全部作ったとかいまだに言ってた人もおったし。
なんか、無印発売直後の頃に議論してた内容が、その後の議論無視して一人歩きしちまった、ってことなのかなあ。

という場外の話はさておき。アニメEXの佐々美1話は、世界解説編としての話として、実によくできていると思います。

もしかして佳奈多編も、そういう話が主軸になるんだろうか。葉留佳BAD(佳奈多の毒舌or佳奈多が保健室で理樹を…)の内容って、この世界を理解するのに欠かせないものなんだけど、アニメでは全くやってないし。しかしそうなると、「佳奈多編」の内容はいよいよもって全くやらないという話になっちゃうけど。2話しかないし。

2話しかないし。

とりあえず、6巻も買うことにしたんで、佐々美編2話を待ちますか。

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霧島佳乃論 [AIR-佳乃]

霧島佳乃論 [AIR-佳乃]

 よそのblogにトラックバックしまくるblog、というつもりで開設したが。3日も経たずに方針変更して、Key系のblogとすることにした。

 どちらかというと、Key系の話で、自分の表ページでちょっと言いづらいことをここで言っていく形になる。

 さて、今回のテーマは「霧島佳乃」。言わずとしれた、AIR3人娘の一人である。

 霧島佳乃さん、どうも世間的には「人気がない」ということになっているらしい。確かに各所の投票所でも観鈴・美凪に比べれば劣るし、コミケでもカタログに佳乃のカットを使っているサークルは決して多くはない。昨年末の冬混みでは、ついに0になってしまった。
 しかし、本当に人気がないのだろうか。私は、否だと思う。例えばKey Fun Pageの「Keyな大辞典」では、「霧島佳乃」のエントリーは1210あり、「北川潤」に次いで第2位につけている。また、同人誌やWeb漫画を取ってみても、佳乃が活躍する場面というのは意外に多い。表向き(人気取りの為)他のキャラを前面に出しつつも、実は作者自身は佳乃が好き。そんな人が多いのではないのだろうか。また、比較的女性からの人気が強いようにも思う。AIR初回版発売直後には、佳乃を割と強力に押していた女性の絵描きさんも、ちらほらと見受けられたものである。

 とはいえ。霧島佳乃というキャラクターが、一般的なオタク男性の好みではないというのも、また事実であろう。
 佳乃の性格的な特長として、「天衣無縫。誰とでも友達になれる」というところがある。これは無論、世間一般的に見れば「とても良い性格」ということになる。だからこそ、作中でも人気のあるキャラクターとして描かれているのだろう。
 ところが。この性格は一方で、「他人のプライベートエリアにも遠慮無く踏み込んでしまう」という行動に繋がってしまう傾向がある。実際、それくらいのことをしなければ、誰とでも友達になるという芸当など出来はしないだろう。

 その一方で、オタクというのは自分自身のプライベートエリアを非常に大事にする。また、その範囲も得てして広い。そんな中に問答無用で飛び込んでくる人がいたら。男女問わず、嫌悪感というか恐怖心を覚えてしまう。それがオタクの性と言うものだ。

 そう。嫌いと言うより、苦手なタイプの女性。それが、オタクにとっての霧島佳乃というキャラクターと言えるのではないだろうか。

 しかし。よく考えてみれば、佳乃みたいな女性は実際にいるとすればとてもありがたい存在である。何しろオタクというのは、女性に対して異様に奥手だったり、変なフィルターをかけたりしがち。そんな相手でも、こういうタイプの女性は問答無用で接近してくれるわけだ。
 そこで、チャンスを生かそうと必死になるか、こんな女嫌だと逃げてしまうのか。そこが結構運命の分かれ道なのだろうなあ、と、思うのである。

2005-03-19 18:17