2022年の書き初めに変えて~劇場版スタァライトwi(l)d screen baloque BD版感想~


この文書は長いので、HTML単体版を用意しています。と言うか、先にそっちで書いてしまった。

2022年の書き初めに変えて~劇場版スタァライトwi(l)d screen baloque BD版感想~

序章

 早くも2022年になってしまいましたね。

 娘のひかりも、今度の1月8日で21歳になってしまいます。21歳。(21)。

 あんなに可愛かったひかりちゃんが、もうそんな歳ですか。大学4年生ぐらいの歳ですよね。

 

 大学といえば、私Twitterでこんな発言をしてしまったので。

 そういうわけで、今回の文章はこの辺りを中心に書きたいと思います。

 

 

 さて。冬休みに入ってから年が明けるまで、ずっと劇場版スタァライト鑑賞に明け暮れてました。

…と言いたいところだけど、まあ実際は雑事やら療養休息やらで、1日の3分の1くらいを観賞に当てるのが精一杯だったんですけど。

 それでもとにかく、最低1日2回は劇場版スタァライトを見る4日間だったわけです。

 

 何度も繰り返してみてると、映画館で観ていたときには気づかなかったこととか想像とかがいろいろ出てきますね。
いや、映画館ももう何十回かわからないくらい行ったんですけど。

 



 

 映画全体に対する基本的な所感は、
7月25日付文書
と変わりません。ただ、当時は語り尽くせなかったことが多すぎた。華恋ちゃん大好き君(仮称)のこととか。




 でも華恋ちゃん大好き君(仮称)の事を語り出すとそれだけで思春期男子に関する論文が1本書けてしまうような気すらするので、
今回はなるべく控えめに。

何故ひかりちゃんは舞台演劇学の研究を志望したのか

 ひとまず、「何故ひかりちゃんはオックスフォードで舞台演劇学の研究を志望した事になるのか?」という命題から仕上げていきましょう。

 

 ちなみに、舞台演劇「学」と書きましたが、大学によっては(放送大学などは)舞台演劇「論」と呼称しているようです。
「学」と「論」の違いは、「学」が定理定説が確立されており科学の必要条件たる「再現性」の理論や手法も確立されている分野のこと。
それに対し「論」は、まだ解釈や因果性などで諸説が分かれている、若しくは定説はあるものの再現性の手法が確立されていない分野のこと。
と、私は習いました。

 ちなみに、上述の放送大学の舞台芸術論の授業番組の中で、講師が「演劇は人文科学の一分野です」と言い切っていました。
言われてみればそうだなと。
歴史・哲学・社会・政治・家族・人間関係、そういったあらゆる人間活動を脚本と舞台装置と、演者によって凝縮して表現する。
そしてそれは再演、即ち再現が可能である。人文科学に分類される分野の中でも、かなり胸を張ってこれは科学であるといいきれる分野だったんですね。
目から鱗が落ちる思いでした。

 

 ところで、科学と言えば、
神楽ひかりの出身中学に関する考察
を2020年9月に公表しております。

 レヴュースタァライトは物理学や地球科学などの自然科学と密接な関係があるのでは無いかという、それがこの文章の内容なのですが。
しかし、レヴュースタァライトという作品はあくまでも演劇をテーマにした作品ですから、人文科学になるわけです。

 勿論、人文科学と自然科学の間には密接な繋がりがあるのですが。世間一般の人々が思っている以上に。

 

 それはさておき。

 劇場版スタァライトwi(l)d screen baloqueは聖翔音楽学園99期生の卒業公演と、
その舞台裏で織りなす人間模様が予告も無く激しく行ったり来たりする映画(故に、ワイルドスクリーンバロック)なわけですが。

 ラストはきちんと卒業を表す「全員自らボタンを切る」シーンで締められています。

 そして、ラストのエンディングロールに合わせて、めばち先生の演出によって、
99組のその後の進路が神楽ひかりの来訪という形で描かれているわけですが。

 じゃあ、神楽ひかりの進路は? というと、それは明記されていないのです。

 まあ愛城華恋も明記まではされていませんが、
佐藤日向(星見純那役)によるとあの背景はレヴュースタァライトの一番最初のオーディション会場そのものらしいので、華恋はそっち方面に進んだ、
と考えて差し支えないでしょう。

 

神楽ひかりだけ進路が明示されていない

 じゃあ、神楽ひかりは一体どういう道に進んだのでしょうか。


 第100回聖翔祭の後に突然中退宣言してロンドンに逃げ帰ったくらいですから、ロンドンかその近郊に生活拠点を置いている、
というのはかなり有力な説でしょう。人によっては、王立演劇学園に進んだ大場ななと同棲している、と言う人もいますが、その辺はさておき。

 そもそも、同級生に会いに行くとは言え同時期に一度に日本・アメリカ・フランスを巡るというのは、お金はともかくどこからそんな時間が?

という疑問がわきます。自分探しを続けているにしては、えらい悠長な話すぎます。

 

イギリスの大学の夏休みは自主研究の期間

 ところで、エンドロールで同級生巡りをしているときの神楽ひかりを始め、他の全員が夏服を着ています。つまり、北半球の季節は夏です。

 大学生になった神楽ひかりが夏休みを使って世界中に散った同級生に会いに行っている、と考えれば、時間の問題は解決します。

 ちなみにイギリスの大学の夏休みは6月から9月の3ヶ月間と非常に長いのですが、学生はその間遊びほうけているわけでは無く、
この3ヶ月間を使って学士号取得の為の自主研究をするのだそうです。

 

 イギリスの大学に進んだ神楽ひかりは、舞台芸術学の学士号を取る為に10代で舞台芸術教育を受けた人達について研究し、
夏休みに彼女らの進路実態調査をした。調査対象として自分の同級生であった99組を選び、訪ねてヒアリングした。ついでに旧交も温めた。


 と、いうのが、私の仮説です。

 

 オックスフォードというのは、まあイギリスの大学ならオックスフォードかケンブリッジだろう、という極めて安直な発想によるもので、
実際はもっとロンドンに近い大学かもしれません。

 

神楽ひかりには愛城華恋由来のキラメキしか残っていなかった

 では、そもそも何故神楽ひかりは舞台女優の道を選ばず、大学で研究者の道を志したのか。

 それは、神楽ひかりにはもう、
舞台女優を続けるだけのキラメキ(まあ、現実にはやる気とか意欲とかそういった類のものでしょうか)が残っていなかったから。
というのが理由として考えられます。

 

 そもそも神楽ひかりは、王立演劇学院でのオーディションで破れた(※現実には別の何かがあったのでしょうが)為にキラメキを無くしたが、
愛城華恋との「一緒にスタァライトする」という約束を糧に、もう一度キラメキを回復させて聖翔に転校してきたわけです。

 そして第100回聖翔祭で華恋とスタァライトを演じて、その願望を叶えるわけですが。そこでひかりちゃんの予想外のヘタレぶりが表に出ます。

 

 念願の「ひかりちゃんとスタァライトする」華恋のキラメキを浴びせられて、神楽ひかりは逆に自信喪失に陥ってロンドンに逃亡してしまいます。

 そう、キラメキを奪うとは「圧倒的な実力差を見せつけて、相手のやる気を削いでしまうこと」ことだから。

 

 この辺の、神楽ひかりの自信の低さは、5歳の頃の華恋とひかりの様子にも伏線として描かれています。
他の友達と遊んでいる華恋に声をかけられない5歳ひかり。
いざスタァライト公演を観たら演者に圧倒されてしまって一瞬演劇を続けていく自信を無くしてしまった5歳ひかり。

 いやね、いくら私の娘だからってそんなところまで似なくてもいいんだよひかりちゃん?

愛城華恋は青嵐総合芸術院への進学を検討していましたがひかりちゃんとの約束を果たす為聖翔音楽学園を志望することにしました。

華恋の手紙

 

 

 結局神楽ひかりも、愛城華恋無しではキラメキを維持することは出来なかったのです。

 聖翔99期生がどうやってひかりちゃんをロンドンから連れ戻したのかはわかりませんが、卒業公演に引っ張り出すことには何とか成功した。だが、舞台女優としての神楽ひかりのキラメキは、それが限度だった。何故なら、卒業したらキラメキの源泉である華恋と別れてしまうから。

 

 そこで、キラメキを奪われた(自信喪失になった)舞台少女がどうやって立ち直ったか。或いは、どういう別の進路を辿ったのか。それを研究するのが自分の立つべき舞台だと感じたのでは無いでしょうか。

 聖翔を出たからと言って、必ず舞台の道に進むとは限らない。

 その1例が、青嵐総合芸術院の八雲先生なわけです。教育者や研究者という道もある、とこの時(※ 舞台 #2 )気づいたのかもしれませんね。

 

 

神楽ひかりを連れ戻したのは大場ななと露崎まひる??

 ちなみに、劇場版前作の「ロンド・ロンド・ロンド」は、ラストシーンで大場ななが神楽ひかりと再会して「待ってたよ、ひかりちゃん」と言って、終わります。

 これはもしかして、第100回聖翔祭の後ロンドンに逃げ出したひかりちゃんが、呼び出されて大場ななの元にやってきた(ついでに華恋を倒した)、という事の暗示なのかもしれません。

 その後、まひるに死ぬ程説教されたと。

 

 ちなみにこのまひるの説教を舞台上で再現してる、例の胸ぐらシーン。MEDAL SUZUDAL PANICの

「♪さあ~みな~さん~お待ちか~ね~の~♪エンタ~テイメント~♪命~が~け~の~♪」

という歌の直後に、このシーンが来るわけです。



 最高の演出過ぎませんか?

 

 観客がこのシーンを待ち望んでいるのです! 我が儘で欲張りな、観客が!!

 

 

 

華恋ちゃん大好き君(仮称)を語る



 さて。娘のことばかり語ってないで、愛城華恋とそれを慕って止まない華恋ちゃん大好き君(仮称)の事も、少しは触れておきましょうか。

 

 華恋ちゃん大好き君(仮称)とは、中学生か連が修学旅行の打ち合わせをしているときに真向かいに座っている爽やか系男子の事なんですが。そもそも、何故彼が華恋大好きと言えるのか。

 理由は3つ。

  1. 華恋が慌てて飛び出していったとき、未練がましくずっと窓の外を見ていた
  2. 修学旅行なのに「雨降ったらゲーセン」とか突然あり得ないことを言い出す
  3. そもそも、他に可愛い子が3人もいる(一人は遅刻だけど)のに、華恋の前にわざわざ陣取っている

 

 2については少し捕捉が必要でしょう。アニメだと出てきませんが、スタリラだと華恋は結構ゲーム好きだという設定が出てくるのです。



 いえ、これ以外にももっと他にわかりやすく言ってる部分があった筈なんですけど。手持ちの画像がこれしか無かったもので。

 

 なんであれ、「ゲーセン」という華恋が行きたがりそうな場所だけど修学旅行の予定先としては有り得ない(と言うか怒られる)選択肢を、わざわざ華恋の目の前で行っているわけです。

 ちなみに、3人掛けの中央で華恋の真向かいというポジションも重要ですね。他の4人は、華恋ちゃん大好き君(仮称)が華恋のことを好きなのを知ってて、この席配置にしたことが伺えます。少なくとも、右隣の(芸大志望の)にーちゃんは明らかに理解してますね。

 

 そして。愛城華恋もまた、実は彼の気持ちをほんとはわかっている可能性があります。それまでずっと新スマホと睨めっこして華恋ちゃん大好き君(仮称)の方なんか見ようとしてなかったくせに、華恋ちゃん大好き君(仮称)が話しかけようとした矢先に、「あ、3時!」とわざとらしく叫んで飛びだしていってしまう。

 いやね。華恋って、決して電子機器苦手じゃ無いよねたぶん? それまでガラケーだったのは謎だけど。ウィルコム派だったのかな? あーいや、スマホだと検索機能付いてるからひかりちゃんのことうっかり調べちゃうかも、って考えてたのかも。(ガラケーにも付いてたけどね。)

 

 それはともかく。中学生華恋ちゃん、なんか華恋ちゃん大好き君(仮称)を避けているような節が見受けられるんですよねえ。

 

 だめだよ華恋ちゃん、そういうことしたら。ちゃんと向き合わないと。

 

 欲求が不満した華恋ちゃん大好き君(仮称)が変質して、華恋ちゃん限界オタクが爆誕しちゃうよ?

 

 ──という話を、SSか何かで書きたかったんですけどねえ。多忙と体調不良が酷すぎて、遂に去年は書けなかった。

 

 ちなみに上記の事は、華恋ちゃんだけで無く、全ての女性に向けても言っておきたい事であります!

 

 

 ま、この辺も、すぐ現実逃避する癖がある愛城華恋の性格を表す演出の一つなのかもしれませんけどね。

 

 

終幕

 いやあ。ここまで書いて、既にA4換算で7ページですよ。書こうと思えば書くことはまだ山ほどあるんですけどね。

 見れば見るほど書くこと語ることが増えてゆく、プルトニウム燃料の如き映画。それが、劇場版スタァライト。あ。ロロロで出てきた大深度地下333mという設定って、もしかしてそういう事!? 原発の使用済み燃料ってプルトニウム化して再利用するか大深度地下に埋めるかしか無いから。

 

 さすがに、んなわけないか。

 

 キリンが悪いんですよ。私は舞台少女の燃料ですとか、アンパンマンみたいな変態台詞吐くから。

 まあ、キリンは我々観客の代表だから、つまりは我々観客が変態だって話になるんですけどね。

 

 変態ですよね? ちょっと百合っぽいシーンが出てくると大喜びするし。

 

 

 まあ、何はともあれ。聖翔99期生は卒業してしまいました。

 でも、レヴュースタァライトは終わりません。2月にはシークフェルト公演がありますし。

 

 シークフェルトは聖翔とはまた違った変人集団なので、今後はどんなレヴューを見せてくれるのか、楽しみです。そう、常識人の文お姉ちゃんが逃げ出すくらいの、変人集団。

 え、違うの?

 

 

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