「スミマセン、間に合いませんデシタ」
スーツ姿の葉留佳が佳奈多に頭を下げている。やはりスーツ姿の佳奈多は、黙々と自分の作業をこなしていた。オフィスビルの1フロア、弁護士事務所の一角。ここは佳奈多の職場。そんな場所にわざわざ押しかけて、妹の葉留佳は姉の佳奈多に頭を下げていた。
「…何の話?」
顔を上げず手も止めないまま、佳奈多は葉留佳に返答した。
「私と姉の記念すべき生誕30周年祭に相応しい贈り物を用意しようと全国の百貨店を巡って商品を吟味しようと考えていたのですが、ナントカコロナの影響でそれもままならなくなってしまったのデス」
「変な言い訳しなくて良いわよ」
「ハイ」
「私も何も用意していないし」
佳奈多の目線は書類に向かったままだったが、しかし目は少し泳いでいた。
「──だいたい、30歳の誕生日を祝うって何? 30になるのがそんなにおめでたいの? 参議院選挙に立候補出来るようになる以外に何かメリットでもあるのかしら? 女子高生に中年老害呼ばわりされて尚それを補って余りある利点が何か30歳にあるとでも言うのかしら?」
「お言葉ですが姉上、最近の女子高生はそういう事はあまり言いませんヨ」
「そう。──まあ、これに関しては、あなたの方が近いところにいるのだから、そのまま受け入れる事にするわ」
「それは精神年齢が、という意味では無いですよネ? はるちん、これでも大学で数学を教える立場なので精神年齢が高校生並みというのはいろいろと問題があるのデスガ」
「その問題は自分で解決なさい」
「え? 問題が存在するように聞こえるのですガ」
姉妹が押し問答をしていると、佳奈多の背後にある窓、それを清掃する人間が乗るゴンドラが降りてきた。
「話は聞かせて貰っ、、た、、、ぞ、、、。おい、この窓開かないぞ」
外には窓を開けようと必死にしがみついている棗恭介が貼り付いていた。
「当たり前です。今時のオフィスビルの窓が外から開くとでも?」
「『話は聞かせて貰ったぞ、ガラッ』と格好良く決めたかったんだがな」
「私の知った事ではありません」
「と言うか何やってんですカ恭介さん」
「見ての通り、なかなか就職が決まらないので食いつなぐ為に窓掃除のバイトをしている」
「イヤ、就活の状況まで訊いたつもりはなかったんデスガ…なんかスミマセン」
「いいって事よ…それよりも、外から開かないなら中から開けてくれないか?」
「入りたいならちゃんと表に回って入って下さい。無料相談は30分までです」
「つれない事言うなよ」
「今のあなたのみっともない姿を動画にとって、直枝に送ってもいいんですよ?」
「待ってくれ、それだけは勘弁してくれ。理樹にはこんなみっともない姿は見られたくない」
「だったら真面目に仕事して下さい」
「そうさせてもらいます。チクショウ、こんな事なら労働相談を装って表から入ればよかった」
恭介の乗ったゴンドラはゆっくりと上に戻っていった。
「やはは…何やってんですかね恭介さん」
「知ってたんでしょう?」
「え? 何をデスカネ。世界の秘密の話デスカ?」
「棗恭介が今日このビルの窓掃除をする事」
「あ、あー、それ。いやーびっくりデスヨネー。偶然ってあるんですねー。恭介さん懐かしいなー」
「私は既に知っていたわ。2週間前に窓掃除の告知があったときに、何か怪しいと思って清掃員の名簿も出すように管理室に要求したの。そこに棗恭介という名前があった。だから私は驚かなかった。そして──」
佳奈多は顔を見上げて、真っ直ぐに葉留佳の顔を見た。
「あなたは私が平然としている事に驚かなかった」
「え? いやーだって私の姉はこんな事では動じない冷静沈着な人だと」
「いうわけでは無い事は、あなたはよく知っているでしょう?」
「ハイ」
そこで、佳奈多のスマホの着信音が鳴った。佳奈多がスマホを手に取ると、理樹からのメッセージが届いていた。
『佳奈多さん。ひとまず12人で予約入れたよ。全員来れるかはわからないけどね』
そういうことか、と佳奈多はつぶやき、そして返信した。
『大丈夫。全部手筈は整っているようだから』
そう打ってから、佳奈多はスマホの画面を葉留佳に見せた。
「そういう事で良いのよね?」
「いやー、佳奈多先生にそこまで先回りされてしまっては」
「私は何もしていないわ。…何も、ね」
そう言って佳奈多はフッと含み笑いをした。葉留佳もそれを見てやははと笑った後、腰をかがめて佳奈多に敬礼した。
「ではワタクシ、そろそろバイトが終わったであろう恭介さんを回収しに行って参ります」
そう言って葉留佳は足早に事務所を去って行った。入れ替わるように、佳奈多の同僚が席に近づいてきた。
「妹さん? 羨ましいわね」
「羨むような子では無いです。見たとおりのああいう子です」
「そう?」
ふふふっ、と同僚は笑い、言葉を継いだ。
「でも見た目はそっくりね。私、二木さんかと思ってそのまま素通りさせちゃった」
「そうですか。──似てますか」
一瞬微笑んだ後、佳奈多は立ち上がり、脇に掛けてあった鞄を肩にかけた。
「でも次からは気をつけて下さいよ。機密情報とかもあるんですから」
「そうね。さっきの変なイケメンみたいな人も世の中にはいるみたいだし」
「気になりますか? あの人の事。紹介ぐらいはできますよ」
「やめておくわ。どうせ彼女いるんでしょう?」
「どうなんでしょうね。そこも訊いておきます」
そう言って佳奈多は、机の横を通り抜け、出入り口に向かう途中で一端立ち止まって振り返った。
「私、今日はこれで上がりますので」
「ええ。楽しんでらっしゃい、誕生会」
「そうさせてもらいます」
そう言って立ち去る佳奈多の表情は、いつもよりも少しだけ柔らかいものになっていた。