あゆ「赤い色・・・」
帰りたい。帰ってもいいといわれた、あの場所に。
でも、そこにはまだ、帰ってはいけない気がする・・・・
祐一「なにやってるんだよ、あゆ。」
あゆ「あ、祐一君。えへへ、ちょっとたそがれてたんだ。」
祐一「たそがれるというのは、もっと知的レベルの高い人間が行うべき高等な技だぞ。」
あゆ「それじゃまるで、ボクの知的レベルが低いみたいだよ・・・」
祐一「低いだろ。」
あゆ「うぐぅ・・・祐一君、ボクのことなにもわかってないんだね。」
祐一「そんなことはない。」
あゆ「そんなことあるよ。祐一君、ボクのことただのたい焼きオタクなバカザルだと思ってるんでしょ?」
祐一「バカザルまでは言わないが、たい焼きオタクなうぐぅ程度には思っているぞ。」
あゆ「やっぱりなにもわかってない。」
祐一「わかってるって。あゆがたい焼きオタクなうぐぅなのは、世界の常識だぞ。」
あゆ「祐一君。そうやって、常識や固定観念にとらわれて人を評価するのって、良くないと思うんだよ。」
祐一「やかましい。うぐぅのくせに生意気だぞ。」
名雪「祐一。」
祐一のあまりのものの言い様に、見かねて名雪が横槍を入れた。槍を持った名雪
名雪「北川君。何考えてたの?」
北川「いえなにも!ただ、水瀬ってかわいいなあと思ってただけだ。」
名雪「そんなお世辞言っても何もでないよ。あ、あのヤなジャムなら出るかもしれないけど。」
あゆ「ジャム!」
あゆの体が小刻みに震えだした。きっとこれは恐怖心
名雪「あゆちゃん、どうしたの?何もあゆちゃんにジャム食べさせようと考えてる訳じゃ」
あゆ「名雪さんがそうでも、秋子さんは食べさせるつもりなんだよ・・・」
名雪「え?」
あゆ「ボクね、秋子さんにおやつをもらったんだ。おやつというのはお菓子を8個セットで渡したことに由来するのよとか言いながら。で、ボクがそれを喜んでうぐうぐ言いながら食べてたら・・」
名雪「お母さんが豹変してお父さんになっちゃったんだね」
祐一「名雪、そのボケ無理ありすぎ」
北川「素でいいよ、素で。」
名雪「二人とも、ひどいこと言ってるね。」
あゆ「でね。」
あゆの話はまだ続いていた
あゆ「ボクがお茶欲しいっていったら、秋子さんがね、にこにこしながら、湯飲みと瓶を持ってきて・・・」
祐一「秋子さんもやることがあくどくなってきたな・・・」
あゆの目は涙目。思い出したくない過去。それでも語らなければならない、心の悲しさ。
あゆ「ボク、本当は帰りたいんだよ。なのに、帰れない・・・」
名雪「でも、もう夕方だよ?いくら何でも、こんな時間まで待ちかまえてる何てことは・・・」
あゆ「断言できる?」
名雪「それは・・・・」
できるはずがない。彼女にとってすら、その母の存在は謎。その母の存在は恐怖。なにをしでかすかわからない。何が起こるかわからない。扉を開けてみるまで結果の分からない量子論的存在、シュレーディンガーの猫さん。
名雪「猫さん・・・」
名雪の思考は、ずれた。
北川「でも。いつまでもこんなところにいるわけにはいかないだろ?」
あゆ「それもそうだけど・・」
でもジャムは怖い。
祐一「だったら、誰か一人言って確かめてくればいいじゃないか。簡単な話だ。」
名雪「それもそうだね。でも、誰がいくの?」
祐一「そりゃあもちろん」
視線が動く。一同の視線はただ一点、その一人の人間の方向をを目指して。
北川「って、オレかい!こういう役回りは全部オレがやるんかい!」
祐一「当然だ。汚れ役は北川。これはお約束じゃないか。」
北川「お約束とか常識とか、そういうものを無批判に受け入れて唯諾々と生きていくのって、人として間違ってると思わないか?」
祐一「思わない。」
北川「だいたい、オレはただのいい奴でこそあれ、こんな汚れ役ばかり押しつけられる人間じゃなかったはずだぞ!それなのに」
祐一「みんながそれを望んでいるんだ。大衆の多数意見には従うべきだ。恨むなら戦後民主主義教育を恨め。」
北川「またその理屈か。いい加減うんざりだ。だいたい、民主主義とは少数意見の尊重を前提として成り立ちうるものであって」
舞「・・・私が行く。」
今まで押し黙ったままだった舞が突如名乗り出て、そして扉へと向かっていってしまった。
ばたん。
名雪「はいってっちゃったよ・・・・」
祐一「どうするんだよ 。お前がもたもたしてるから、舞を犠牲にすることになっちゃったじゃないか。」
北川「いつもきれい事ばかりで生きている貴様が、何を言うか!」
あゆ「それに、まだ犠牲になると決まった訳じゃ・・・」
祐一「それもそうだが。そういうことなら、あゆは何でずっとここにいたんだ?」
あゆ「うぐっ・・」
祐一「そうだよ、だいたいあゆが、こんなところまで逃げてこなければ」
名雪「祐一!」
とうとう怒られてしまった。
時間が、経過してゆく。
具体的な数字まではわからない。ただ、経過していることだけが感じられる。
あゆ「ねえ。」
あゆが口を開く。
祐一「食い物か?持ってないぞ。」
祐一の応答。口を開くときは、ものを食べるとき。
あゆ「そうじゃなくて。祐一君たち、今日は遅かったなあ、って。」
祐一「そう、だな・・・」
思い出す、今日一日のこと。長かった一日。時は相対概念。
あゆ「なにか、あったの?」
祐一「ああ。いろいろありすぎたくらいだ・・」
あゆ「・・・楽しくないこと?」
祐一「楽しくなかったな。」
あゆ「そうなんだ・・・」
祐一「香里がせっかく取り返してくれたもの、それを俺は無くしてしまった。そして・・・香里までなくしてしまった・・・」
名雪「まだなくなったわけじゃないよ・・・」
祐一「それはそうだけどさ・・・」
無くなったも同然。今の香里が、香里でないならば、それは。
北川「でも、取り返せるかもしれないだろ?」
祐一「・・・そうだな。取り返さないと、いけないよな。」
昔の香里を
祐一「なくしちまったものは、取り返さないと。」
あゆ「そう、・・・かな?」
祐一「え?」
あゆの言葉。否定的見解。異議申し立てと言うにはあまりにも弱いけれども、それでも異を唱える言葉であることに代わりはない。
あゆ「昔のものを取り返すって、あまり前向きな考えじゃないと思うな・・・」
祐一「どういう意味だ・・・?」
あゆ「う、ううん。なんでもないよっ。おかしなことだよ。戯言って奴だよ。気にしないで。」
祐一「そうか・・?」
あゆ「うん。気にするべきじゃないよっ」
だけど。気にするな、その言葉で気にしなくなる、それは一つの特技。
否、むしろそれは、固定化の言葉。甘みを引き立てる塩のように、気にすべきでないことを気にさせてしまう。
祐一「取り返すべきじゃ、無いのか・・・・?」
わき上がる疑問。そして、空は暮れてゆく。
舞「・・・。」
食卓。椅子の上には、スプーンをくわえたままの舞がいた。
秋子「舞ちゃん、どうかしら?」
舞「・・・二度と食べたくない。」
秋子「あら。どうして?」
舞「・・・おいしくない。」
秋子「まあ。そうなの。残念だわ。」
舞「・・・。」
秋子「でも、こうやってはっきり感想言ってくれたの、あなたが初めてだわ。」
舞「・・・。」
秋子「みんな逃げるだけで、ちゃんと感想言わないのよ。どうして、正直に言ってくれないのかしら・・・」
舞「あなたが怖いから。」
秋子「まあ。」
秋子さんはとても残念そうだった。
魔剣第九話.終了
第十話に続く。
2001年8月13日執筆
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