荒野草途伸ルート >> 荒野草途伸Key系ページ >>薫り米 >>KanonSS >>魔剣 >>第12話

魔剣

第12話
 
 
 名雪は教室で寝ていた。起こして事情を説明しようか、祐一は迷ったが、起き抜けで機嫌が悪いときでは分かってくれる可能性が低い、そう判断して、自分も眠ることにした。疲れていた。とにかく今は少しでも休みたい。過酷な現実から保護された、この空間にいる間は。
「600円くらいがいいかな・・・それくらいの価値はあるよな」
 そんな北川の声が聞こえた気がしたが、祐一にはそれを気にする気力がなかった。
 
 担任の声で、祐一は目覚めた。名雪はまだ眠っていた。授業が始まるまで起きることはなかった。そして、昼になるまで祐一と口をきこうとしなかった。
 
 昼休みになってから、北川が祐一に声をかけた。
「相沢、お昼休みだぜっ。」
「キャラが違うぞ北川。」
「そんなことはない。こう見えてもオレは萌えキャラなんだ。」
「お前が思っている程、世の中の物好きはそんなに多くはないぞ。」
「お前の幸福ぶりを見ていると、とてもそうは思えないがな」
 幸福。幸福だと? 俺が幸福? 祐一は北川の顔を見上げた。
「今朝だって、ずいぶん幸せな目に遭ってたじゃないか。」
 違う。あれは違うんだ。祐一は反論したかった。
「何か言いたそうだな。いやわかるぞ、どうせ好きでこんな状態になってるんじゃないとかいいたいんだろう。」
 よくわかってくれてるじゃないか、祐一は言葉には出さず、只頷いてそれに同意した。
「だがな相沢。そんなにいやなら、あの二人にはっきりそう言えばいいじゃないか。」
「それは・・・」
「それが言えないなら、お前は今ある現実を選び取ったことになるんだ。文句を言える立場になど無いぞ。」
 祐一は反論できなかった。言い訳はいくらでも出来た。ただそれを北川に言っても、自分にとって何の足しにもならない、それに気づいていた。
「まあ、それはいいとしてだな」
 北川は話を打ち切った。祐一を責め立てるのが目的ではないから。
「今日あたり、美坂の家に行ってみないかという話が出ているんだ。」
「どこから。」
「北川潤という男からだ。」
「それってお前じゃん」
「なんだ、ばれちゃあしょうがないな」
 北川は肩をすくめ、両手を開きながら、首を振っていた。祐一は、またしても何も言い返せなかった。言い返す気力すらなかった。
「そういうわけだから、放課後は空けておけ。水瀬も来るよな?」
「え?! わ、わたしはその・・・」
 名雪は突然話を振られて戸惑っていた。横目で祐一を見る。ちょっとワケアリ、その意志を北川に伝える為に。
「許してやれよ。相沢がこの方面に関してはまるっきしヘタレだって事は、よく分かってるだろう?」
「ヘタレ?!」
「うん、そうだね・・・」
「肯定された!」
 祐一は悲しかった。自分をよく分かってくれている人の言葉、それは、分かっているだけに時として非常に残酷である。
 祐一は自分の机に突っ伏して、落ち込んでいた。前向き、前向きと唱え、他のことを考えるように心がけた。そしてふと思いつく、剣、返してないじゃないか、と。
 
 美坂邸の前には、5人集まっていた。佐祐理、舞、潤、名雪、祐一。この場合はやっぱりブラックが舞で祐一はパンチラ要員、そんなことを名雪は考えていた。
「本当に、私たちもおじゃましてしまってよろしいんでしょうか・・・」
 佐祐理が問いかける。既にここに来る前に、祐一に確認したこと。それでももう一度訊いてみる。
「大丈夫だって、5人来るって電話入れてあるし。」
 北川が答える。
「俺が二人を連れてきてからここに来るまでの間に、お前が電話をかけているところを見た記憶が無いんだが」
「ああ。電話は昼休みの間に入れておいた。」
「俺、連れてくるって言ってなかったと思うんだが」
「んー? そうだっけか?」
 北川は返答をはぐらかしたまま、手を頭の後ろに組んで、そのまま扉の前まで行ってしまった。言わなくてもわかるぞ我が親友よ、一体何年のつきあいだと思っている。
 実際にはそんなに年数はない。
「さあ、呼び鈴を押すのは誰だ。」
 北川はまっすぐに腕を伸ばし呼び鈴を指した。
「わたしがやるよ、押し慣れてるし。」
「いやいや、こういうのはむしろ、素人がやった方が効果的なんだ。俺がやる。」
「素人ということなら、佐祐理はここ来るの初めてですよーっ」
「それなら舞ちゃんも同じだぴょん。」
「て言うかオレがやった方が早いか?」
「待て何故そうなる」
「北川君みたいな未熟者には任せられないよー」
「こう見えても佐祐理は呼び鈴押し四段なんです。」
「無学な人間が時としてとてつもない才能を秘めていることがあるの。だから私がやる。」
「だから争うくらいならオレが」
「あなたはまず譲り合いの精神を学ぶべき。」
「それは舞も同じだろ」
「ここの模様、シルバーシートのマークに見えませんか? つまりこれは、最年長者が押せという印なんですよーっ。」
「年寄りはさっさと引退して若者に道を譲るべきだよ」
「あのー、玄関前で騒ぐのはやめて欲しいんですけど・・・」
 半開きになった扉の隙間から、栞が顔をのぞかせていた。
「うむ、少々悪ふざけがすぎたようだな。」
「そもそも北川が、誰が押すかなんて訊いたりせずにさっさと自分で押せば良かったんだよ」
「人の所為にする気かコラ」
「・・・・。」
 栞は沈黙したまま二人をにらみつけていた。素になりますよ、皆さんが知らない素の私を出しちゃいますよ? そう言い出しかねない雰囲気に、さすがに二人は黙ってしまった。
「お姉ちゃんは一応起きていますけど。でも、まともな応対なんか出来ない状態だと思います。どうします、会っていきますか?」
「もちろんだ。」
「面会謝絶でない限りね。」
「オレ達はそのために来た。」
「超新星に導かれて東の方からきたんだよ。」
「三賢者ですねー」
「いや、二人多いし。」
「祐一と北川君は数えないの。」
「馬だし。」
「馬?!」
「お嬢さん達は見かけによらず助平だなあ、どうしてオレが馬並みだって知ってるんだい?」
「馬並みなんですかあ?」
「ごめんなさいせいぜい犬です」
「・・・・・。」
 栞は再び沈黙していた。
「ご、ごめん。不愉快な会話だったか?」
「いいえ、いいんですよ。慣れてますし。」
 栞はにっこりと、しかし感情のこもっていない笑顔を返してきた。怖い、祐一はそう思い、やっぱり姉妹だね、名雪はそう思った。
「こちらがお姉ちゃんの居住区です。」
 一つの部屋の前まで来て、栞は 扉を指してそう言った。居住区、ゲットーか。祐一の中で妄想が膨らんだ。扉を開けた瞬間、名雪がげっとーと叫びながら滑り込んでいく様。実際には名雪はそんなことはしない。
「お姉ちゃん、開けますね。」
 栞が扉を開く。
「ゲットぉー!」
 一人が滑り込む。右手には剣。舞だった。
「・・・。」
「・・・・。」
 みんな沈黙している。みんな注目している。舞を除いて、香里を除いて。
「・・・舞ちゃん、もしかしてはずしちゃった?」
「ああ、ちょっとな。」
「かなりですよー。」
 そう言って佐祐理は、香里の方に視線を向けた。笑いもしない、引きもしない。舞の方を見ている、それ以上の反応を全く見せていない香里がそこにいた。
「くすん・・・」
「いえ、今のお姉ちゃんは、何を言ってもこうですから。」
 栞は、書棚から一本のゲームソフトを取り出した。
「これは、お姉ちゃんが大好きな『長島輪中』というゲームです。」
 そう言って栞は、そのゲームを機械にセットした。ピポッという起動音、暫くしてテーマソングが流れ、ゲームが始まる。
 香里は動かない。ただ、舞の方を見ているのみ。
「ほら。大好きなゲームなのに、ぴたりとも反応しません。」
「いや、それで激しく反応する方が、むしろ引くんだが・・・」
「今はそういう事言わない方がいいですよ。」
「と言うより、香里ならこれくらい普通だよ」
 美坂香里と社会常識、ある意味非常に失礼なテーマで論議が始まっても、香里は反応を示さなかった。なお意見をぶつけ合う3人をよそに、祐一は直接香里に語りかけようとした。それを察した舞が、祐一にぴったりと接近し、耳元で囁いた。
「口説いたらダメだぞ。」
「いや、口説かないから・・・」
 祐一は香里の傍らまで移動し、しゃがみ込んで語りかけた。
「香里、俺は・・・」
「やっぱり口説いてる。」
「いや、そういうつもりはないんだが」
「はあ・・・」
 端から見ていた栞は、深くため息をついた。二人の隣、香里の寝ているベッドの脇に座り込む。
「お姉ちゃん、祐一さんですよ。昔お姉ちゃんから300円借りて踏み倒したままの」
「え、俺そんな事したか?!」
「心当たりがあるんだ」
 香里は視線を祐一に向けた。真っ直ぐに祐一を見据えた。何らの汚れも知らない、無垢な瞳。ただしそこには、感情すらない。
「はあ・・・」
 今度は祐一が、深くため息をついた。呆れ故ではない、落胆のため息。
 沈黙。いつしか背後の三人も黙っていた。言葉の無い空間。視線だけが感情を表現する。香里、香里、香里、香里、香里、香里、剣。
 香里の視線だけが、剣に向いていた。すべてがそこに集中する。
「あ、そうか。」
 舞はそう言って、剣を香里に差し出した。元は香里のものらしい、だから返さなくてはいけない。香里は両手を出して、それを受け取った。舞の手からは離れる。
「・・・。」
「じゃあ、俺達はそろそろ・・・」
「そうですね。あまり引き留めても意味がないですし。」
 そして一同は立ち上がった。戸口に近い順に部屋を出て、祐一が部屋を出ようとしたとき、香里が一言言った。
「またね。」
「ああ、またな。」
 祐一はさして気にも留めず、そのまま香里の部屋を出た。
 
「香里、早く良くなるといいね」
 帰り際、名雪が話しかけた。
「ああ、まったくだ。」
 言わずもがなのことであっても、誰かが言えば自然に同意してしまう。ここにいる4人は、同じ事を考えていたから。
 
 お姉ちゃんが喋るようになったんです、5人が栞からそう聞いたのは、翌日のことだった。ああ今まで喋らなかったんだ、祐一は今更のように気づいた。
「オレの心のこもった見舞いが聞いたかな?」
「北川さん、特に何もしてなかったと思いますけどー?」
 そんな二人の会話を聞きながら祐一は、しかしえらく早いなと引っかかりを感じていた。
 
 香里が本格復帰するのは、それから数週間後だった。
 
 
魔剣第12話.終了
第13話に続く。
  <2004年1月10日執筆完>
−−−−−−−−−−−−−−
 
  SSINDEXに戻る