事件報道から、二週間。
乃ち、佐祐理さんへの中傷開始から一週間。
あれから自治会連中は、散発的なアジテーションを行う以外、これといった攻撃は仕掛けてこなかった。
何が来るのかと身構えていた俺達にとって、それはいささか拍子抜けさせることだった。
ただ、それだけであるにせよ、決して平気でいられる俺達ではなかったが。
祐一「そういえば、高校の頃も生徒会と対立して、なんでかやってたことがあったな。」
舞「・・・私の所為で、佐祐理と祐一を巻き込んだ、あれのこと」
祐一「舞の所為じゃないさ。いろんな小さなひずみが積もり重なって、それが一気に俺達に降りかかってしまった。ま、言うなれば不幸な事件さ。」
舞「・・・今度のは?」
祐一「わからん。事今回は、俺達は完全に『部外者』だからな。部外者には、さすがに事件の真相が、さっぱり見えてこない。」
舞「・・・じゃあ、佐祐理一人がこのまま傷つけられていくの」
祐一「そうならないことを願うのみだな。出来るなら、俺達の方に火の粉が降りかかってくれた方が、よほど気が楽なんだが・・・。」
そのときは、そう思っていた。火の粉が実は火流弾であるとも知らず。
祐一「そういえば。貴様は、何か知ってるんじゃないのか?」
新濃「何を?」
祐一「この事件についてだよ。何か思わせぶりなこと言ってたじゃないか。」
新濃「・・・・・・。」
祐一「黙り込むって事は、何か知ってるな?」
新濃「知れば厄介なことに巻き込まれる。場合によっては、危険ですら・・・・・・・。俺が今教えられるのは、それだけだ。」
祐一「危険は承知だ。だけど、このまま佐祐理さんをひとりぼっちになんて、出来ない。」
新濃「彼女は、なんて言ってるんだい?」
祐一「何も言わない。関わるなとでも言っているようだよ。」
新濃「賢明な判断だな。」
祐一「だからって、何もせず手をこまねいているなんて・・・・俺には出来ない。」
新濃「熱き友情だな。羨ましいよ。」
祐一「はぐらかすな。」
新濃「友情は、確かに強い心の支えになる。でも同時に、敵に付け入られる隙ともなりうるんだ。それを忘れるな。」
隙、か。
確かに、あのときもそうだった。
生徒会。
彼らは、佐祐理さんを取り込みたがっていた。その友人である舞の存在そして所行を知った彼らは、そこにつけ込んで、二人を攻撃してきた。
新濃「連中が彼女の友人関係をどこまで把握しているかわからないがな。本人よりも親族や友人を攻撃するのは、よくあることだ。旧日本軍の拷問みたいにな。」
じゃあ、今回もまた、友人である俺や舞に攻撃が来るというのか。
祐一「・・・だったら望むところだ。かかってきやがれ。」
新濃「意気込むのは良いが、君に直接かかってくるとは限らないぞ。」
祐一「え?」
新濃「いや、むしろ君ではないだろう。もし私なら、弱いところから突いていくからな。」
祐一「弱いところ・・・。」
新濃「叩けば壊れそうな関係で、あわよくば自分の味方に引き込めそうな、そんな人物。いればだがな。」
祐一「つまりそれは、・・・俺や舞以外の誰か、って事か?」
新濃「君がそう言うんなら、多分そうなんだろう。私は、彼女の友人関係をよく知らないからな。」
祐一「だったら、俺はどうすれば良いんだ。」
新濃「彼女の友人を知っているなら、単独行動は避けさせろ。もちろん、君たちもだ。それから、これは悲しいことだが・・・不用意に他人と関わりを持たないようにするんだな。」
祐一「巻き込まないために、か・・・。」
新濃「手遅れ、ってこともあるがな。」
そう言った後、新濃はぱらぱらとノートをめくりながら、黙ってしまった。
祐一「そういえば、香里遅いな。いつもなら、もうとっくに来てる頃だ。」
新濃「・・・そうだな。」
「美坂香里さん、ですね。」
香里「何か?」
「ちょっとおつきあい願えますか。」
香里「・・・・・パス。」
「手間はとらせませんよ。」
香里「ちょっと、何すん・・ぐっ!」
祐一「俺、探してきます。」
新濃「・・・・そうだな、私も行こう。ここで待ってる意味は、あまりないからな。」
焦燥感。
香里「・・・・・・。」
男1「よし、ここなら、声を出しても気づかれはしないだろう。」
男2「拘束しなくていいのか?」
男1「その必要はない。話し合いは、あくまで穏便に対等に、というのが鉄則だ。」
香里「・・・既に、穏便でも対等でもないわね。」
男1「・・・まあ、不幸な結果といったところだな。」
香里「話し合いといったわね。何が目的?」
男1「おや、君ほどの人物なら、心当たりからとっくに推察をつけているところだと思ったが?」
香里「・・・・・・。」
男1「わかるね。」
香里「・・・・わからないわ。」
男1「なるほど。それは、とりあえずの回答と受け取ってよいかな?」
香里「解釈は勝手だけど。あたしは、日本語と英語以外は解らないの。」
男1「なるほど。ちゃんと説明しろと言うんだな。」
男2「今の君の立場は、君にとっても我々にとっても、あまり好ましくはない。そういうことだよ。」
香里「どの立場かしら?大学生であることが気にくわないのかしら?」
男1「あくまではっきり言わせたいらしいね。いいだろう。」
男2「倉田佐祐理のことだよ。」
香里「・・・・・・・。」
男1「ここまで言ってまだしらを切るんなら、さすがにそれは侮辱と見なさざるをえないぞ?」
香里「あたしと佐祐理さんが知り合いだなんて、よく知ってるわね。」
男2「倉田佐祐理のこととは関係なく、君のことは既に調査対象だったからな。」
香里「ずいぶん買いかぶられたものね。」
男2「そうじゃない。あの部に入った奴は」
男1「おい。余計なことは言わんでいい。」
香里「?」
男1「・・・ま、気にしないでくれたまえ。」
男2「とにかく。君と倉田の関係は、決して良いことじゃないと思うわけだ。」
香里「・・・手を引けっての?」
男1「それは、最低限の条件だな。」
香里「何を望むの。」
男1「君ならどうする。」
香里「さあ。わからないわ。」
男1「君はしらを切るのが好きだね。あまり良いことではないな。」
香里「あなた達は、人の言ったことを理解できないみたいね。」
男2「残念ながら、こればかりは我々の口から言うことは出来ない。あくまで君の意志でやって貰わないと、意味のないことだからな。」
香里「だったら断るわ。」
男1「それは、決して賢明な判断ではないな。」
香里「そうかしら?」
男2「我々はあくまで君の意志を尊重するが、同時にそれが我々にとってよいものであることを望んでいるからね」
香里「そういうのは、意志を尊重しているとは言わないわ。」
男1「そんなことはない。不幸な結末を選択するのも、それもまた自由だからな。」
香里「殴ったぐらいじゃ、あたしは落ちないわよ。」
男2「わかっているさ。だから、かなり手荒なまねをすることになってしまうよ。」
男1「我々も人間だ。つまり、人の考えつく以上のことは出来ないと言うことだな。」
男2「君も、こんなところで花を散らしたくはないだろう。」
香里「・・・・・・・・。」
男1「どちらが得か、よく考えるんだね。」
校舎の角を折れたところで、香里を見つけた。
祐一「香里・・・・。」
沈鬱な表情をしていた香里。だが俺の声に、咄嗟にその表情を造り替える。
香里「相沢君。どうしたの?深刻な顔して。」
祐一「大丈夫か香里。何かあったんじゃないか?」
香里「何かって、なに?」
平然と言い放つ香里。
その表情だけを見れば、なにもなかったと素直に信じ込んでしまうところだろう。
だが、俺は知っている。
香里が演技派だということを。
そして、造り替えられる前の、あの沈鬱な表情を。
祐一「何かは知らないけど、なんか悪いことがあったんだろう。なんだよ?」
香里「・・・・・・・。」
・・・・言いたくないことなのだろうか。
祐一「じゃあ、実際なにがあったのかは、訊かない。だけどこれだけは答えてくれ。何かがあったのか、無かったのか。」
香里「・・・相沢君にはかなわないわね。」
やはり何かあったらしい。
だが、その何かがわからない。
祐一「・・・・・・。」
訊かないと言ってしまった以上、それ以上のことを俺から訊くわけにはいかなかった。
香里「・・・みんなには、黙っていて。」
それが香里の返答だった。
祐一「・・・わかった。」
そう答えるしかなかった。
授業の行われていない教室。そこに屯する数名の学生。
その中に、佐祐理さんの姿もあった。
香里「佐祐理さん。」
佐祐理「香里さん。ちょうどよかった、この数式が解けなくて困ってたんですよーっ」
香里「ああ、これはね・・・・」
なんの気兼ねもなく話してくる佐祐理さん。
あたしと彼女の関係は、もうそういう間柄なのだ。
香里「佐祐理さん。」
そんな彼女に、あたしは問いかける。
香里「あの事件のこと、どう思ってる?」
佐祐理「・・・・。」
酷な質問だ。それを承知で訊いている。
佐祐理「・・・みんなに迷惑かけて申し訳ないと思ってます・・・・」
香里「そう言うと思ったわ・・・。」
佐祐理「あは・・・・」
香里「でも、あたしのことに関しては、そういう心配はしないで。」
佐祐理「ふぇ?」
香里「きっと、あたしの方があなたを傷つけることになるだろうから・・・・。」
佐祐理「そう言って、香里さん立ち去ってしまったんです。」
祐一「・・・わからん。香里の行動はいつも謎だが、それは実際はどうでもいいことが多いんだけどな。」
佐祐理「でも、あの言葉がどうでもいいこととは思えません。」
祐一「そうだな。」
舞「・・・祐一、何か心当たりはないの。」
祐一「ないでもないが・・・・。」
言うなと言われている。
いや、たとえその約束を反故にしたところで、実際何も言うことなど無い。
何があったのかは知らされていないのだから。
佐祐理「・・・ごめんなさい。」
祐一「え?」
佐祐理「佐祐理の所為で、おかしな事になってしまって・・・・。」
祐一「それは違うと、何度も言ってるだろっ」
舞「・・・違う。」
祐一「ほら、舞もこう言ってるし。な。気にすんなって。」
佐祐理「・・・・・・。」
祐一「ま、香里には俺の方からそれとなく聞いておくよ。たぶん、大したことじゃないぜ。」
そう願いたい。
名雪「・・・祐一、どうしたの?難しい顔して。」
祐一「ん?あ、ああ。」
香里のこと。佐祐理さんのこと。非難連中のこと。
そういういろんな事が複雑に絡み合って、俺の思考をぐちゃぐちゃにしていた。
難しい顔にもなるだろう。
名雪「何か困ったことがあるなら、相談に乗るよ?」
祐一「・・・・ああ。」
そうだ。香里のことは名雪を通した方がいいかもしれない。
俺が直接訊くよりも、親友の名雪から訊いた方が・・・
いや、だめだ。
名雪を巻き込むべきじゃない。
連中が佐祐理さんの交友関係をどこまで把握しているかわからないが、できるだけ無関係な人間は関わらせない方がいい。
名雪と佐祐理さんは学部も違う。同じ高校の出身とは言え、学齢が違う。俺を通した以外の関係はないのだ。
祐一「いやなに、レポートをどう片づけようか悩んでいただけさ。」
名雪「・・・そう。」
たぶん納得していないだろう。
だけど、話すわけにはいかない。
祐一「よし、悩むより行動。今から片づけてくる。」
名雪「え?!食事途中なのに・・・」
訝しがる名雪を後目に、俺は自分の部屋に引きこもった。