恋はいつだって唐突だ。
事件の始まりも、いつだって唐突だ。
その日俺は、新聞を読まずに学校にきた。とは言っても、普段から家で読んでくることは少ない。舞が持ってくる新聞を、授業の始まる前のひとときに読む。それが習慣化していた。
だがその日は、まだ舞は来ていなかった。
祐一「ふうん・・・舞の方が遅いなんて。佐祐理さんもいないし。ま二人一緒だから当然だけど。」
香里「相沢君、おはよう。」
祐一「おはよう。二人が来てないけど、佐祐理さんの車壊れたのかね。」
香里「相沢君、知らないの?」
祐一「何を?」
香里「う〜ん、あたしが言うより、新聞読んだ方がいいんだけど・・・」
祐一「その新聞が来てないわけだからな。」
香里「川澄さんはともかく、佐祐理さんは今日は来れないかも知れないわね・・・。」
祐一「気になるなあ・・・・。」
舞は授業中にやってきた。だが香里の言葉どうり、佐祐理さんは結局来なかった。
祐一「舞、どうしたんだ?遅刻するなんて珍しいぞ」
舞「・・・電車で来た。」
祐一「電車で?佐祐理さんは?」
舞は返事をする代わりに、今日の朝刊を差し出してきた。
祐一「へえ。三葉銀行、信越銀行に吸収されるんだってさ。」
舞「・・・その横。」
一面トップの横、つまり左上の記事に目をやる。
祐一「インターパーク進出の外資系企業と民新党議員が献金疑惑。今時疑惑献金だなんて、メリット無いだろうにねえ。」
舞「・・・・・・。」
祐一「で、これがどうしたって?」
舞「・・・その議員。名前。」
祐一「民新党の倉田代議士(北越1区)・・・・倉田?」
香里「佐祐理さんのお父さんよ。」
新聞記事によると、疑惑は県都南に造成中の「北越インターパーク」
が舞台らしい。北越インターパークは、県並びに北陸地方の情報産業・人材育成を目的として作られている施設で、企業エリアには外資系を中心に12社が進出を表明しているらしい。
祐一「進出の際の便宜でもはかってもらうつもりだったんだろうか・・・。」
新濃「この事件は、そんな単純なものではないね。」
祐一「何でお前がこんなところにいるんだ。」
新濃「何を言う。ここは我らが偉大なる郷土研究部の部室だぞ。部長の私がいるのは当然だ。」
祐一「はいはい。で、単純じゃないって、何?」
新濃「『北越インターパーク』構想が策定されたのは9年前。その後、改革党政権の頃に本格的に動き出した。」
香里「そんな時代もあったわね。」
新濃「通産・郵政・運輸・文部の4省合同企画として動き始めたプロジェクトだが、縦割り意識の弊害で計画は暗礁に乗り上げるかと思われた。それをうまくまとめ上げたのが、地元選出の倉田議員だ。」
祐一「へえ。ま、いわゆる地元のためって奴かな。」
新濃「おかげで計画は順調に進み始めた。ちょうどそのころ、県知事選があった。白民党推薦の現職に、倉田議員と親しい人物が挑んで、勝った。だが、勝ってしまったことで、新たな紛争の種ができてしまった。」
祐一「どういうことです?」
香里「利益誘導、という攻撃をされたのね。知事選に勝つために、強引に大型プロジェクトを引っ張ってきたという。」
新濃「そう。しかも、県内にもう一つ候補地が名乗りを上げていたことも問題だった。」
祐一「もう一つ?」
新濃「県西部の環笠市周辺だ。あそこら一帯は北越3区で、白民党の牙城でもある。」
香里「白民党の地盤を押しのけて、倉田議員の地元が勝っちゃったわけね。」
新濃「この件をきっかけに、白民党県連の倉田議員に対する憎悪は、ますます激しいものとなったわけだ。白民党が中央政権に返り咲いて以来、1区内への国家投資は徹底的に干されている。」
祐一「でも、それと今度の事件と何の関係が?」
新濃「今度の事件は、東京のゴシップ系へのリークが発端だ。このことから、一部勢力によるでっち上げという噂もある。」
祐一「でっち上げ・・。でも、全国紙の一面にも載ってるんだぜ?いくら何でも、ガセって事は・・・。」
新濃「一部関連企業から献金があったことだけは事実らしいからな。ま、保守政治家なら誰でも受け取っていたものなんだが・・・。」
香里「政治家個人への企業献金が禁止されたのは、つい最近だからね。」
祐一「そうか・・・。じゃあ、これで倉田議員の政治生命が絶たれるとは限らないんだな。」新濃「ま、一応はそういうことになるがな。」
香里「佐祐理さんも、騒ぎが落ち着けば学校に来られるわね。」
新濃「・・・・そうなってくれればよいのだが。」
祐一「・・・?なんだ、なんかあるのか?」
新濃「・・・いや。ちょっとした杞憂さ。」
杞憂といいながらも部長の目は、その心の中に不安を隠せないことが見て取れるものだった。
7:自治会
事件が新聞で報道されてから、一週間が過ぎていた。
一億二千万余の人口を抱えるこの国では、新聞に載る記事には事欠かない。倉田議員に関する贈賄疑惑の記事は、あの後さほど大きく報道されることもなかった。そして。
佐祐理「おはようございますーっ。」
祐一「おはよ」
香里「おはよう。」
舞「・・・おはよう」
佐祐理さんは、既に何事もなかったかのように登校してきていた。
祐一「何か一波乱起こるかなと思ったけど、杞憂だったみたいだな。」
香里「少なくともあたしたちの周りでそんなこと起こるわけないでしょ。秘書が妻が、ってのはあったけど、娘が収賄に絡んでいたって話は聞かないもの。」
祐一「そうだよな。」
その日までは、そう思っていた。何事もない、平穏な大学生活が続くと信じて疑わなかった。
だが。
翌日。登校した俺は、正門から続く大通りで、アジテーションをしている連中を見た。
「・・・・・かのような汚職議員の存在は、まさに現在日本の腐敗の投影、堕落の象徴である。これはひとえに、米国から押しつけられた憲法と、その元で実施された戦後民主主義教育の産物である・・・・・」
祐一「なんじゃありゃ。」
新濃「自治会だよ。」
祐一「・・・貴様か。で、自治会ってのは、この大学のか?」
新濃「正確には、福祉学部だけは別組織だがな。」
祐一「自治会なんてあったんだな。あ、そう言えば、会費払えとか言う封書が来てたような気もするな。」
新濃「払ったのか?」
祐一「誰が払うか。」
新濃「それでいい。」
祐一「・・・・?」
「・・・この事件は、決して我々県大生にとっても無縁ではない。事件の舞台が県の事業にあり、この大学が県立大学であるというのも理由ではある。だが、それ以外にも、我々には看過できない事実があるのだ・・・」
祐一「でも自治会って、生徒会みたいなもんだろ?こんな政治活動まがいのこともするのか。」
新濃「大学の自治会は、生徒会とは違う。大半が何らかの政治組織の傀儡だからな。」
祐一「そうなのか・・・。」
新濃「ま、ここの自治会は、ちょっとだけ事情が違うけどな・・・。」
「・・・諸君は知っているだろうか、この大学には、かの疑惑議員の娘が在籍していると言うことを!」
祐一「・・・ん?!」
「確かに、彼女自身は贈収賄に関わっているわけではないだろう。だが、彼女の父親が社会規範から逸脱する行為をしたことに対し、娘として何らかの誠意を見せるのが筋と言うものではないだろうか?」
祐一「なんだと?!」
「だが彼女は、何らの反省の色を見せることもなく、何事もなかったかのように悠々と登校し、当たり前のように一般学生と一緒に授業を受けたりしているのだ!」
祐一「・・・・・・。」
「我々は、全学の代表として問う、倉田嬢、あなたは汚職議員の娘として、何らかの社会的責任をとる用意があるのか、誠意を見せる腹づもりがあるのか・・・・」
祐一「くっそ、あいつらっ!」
新濃「今はよせ。」
拳を握って走り出そうとする俺を、部長が後ろから引き留めた。
祐一「放してくれ、佐祐理さんは・・・・」
新濃「いいから、今は抑えろ。」
祐一「どういうことなんだあれは、え?あんたは、何で止めたんだよ!」
部室で、俺は新濃に詰め寄っていた。
佐祐理「祐一さん、落ち着いてください・・・。」
部室には、佐祐理さんと舞もいた。
新濃にここに引っ張られてくる途中で出会い、そのままここまでついてきたのだ。
祐一「だけど、だけどよっ」
新濃「ここは高校じゃないんだぞ。君の方から殴りかかれば、放校処分だけでなく、刑事告訴だってあり得るんだぞ。」
祐一「だったら、口論だったらいいんだろう。何故引き離すようなまねをした!」
新濃「冷静になれ。君一人が熱くなっても、奴らには勝てんぞ。」
祐一「あんたはいいよな!無関係な人間はどんなこと言っても・・・」
ばしゃっ
祐一「★????!!!」
舞「・・・祐一、落ち着く。」
舞にバケツで水を浴びせられた俺は、とりあえず呆然とするしかなかった。
香里「相沢君が落ち着いたところで、じっくり対策を考えましょうか。」
いつの間にか、部屋には香里もいた。
新濃「幸い、あの演説には、倉田さんのフルネームは出ていない。だから、今すぐ一般学生から後ろ指を指されることはないと思う。」
佐祐理「お父様のことは、他の人には話してないですからね。」
香里「あら、あの演説全部聞いてたの?相沢君ここまで連行してきたはずなのに。」
新濃「いや。あらかじめ、あれの原稿を入手していてね。」
舞「・・・どうやって。」
新濃「ま、その事は今は良いじゃないか。」
香里「そうね。佐祐理さんを中傷から守る方が先決ね。」
佐祐理「佐祐理は・・・・別に、言われても平気ですから。」
新濃「君は平気かもしれないが、どうやら相沢君の方が平気じゃないらしいからね。」
香里「それに、あんな公然と演説してまで佐祐理さんを攻撃したのよ。何か、裏というか、目的があるんじゃない?」
新濃「だろうな。」
舞「・・・だったら、あれだけで済むとは思えない。」
香里「じゃあ、急いで対策立てないと。」
新濃「でも下手に動けば、逆に佐祐理さんを晒し者にすることにもなりかねない。」
佐祐理「・・・・・・・。」
黙り込む一同。
そして、口を開いたのは舞だった。
舞「・・・ここ、暑い。」
佐祐理「こんな狭い部屋に、7人も集まってますからね。」
新濃「7人も部員が集まるなんて、感激だなぁ・・・。」
香里「こんな時に冗談はよして。」
俺は終始沈黙していた。騒ぎの背景も解らなかったし、佐祐理さんを守る方法も思いつかなかった。
何も出来ない自分が、口惜しかった。