教授「・・・このように、農村から都市への急速な人口移動が起こり、それに伴って旧来の大家族制は徐々に崩壊していったわけです。そのため、それまで一族の伝統として受け継がれてきたものは・・・・」
北川「・・・・・・・。」
眠い。
おおよそ講義などというものは、眠くなるものと相場が決まっている。
単調だからだ。
高校と違って好きで取っている分、確かに集中しやすい。
が、いくら何でも90分間集中力を持続しろと言うのは、酷な話だろう。
気晴らし代わりに、隣を見る。
名雪「・・・(くー)」
案の定、寝ていた。
寝ながら話を聞けるほど、水瀬は器用じゃないだろう。
・・・しゃあない、俺が起きておいてやるか。
♪た〜ら〜ららららら〜♪
名雪「・・・・・????」
北川「よっ、水瀬。おはよう。」
名雪「・・・授業終わっちゃったんだ・・・。」
北川「寝てたから全然聞いてない、だろ?」
名雪「うん・・・・・。」
ぴっ
ぱたぱたぱた
北川「俺は、聞いてた。ノートもある。」
名雪「・・・北川君。」
北川「いいぞ、貸しても。」
名雪「ごめんね、いつもいつも」
北川「ああ、ほんとにいつもだ。だからもう俺は、これが当たり前だと思ってるよ。」
名雪「・・・北川君、もしかしてひどい事言ってる?」
北川「そんなことはない。俺は相沢と違うからな。」
夕刻。
祐一「俺が部屋に入ると、名雪は既に帰宅していた。」
名雪「祐一、最近独り言多いよ?」
祐一「独り言も言いたくなるさ。こんな世知辛い世の中じゃな。」
名雪「そんなに世知辛いかな・・・?」
祐一「ああそうさ。俺はもう、人間なんて信用できなくなってるね。」
名雪「祐一・・・・。でも、私のことは信じてくれていいからね。」
祐一「いーやっ。お前こそ、信用できない。素で俺のことを惑わしてくれるからな。」
名雪「わっ、ひどいよ。わたしそんなことしてない。」
祐一「そんなはずはない。お前の天然ぶりは、はっきり言って精神兵器だからな。」
名雪「・・・・・・・。」
祐一「ん?なんかまだ用か?」
名雪「祐一、あのね。北川君に聞いたんだけど。香里・・・」
あのことか。香里の件についての、北川からの報告だな・・・
名雪「南国フルーツカツサンド、食べたんだって。」
祐一「は?!」
名雪「だから、あの生協の、話題のメニュー・・・・」
祐一「・・・・・・・。」
元から機嫌は良くなかったのかもしれない。
祐一「そんなくだらない話、するなよっ」
つい、名雪に怒鳴ってしまった。
名雪「・・・・・・。」
名雪「ごめんね北川君〜ん」
北川「いいさ、今日はこうして、昼飯奢って貰ってるわけだし。」
いつものようにノートを水瀬に貸した日。
あまりにしょっちゅうじゃ悪いからと、昼飯をごちそうになることになった。
名雪「でもそれ、かけそばだよ?いいのそれで。」
北川「ああ、かまわない。俺かけそば好きだから。」
名雪「卵くらい入れればいいのに。」
北川「いいやっ、そのような余計な物を入れてはいけない。何ら不純なものの入らない、純粋に汁とソバだけで構成されるこの一杯の丼。このシンプルさこそ、今日本が求めるスタンダード・オブ・ランチなのだっ!」
名雪「でもそれ、ネギと揚げ玉入ってるよ?」
北川「ああっ、やられた!あのおばちゃん、いつの間に・・・」
名雪「前から入ってると思うよ。北川君、かけそば初めてじゃないのに・・・」
名雪「ねえ、北川君・・・」
俺がソバをすすっていると、水瀬が話しかけてきた。
0.7秒で垂れ下がるソバを飲み込む。
北川「なんだ?」
名雪「祐一・・・わたしのこと嫌いなのかな?」
北川「何だ唐突に・・・喧嘩でもしたか?」
名雪「祐一がね・・・わたしのこと、天然精神兵器だって。」
北川「なんだ。いつものイヂメじゃないか。」
名雪「ううん・・・それに、わたしのこと信用できないって。」
北川「なんで。」
名雪「祐一のこと、惑わしてるんだって。」
北川「・・・・・。」
俺は、丼から箸を放してくるくると回した。
北川「・・あいつ最近疲れてるからな。それで、ついあたっちゃったんじゃないか?」
名雪「そうなんだ。祐一、疲れてるんだ・・・」
北川「ま、いろいろあってな・・・」
・・・・・・・・・。
北川「・・・そうだな、いい加減水瀬には、事情を話しておくべきだろうな。」
名雪「事情?」
北川「ああ。相沢祐一と、美坂香里、美坂栞、そしてこの俺北川潤の関係について。」
名雪「香里と、栞ちゃんに、北川君?」
北川「ああ、もちろん水瀬も入るな。あと川澄さんも絡んでるらしいが、そこら辺は俺はよく知らないから割愛させていただくとして・・・」
名雪「・・・なんなの?」
俺は水瀬に、これまでのいきさつを説明した。
栞ちゃんと相沢が別れたところから始まり、俺が美坂(姉)と協力していたこと。美坂が相沢を好きで、それを栞ちゃんがばらしてしまったこと。相沢が美坂に確認を取ったら美坂は否定して、現在はそこで停滞中、というところまで。
特に美坂が相沢を好きだということに、水瀬は驚いたようだ。
名雪「わたし、知らなかったよ・・・・」
北川「だろうな。」
名雪「香里、辛かっただろうね・・・」
北川「ま、9年待った水瀬と比べたら、どうかな・・・」
名雪「でも、どうして北川君は香里に協力するの?」
北川「それはま、・・・・ちょっと言うのは恥ずかしいな。」
名雪「自虐的な愛・・・?」
北川「なんで?」
名雪「だって、香里は祐一のこと好きなんでしょ。それなのに、北川君は香里に協力したりして。」
北川「それはまるで、俺が美坂に惚れ込んでいるかのように聞こえるのだが?」
名雪「世間の噂では、そういうことになってるよ?」
北川「・・・・水瀬。お前やっぱ、天然精神兵器かもしれない。」
名雪「わっ、北川君まで。ひどいよ〜」
北川「まあ、ホモ扱いされるよりはましだけどなあ・・・」
俺は気を取り直すために、丼に残っていた汁を一気に飲んだ。
北川「かはぁ〜〜〜・・・」
名雪「・・・ねえ。じゃあ、北川君はどうして香里に協力してるの?」
北川「ん?ん〜・・・お互いの幸せのためっ、てとこかな。」
名雪「お互いの・・・?」
北川「あ、う、んん。これ以上は、今は言えない。」
名雪「どうして?」
北川「水瀬が・・・相沢の方を向いているからさ。」
名雪「・・・・・・。」
水瀬が、顔を上げてきょろきょろしている。
俺の肩の向こうに、何かを捜している。
名雪「・・・今はいないよ、祐一。」
北川「・・・・・いや。そういうことじゃなくてさあ・・・・・」
・・・・ま、今はいいか。
北川「焦る必要はないよな、うん。」
名雪「・・・・・・。」
北川「でもってとりあえず。水瀬は、相沢のことどう思ってるんだ?」
名雪「祐一・・・・?」
顔は、あげたまま。でも、目がだんだん沈んでいくのがわかった。
名雪「祐一は・・・変だよ。」
北川「ああ、変な奴だ。で。そういうこと訊いてるんじゃないってのは、わかってるよな?」
名雪「うん・・・・。」
とうとう、顔まで沈んでしまう。
名雪「わからないんだよ・・・・」
北川「わからない。」
名雪「今のままなら、祐一きっと私のことそんなに嫌ったりしないよ。でも」
名雪「もし、これ以上進もうとしたら、祐一、また私のこと嫌いになるかもしれない・・」
名雪「・・・わたしもう、祐一に嫌われたくない・・・」
北川「それは、相沢のこと好きだって言ってるに等しいな・・・」
名雪「え?あ、わっ、それは・・・・」
あたふたと慌てた後、水瀬はぽつりと言った。
名雪「・・・ごめんね。」
北川「謝る必要なんか無いだろう。」
名雪「うん、それはそうなんだけど・・・」
北川「それに、俺はとっくにそのこと解ってたからな。」
名雪「・・・・・・・・。」
水瀬は黙ってしまった。
俺は、丼のそこに残っただし殻を、箸で一つ一つつまんで食べていた。
名雪「・・・北川君。北川君は、どうしてそれがわかるの?」
北川「ああ〜・・・言ったらまずいかもしれないけど、美坂にいろいろ聞いてな。それに、・・・俺自身、何となくそうじゃないかと感ずく部分もあってね。」
名雪「自分の直感、信じるんだ。」
北川「そんなに鈍感だとは思ってないからな。」
名雪「私は、・・・ちょっと鈍感だからそういうのすぐわからないんだけど・・・」
北川「ん?」
名雪「ねえ北川君。もし、もし間違ってたら恥ずかしいけど、私のこと・・・・・」
・・・・・・。
北川「いや、あってたなら恥ずかしいな、俺が。・・・恥ずかしいな。」
名雪「やっぱりそうなんだ・・・・。」
北川「あ・・・・もしかして、そんなの凄くイヤ!だとか?」
名雪「そ、そんなことないよ・・・・ただわたし、そういうのわからないって言うか、わかりたくないって言うか・・・・怖いんだよ。」
北川「怖い?」
名雪「うん。・・・他にいい言葉思い当たらないから・・・」
北川「怖いねえ・・・。そういえば、さっき『また』とか言ってたよな。相沢に嫌われるとか何とか。昔・・・何かあったのか?」
名雪「・・・・・・・。」
北川「ん、ま、これはプライベートだな。いや悪い。」
名雪「ごめんね。」
北川「いちいち謝るなって。ま、それは別にして。今現在の問題は、今の尺度で解決するべきだよな。」
名雪「今の・・・」
北川「人は成長する生き物さ。昔の相沢と今の相沢は、違うかもしれないぜ。」
名雪「うん、・・・・・」
北川「少なくとも俺は、あいつはそこそこいいやつだと思う。」
名雪「そこそこなんかじゃないよ。いい人なんだよ。」
北川「わかったわかった。だったらさ、そんな『好きです』言われて突き放すような真似、すると思うか?」
名雪「・・・・・・。」
北川「・・・ま、それでも、どうしても進むのが怖いんだったら。」
名雪「だったら?」
北川「そういうときは、二人で行く、ってのも手段のうちだぜ?」
名雪「え?」
北川「ほら、お化け屋敷とか、夜のトイレとか、そうだろ。」
名雪「そういうものなの?」
北川「・・・違う気もするけどな。だけど、一人より二人ってのは、あってると思う。」
名雪「うん。それはわかるよ。」
北川「だから、困ったことがあったら何でも俺に相談しろよ。場合によっては相沢と話しつけ・・・・ってあれ、何でこんな話になってるんだ。俺、水瀬と相沢の仲邪魔しなきゃいけないのに。」
名雪「(くす)」
北川「がーん!水瀬に笑われた!」
名雪「え?!そ、そういうんじゃないよ。ただ、北川君いい人だな、っておもって・・・」
北川「いい人、か。・・・ま、せめてこの事実を、心の奥にしっかり刻み込んで置いてくれよ。」
名雪「うん、そうするよ。」
北川「水瀬・・・」
名雪「うん?」
北川「俺、さすがに応援は出来ないけど・・・」
名雪「・・いいよ。北川君は・・・今はしっかり香里の応援して。」
北川「ああ。」
名雪「こういうのって、難しいねっ」
そういって水瀬は、先に行った。
電話がかかってきたのは、夕方だった。
祐一「もしもぉし、相沢だけど水瀬かもしれないけど、やっぱり相沢。」
北川「つまり田中だな。」
祐一「貴様・・・北川か。」
北川「お生憎様、俺は北川だ。」
我ながら意味不明な会話をしている。
祐一「で、何の用だ?」
北川「ああ、例の件だ。それプラス、重大な伝達事項、だな。」
祐一「重大な?」
北川「ま、とりあえず話を聞いてくれ。」
受話器を置いた俺は、少し呆然としていた。
とりあえず、香里が俺のこと好きだというのは本当で、香里は単に恥ずかしがってただけだ、という話だった。
それだけじゃない気もするが、まあそこら辺二人の間の取引があったのかもしれない。
それはいい。
だが俺の頭には、そのあとの北川の言葉が強く印象に残っていた。
北川「相沢。たった今から、貴様は俺の敵だ。」
祐一「敵?!どういうことだ、何でお前が、急に。」
北川「理由はいずれわかるさ。」
祐一「なんだよそれ・・・」
北川「いや、・・・・解ったときが俺の勝利、ってとこかな。」
祐一「はっきり言って無茶苦茶気になるぞ。」
北川「はっはっは、気にしろ気にしろ。」
祐一「なんなんだ一体。」
北川「ま、とにかく俺は、貴様にとって敵になった。そういうわけだ。」
祐一「だから?」
北川「ということで、敵である俺に塩を送ってくれ。」
祐一「・・・・・・・。」
名雪「祐一、どっか行くの?」
靴を履く俺に、名雪が声をかけてくる。
祐一「ああ。バカ北川のところに、塩を持っていってやる。」
名雪「無くなっちゃったんだ・・・・」
ぱー、ぷー
どこかで豆腐屋のラッパが鳴っていた。