夏休み。今度こそ、本当に夏休みだ。
試験の結果?夏休み明けでないと解らないのさ。
香里「誰に向かって言ってるの?」
祐一「もちろん香里だ。この部屋には、俺と香里しかいない。」
香里「ふ〜ん。」
組んだ腕に顎を乗せたまま、抑揚無く返答を返してくる。
祐一「しかし、暑いな・・・。」
アブラゼミが騒がしい外。その外の気温とこの部屋の気温に、さしたる違いはない。
ここは郷土研究部の部室。
宿題もなく、特にこれと言ってやることもない俺は、ついこの部室に足を運んでしまっていた。
香里「夏なんだから、暑いのは当たり前よ。」
郷土研究部部長、美坂香里。彼女もまた、さして何かをするわけでもなくこの部室に居座っていた。
祐一「でも、俺達は爛熟した科学文明の世に生きているんだぜ?建物の中にいるときくらい、その恩恵に与りたいと思わないか?」
香里「どうしろっていうの。」
祐一「クーラー作ってくれ。」
香里「いやよ。」
祐一「なんで。香里だったら、30分くらいで作れるんじゃないのか?」
香里「作れるわけないでしょ。あたしをなんだと思ってるの。」
祐一「空を駆け世界征服をオリオン星雲に誓うマッドサイエンティスト」
香里「・・・・・。」
腕に乗せていた顔を、きっと上に上げる。
祐一「・・・ごめんなさい。」
こういう時は、素直に謝っておくに限る。
香里「ま、今日は許してあげるわ。」
祐一「それがいい。怒ると余計暑くなるからな。」
新濃「やあ、お二人さん。熱いねえ。」
祐一「そりゃあ、夏だからな。そうか、変態でも夏は暑いと感じるか。」
新濃「いや、私は『熱い』と言ったのだが。」
祐一「・・・・・?暑いんだろ。」
新濃「そうか、口で言ってもわからないよな。」
そう言って、壁に掛けられたホワイトボードに歩み寄る。
祐一「・・・どういう意味だ?」
新濃「そのまんまさ。密室の中で、若い男女が語り合っている。その光景を見たら、普通ならどう思うかな?」
祐一「日本経済の将来について、産業育成の面から議論している。」
新濃「相沢君、君はやはり、私の見込んだとおりの男だ。期待どうりの答えをしてくれて嬉しいよ。」
はっはっはっと笑いながら、前部長は部室の脇にある扉の中に入っていった。
祐一「くそ変態が。つまんねー事でからかいやがって。」
香里「・・・そうね。」
本当につまらなさそうに応える。
祐一「そういや、今変態が入っていった部屋。あれ、何?」
香里「知りたい?」
祐一「から訊いてるんだ。」
香里「入ってみたら?」
入って。
そのドアは、特に隠してあるというわけでもないが、書棚やらなんやらが置かれている所為で何となく目に付きにくいところに位置している。
朽ち果てた木製の材質。しかもそこに張ってある日本地図には、所々×印がうたれたりしている。
あやしい。
祐一「・・・・・・。」
香里「入らないの?別に怒られないわよ。」
祐一「・・・香里は、入ったことあるのか?」
香里「もちろん。部長だもの。」
祐一「・・・中に何があるんだ?」
香里「秘密。」
祐一「なんで隠すんだ。」
香里「隠してないわ。入れば解ることだもの。」
・・・・どうしよう。
[入る]
[入らない]
香里「?」
祐一「いや、プレイヤーに入るか入らないか決めさせようと思ってな。」
香里「・・・プレイヤーって、誰。」
祐一「それは・・・・・」
突如、香里がにっこりと笑う。
香里「・・・あたししかいないのよね。」
祐一「な、なんだその、優しげでいて且つ心の奥底に正体不明の恐怖心を植え付けるような笑みは・・・・」
香里「別に。」
祐一「別にってこと無いだろ・・・絶対。」
香里「あたししかいないってことは、プレイヤーってあたしよね。」
祐一「そ、そういうこととは・・・」
香里「あたしがプレイヤーって事は・・・・今あたしは、相沢君のことを好きに出来るって事よね・・・?」
祐一「ちょっと待て、その発言はめちゃくちゃアブナイぞ!」
香里「何をされると思ってるの?」
祐一「そりゃあまあ、いろいろと・・・・」
香里「はあ・・。どうせまたいやらしいこと考えてるんでしょ。」
祐一「い、いやらしくないっ!俺の遺伝子に眠る繁栄プログラムが、大脳皮質に興奮物質の作用を・・・」
香里「やっぱりそうじゃない。」
祐一「・・・・・・・。」
香里「残念ながら、そういうことはしないわ。ちょっと一緒に来て。」
祐一「・・・暑い。」
香里「どうせ何もしないんだったら、外歩いていた方がまだ有意義よね。」
祐一「いや、直射日光が当たるから嫌だ。」
香里「相変わらず我が儘ねえ。」
祐一「そう言う香里だって、日焼けとか気にしないのか?」
香里「そうねえ・・・・」
芝生の端に木陰を見つけ、そこに陣取る。
香里「ここなら直射日光は来ないわよ」
祐一「なあ香里。日陰でも紫外線は反射してくるって、知ってたか?」
香里「知ってるわ。」
祐一「意味無いんじゃないのか?」
香里「なに言ってるの。相沢君が暑い暑い言うから、ここに来たんでしょ。」
祐一「またそうやって俺の所為にする。」
香里「実際そうでしょ。」
祐一「俺が悪いのか?」
香里「そうよ。相沢君は極悪人。」
祐一「そこまで言うか・・・・。」
シャアシャアと聞こえる鳴き声。
最近は温暖化の影響で、クマゼミが北上してるらしいからな。
祐一「・・・結局これじゃ、部室にいるのとたいして変わらないな。」
香里「そうねえ・・・・」
どっちみちすることなど無いのだから、何ら支障はないのだが。
祐一「・・・・・・・。」
香里「どこへ行くの?」
やおら立ち上がった俺を、香里が呼び止める。
祐一「ちょっと待ってろ。」
祐一「おまたせ。」
俺の手には、アイスの入ったビニール袋が掛けられていた。
香里「暑い暑い言いながら、その暑い中を走って買ってきたわけね・・・。」
祐一「文句言うならやらん。」
香里「文句じゃないわよ。これでも感謝のつもりよ。」
ヨーグルトクリーム味のカップを取りながら言う。
祐一「あ、それ俺が・・・」
香里「あ、そうなの?」
しかしそこからは、既に一口分が香里の口に移動していた。
香里「・・・食べる?」
匙ですくって、俺の目の前に突きだしてくる。
祐一「いや、もういい・・・・。」
さすがにそれは、まずいだろう。
残るはイチゴミルクと小豆とバニラ。
バニラ、か。
祐一「そういえばさ・・・栞、・・・どうしてる?」
香里「栞?」
香里「・・・そうね、元気よ。」
もちろんその元気というのは、普通の人間で言うところの元気ではないだろう。
ただ日常の生活に支障がないという、きっとそういう意味だ。
祐一「・・・そうか。」
栞とは、もう数ヶ月会っていない。あの日、あの場所であって以来。
栞「一度白紙にしましょう。」
そう宣告された、あの春の日以来。
香里「・・・栞、まだ未練あるみたいよ。」
祐一「だろうな。」
別に驕りから出た言葉ではない。
俺には正直、あのとき何故そんなことを言われたのか、今持って理解できていないのだ。
俺のことが嫌いになったわけじゃない。
俺だって、栞が嫌いになったわけじゃない。
なのに、何故・・・・・
祐一「んぁん〜〜〜〜〜っ、、、、・・・」
俺は残りのアイスを一気に口に放り込み、そのまま伸びるように倒れ込んだ。
香里「・・・・・・。」
それを見つめる香里の表情は、何とも言えないような複雑なものだった。