6月。水無月。水瀬名雪。
名雪「なにそれ。わけわかんないよ。」
祐一「そんなはずはない。6月と言ったら名雪、常識じゃないか。」
名雪「そんな常識、知らないよ。わたし12月生だし。」
祐一「なにっ、そうだったのか!」
名雪「でも、誕生日プレゼントは、くれてもいいよ。」
祐一「やらん。」
名雪「うー。」
6月。梅雨。雨の季節。
祐一「舞、君には雨の情景が、よく似合う。」
舞「・・・・・・・・・。」
佐祐理「ふぇ?どうしたんですか?」
祐一「いや、なんでもない。」
6月。祝日のない月。休みが少ない。
香里「大学なんて、365日祝日みたいなもんだと思うけど?」
祐一「そうでした・・・・。」
北川「どうしたんだ相沢。いつものお前も変だが、今日のお前も変だぞ。」
祐一「それは、いつもの俺と変わらない、と解釈してかまわないのだな。」
北川「いや、そういうことではないんだが・・・。」
祐一「じゃあどういう意味だ。」
北川「いつもの相沢祐一とは違った異常な行動をとっているということだ。」
祐一「そんなに異常か・・?」
新濃
「異常だね。だが安心したまえ。時代は常に、異常なものを触媒として飛躍と再生を遂げるものなのだ。」
北川「誰、この人・・・。」
祐一「また訳の分からんことを・・・。だいたい、何でこんなとこに。」
新濃「私が食堂に来てはいけないのか?」
祐一「だめだね。あんたみたいな変態は、食堂みたいな大勢の人が集まる場所に来てはいけない。」
新濃「なにを!私のどこが変態だというのだ。」
北川「この人、誰?」
祐一「存在そのものが、だ。」
北川「なあ、この人・・・。」
新濃「・・・部長に対してずいぶん失礼なことを言うじゃないか。」
祐一「お前を部長と認めた覚えはない。」
北川「部長?」
新濃「何だと。じゃあ、誰が部長だと言うんだ。」
祐一「さあな。うん、香里かな。」
北川「え、美坂も知ってる人?」
新濃「なるほど。・・うん、それはなかなか良い考えだ。」
祐一「なに・・・?」
北川「あの、俺の質問にも答えて・・・。」
新濃「よし決めた。本日より、郷土研究部の部長は、美坂香里だ。」
祐一「なに?!」
北川「郷土研究部?なにそれ?」
新濃「いやなに、前々から優秀な人材とは思っていたんだよ。君と違ってね。」
祐一「よけいなお世話だ。しかし一年生にいきなり、しかもこの時期に部長交代か?」
北川「ねえ、君たち・・・。」
新濃「大丈夫さ、彼女なら務まる。私が全面的にバックアップするしな。」
祐一「だからよけい不安なんだよ。」
北川「無視しないで・・・・。」
新濃「何を言うか。さては君は、この私の能力を知らないのだな。」
祐一「しらねーよ。知りたくもない。」
北川「あ・・・香里ぃ!」
新濃「おお香里さん。喜べ、我々にとってめでたい話だ。」
香里「なぁに?」
新濃「今日から、郷土研究部の部長は、君だ。」
名雪「わあすごい、香里、部長だって。」
香里「そう。」
祐一「・・・何だ、ずいぶんあっさりした反応だな。」
香里「もっと劇的に感動して欲しかったかしら?」
新濃「そりゃそうだ。何しろ、誉れ高き郷土研究部部長という名誉職に就いたんだからな。」
祐一「なんだ、部長って名誉職だったんだ。」
香里「名誉職なら、いらないわ。」
新濃「いや、今のは言葉のあやで・・・。」
祐一「ふうん、間違いか。じゃあ、部長というのは、部内の全ての権力を握っている職って事だな?」
北川「へえ、香里が、部内の権力を掌握・・・。で、郷土研究部ってなに?」
香里「権力ったって、3人しかいないのよ。今までと変わらないわ。」
祐一「いや、それは違うな。部長、いや、前部長。あんたの時代は終わった。もう誰も、あんたの指図は受けないよ。」
新濃「な、なんだその引退老人に対するかのような扱われ方は。」
祐一「そのとおりじゃないか。」
新濃「いや違う、私は、前部長として部の運営全般に関し助言と協力を・・・。」
祐一「ジイサンは用済みなんだよ。」
北川「なあ、おまえら、一体何やってるんだ・・??」
争う俺と部長、そして疑問を抱き続ける北川。それを楽しそうに眺める名雪。そんな光景を見ながら、郷土研究部一年生部長・美坂香里は、一人ため息をつくしかなかった。
祐一「うっとぉしい日が続くなあ・・・・。」
新濃「そうかい?」
祐一「うっとぉしい奴もいるなあ・・・・。」
新濃「君、それは失礼だとは思わないかね?」
祐一「思わない。だいたい何であんたがここにいる。あんたこの授業取ってないだろ。」
新濃「登録していなくても授業を聞くのは自由ってのは、大学の良いところだよな。」
祐一「・・・・香里、こいつを世界に追いやってくれ。」
香里「世界ってなに。」
祐一「世界は世界だ。『俺は世界を見てきた』の世界だ。」
香里「相沢君、誰かさんみたいな事言うようになったのね。」
祐一
「な、なに。誰かって誰だ」
香里
「秘密。まあそれはいいとして、追いやるまでもなく、もう『世界』とやらには行ってるんじゃない?」
新濃「私には世界が見える」
祐一「じゃあ、どこでもいい。核燃施設でもゴミ捨て場でも。」
香里「どうやって。」
祐一「それはもちろん、部長権限で。」
香里「なにそれ。だいたいそれって権力濫用じゃない?」
佐祐理「はえー、権力濫用はいけませんよー。」
祐一「いいや、濫用じゃない。部長として為すべき正しいことだと思うぞ。」
香里「たとえそうだとしても、相沢君のためにやるってのが、気にくわないわね。」
祐一「なんだよそれ・・・。」
しかし実際、雨ばかりで鬱陶しい日が続いてるのだけは事実だ。冬時の雪といい、梅雨時の雨といい、俺にとって嫌な天候ばかり多い地方だ。
香里「それは日本列島が、大陸と大洋の間に位置しているためよ。大陸で発生する高気圧と、海洋で発生する湿潤性低気圧が、丁度狭間にある日本列島の上でぶつかり合うために前線が発生し」
祐一「はいはい、説明ご苦労様です。」
香里「でも、ほんとによく降るわね。」
祐一「こうやって校舎の中にいれば問題ないけど、行き帰りが辛いからなぁ。」
香里「傘持ってても濡れるからね。そう言えば、名雪、傘持たずに登校してくるそうじゃない。」
祐一「ああ、『走ればそんなに濡れないよ』って、たーって行っちゃうんだよ。」
香里「北川君が言ってたわ、
『水瀬が、髪濡らしたまま入ってくるんだよ。で、それを拭きながら、
「北川君おはよう」
なんて言うんだよ』
って。」
祐一「ちょっと興奮気味にか?」
香里「そうそう」
祐一「困った奴だ。」
香里「ま、いいんじゃない?梅雨時の一時としては。」
祐一「そうか、そう考えると、梅雨も悪くない・・・・・わけねーよ。」
祐一「そう言えば、今日は金曜日だったな。」
佐祐理「何かあるんですかーっ?」
祐一「週末は秋子さんの手料理を食べに戻らないと行けないんだ。」
佐祐理「ふぇーっ。それは大変ですねーっ。」
祐一「いや、あの脳髄にまで染み渡るような究極の美味のためなら、片道一時間半かっこ待ち時間除くかっこ閉じるの距離なんて、短いものさ。」
佐祐理「秋子さんの料理って、そんなにおいしいんですか?」
祐一「ああ。」
佐祐理「佐祐理の料理より、おいしいですか?」
祐一「・・・・・・・ああ。」
佐祐理「・・・・・・・。」
祐一「・・・ごめん佐祐理さん、俺は、嘘のつけない体質になってしまった。」
香里「それも秋子さんの影響かしら?」
佐祐理
「あははーっ、気にしないで下さい。それに、佐祐理は正直な祐一さん、好きですよ。」
祐一「正直な俺が好き、か・・・・」
佐祐理「好きです祐一さん。つきあってください。」
祐一「・・・・・・。」
舞「・・・・・。」
香里「問題発言ね。」
佐祐理「あはは、冗談ですよーっ。」
舞「・・・だと思った。」
祐一
「そ、そうだ。冗談に決まってる。だけど、だけどな。さすがに、その冗談は、勘弁してくれ。心臓に悪い。」
佐祐理「でも、この雨の中、一時間半もかけて戻るの、大変じゃないですか?」
祐一「まあ、大変だな。」
佐祐理「佐祐理が送りましょうか?」
祐一「え、いいの?」
佐祐理「もちろんです。舞も喜びますし。」
祐一「どう喜ぶんだ?」
舞「・・・・・・・。」
佐祐理「ほら、うれしそうでしょ?」
祐一「う〜ん、言われてみればそんな気もしないでもない・・・・。」
佐祐理「ということで、決まりですねっ。」
祐一「あの、名雪もいるんだけど、いい?」
佐祐理「大丈夫ですよ。一応5人乗りですから。」
香里「トランクも入れれば、6人ね。」
祐一「よし、北川をトランクに入れよう。」
香里「北川君は帰らないんでしょ?」
祐一「そうだったな。」
四人が乗り込んだ車は、一路、故郷の街に向かう。 いや、故郷というほど大した距離はないし、それに俺にとっては別に故郷というわけではなかった。
祐一「佐祐理さん、今の水しぶき・・・。」
佐祐理「ちょっと爽快ですよねーっ。」
祐一「いや、俺は怖かった・・・。」
名雪「佐祐理さん、今後輪スリップしたような気がするんですけど・・・。」
佐祐理「大丈夫ですよーっ。この車、一応4WDですからーっ。」
祐一「そういう問題なのか?!」
祐一「佐祐理さん、今、車回転しなかった?」
佐祐理「そういうときは、慌てずハンドルを逆方向に切るんですよーっ。」
祐一「佐祐理さん・・・・。」
舞「・・・祐一、うるさい。」
名雪「無事ついたね。」
名雪は正直だ。
祐一「・・・・ありがとう、佐祐理さん。」
佐祐理「どういたしましてーっ。いっそ、毎週送りましょうかーっ?」
祐一「いや、梅雨時は遠慮しておく・・・。」
佐祐理「そうですかー?じゃあ、また来週会いましょうねーっ。」
祐一「うん。舞も、また来週な。」
舞「・・・来週。」
舞は、全く平気な様子だ。慣れているのか、それとも佐祐理さんを信用しきっているのか。どちらにしろ、大した奴だ。
名雪「ただいま」
秋子「お帰りなさい。」
疲れ切った俺達を、秋子さんは暖かく出迎えてくれた。
朝。 その日、俺は早く目が覚めた。時計を見ると、まだ4時だ。
祐一「もう一眠りするか・・・・。」
ふと外に目をやると、雨は降っていなかった。
夜には降ったので、枝葉に滴が落ちている。
俺は、外に出ていた。
祐一「何で俺は、こんな時間に散歩しようなどと考えたのだろう・・・。」
眠い。 普段なら、目が覚めても二度寝する時間だ。
祐一「やっぱり、帰って寝よう・・・。」
そう思った俺の視界に、自転車で疾駆する少女の姿が映った。
祐一「よお舞、おはよう。」
舞「・・・おはよう。」
祐一「勤務中か?」
舞「・・・・・(こくり)」
祐一「そうか。」
舞は新聞配達のバイトをしている。これで、生活費と学費を稼いでいる。大した奴だ。
そんな舞に、俺は励ましの言葉の一つもかけたくなった。
祐一「おい、労働者諸君。毎朝の勤務ご苦労・・・・」
舞「・・・諸君って、私しかいない。」
祐一「いや、諸君というのは言葉の綾で・・というか、今のはとある名台詞からの引用なんだが・・・。」
舞「・・・知らない。」
う〜ん、最近の若い者は、車寅二郎を知らないのだろうか。まったくこれだから・・・
て、舞は俺より年上なんじゃないか。
祐一「俺より年上なくせに寅さんを知らないなんて、不見識だそ。」
舞「・・・祐一がじじむさいだけ。」
が〜ん。
舞にじじむさいとまで言われてしまった。ショックでもう言葉が出ない。
俺は何も言わず、とぼとぼと舞の後をついていった。
・・・つもりだった。が。
祐一「待ってくれ、舞っ!」
気がつくと、舞の姿は遙か彼方にあった。
祐一「お前・・・・・早い・・・・・・・。」
舞「・・・自転車だから。」
祐一「いや、そう思って俺もそれなりに早足で歩いてたつもりなんだが・・・。」
舞「・・・時間までに配らないといけないから。」
祐一「そうか。」
俺なんか朝刊は夜読むもんだと思っているが、中には朝の五時くらいに門の前で待ちかまえていて、新聞青年に「遅いっ!」と怒鳴りつけるのを趣味としているオヤジもいるらしいからな。
祐一「そんな早く配らなきゃいけないんだったら、原付とか使った方がいいんじゃないのか?無いのか販売店に。」
舞「・・・自転車のほうが早い。」
確かに。舞の脚力なら、そういうこともあるかもしれない。
・・・・・のか?
舞「・・・祐一、ちょっと待ってて。」
祐一「・・・え?」
ばびゅぅっっ
祐一「・・・・あ?」
気がつくと舞の姿は、地平線の彼方に消えていた。
祐一「て言うか・・・上り坂をあのスピードで走るか・・・・。」
舞「・・ただいま。」
祐一「お帰り。なんで急に消えたんだ。」
舞「・・・・一軒だけ、離れてる場所があるから。」
祐一「この辺住宅街だぞ。」
舞「・・・ここから32軒、全部よその新聞。」
祐一「・・・そうか。で、今日はこれで終わりか?」
舞がかぶりを振る。
舞「・・一軒、変な家があるから。」
祐一「変な家?新聞紙で出来てるとか?」
舞「・・・似たようなもの。」
祐一「え?!」
舞「・・・非常識なくらいたくさん新聞取ってるの。」
祐一「どれくらい?」
舞「・・・6紙。」
祐一「確かに多いな。でも、非常識ってほどじゃないんじゃないか?」
舞「・・・うちだけで6紙。よその販売所からも取ってる。」
祐一「全部で幾つ?」
舞「・・・実数不明。30超えてるのは確か。」
祐一「・・・・・・。」
舞「・・・で、たくさんあるから、忘れないようにいつも最後に残しておくの。」
祐一「どんな新聞だ?ちょっと興味あるな。」
舞が、新聞をこっちにやる。
祐一「電波新聞?怪しいな。」
舞「・・・怪しくない。」
祐一「読むと一日寿命が縮まるんじゃないのか?」
舞「・・・それは恐怖新聞。」
祐一「そうだったか?まあいいや。で、他には」
舞「・・・・・。」
祐一「日本農業新聞。日本海事新聞。日本繊維新聞。なんだよこれ、なんのためにこんなの取ってるんだ?」
舞「・・・さあ。」
祐一「どうせ、定年退職してくそ暇なオヤジとかが読んでるんだろうな・・・。あ、英字新聞もある。」
舞「・・・ここ。」
どうやら、その問題の家の前についたらしい。
祐一「ここか。よし、表札見てやれ・・・水瀬。って、ここ俺の家じゃないかぁ!」
舞「・・・・そうなの。」
祐一「ま、まて。なんだその奇異なものを見るような目は。」
舞「・・・祐一、こういうもの読むのが趣味なの?」
祐一「ち、違う。断じて違う。俺が好きなのはどっちかというとというと中京スポーツの裏面記事とか・・・。」
舞「・・・・・。」
祐一「いや、そうじゃなくて。前言撤回。というか、この新聞の山を取ってるのは俺じゃない。秋子さんだ。だからっ」
秋子「あらあら、騒がしいと思ったら、祐一さんが朝刊取りに行ってくれてたの?」
舞「・・・おはようございます。」
秋子「毎朝ご苦労様。」
舞「・・・はい。」
舞はそのまま去っていった。逃げたとも言えるだろう。
祐一「・・・秋子さん。」
秋子「はい?」
祐一「この大量の新聞・・・どうするんですか?」
秋子「読むんですよ。新聞は読むためのものですから。」
祐一「・・・秋子さんが?」
秋子「ええ。」
祐一「なんのために。と言うか、いつ。」
秋子「それは、企業秘密です。」
祐一「・・・・・・・。」
俺は何となく怖くなって、それ以上追求しないことにした。
舞「・・祐一、これ。」
祐一「あ、なんだこれ?」
舞「・・・購読申込書。」
祐一「・・・なんの。」
舞「・・・中京スポーツ。」
祐一「中京スポーツ。て、お前、これはどういう意味?」
舞「・・・祐一、取るんでしょ?」
佐祐理「ふぇーっ。祐一さん、中京スポーツ取るんですかぁ?」
祐一「いや、それは・・・。舞、どういうつもりだ。」
舞「・・・ありがとう。」
祐一「ありがとうって・・・・。」
舞「・・・契約取ると、報奨金出るから。」
佐祐理「あ、そうなんですね。それで祐一さん、舞のためにわざわざ。」
香里「でも、そこで『中京スポーツ』ってのが相沢君らしいわね。」
佐祐理「ふえ?中京スポーツって、なんか曰く付きなんですかぁ?」
香里「ちょっと、ね。少なくともあたしは読まないわ。」
佐祐理「そうなんですかーっ。でも、祐一さんはやっぱり舞のためにとるんですよねーっ?」
祐一「いや、待ってくれ。俺は取るなんて一言も・・・」
ぺったん。
祐一「あーっ、舞っ、人の印鑑勝手に・・・」
香里「印章は無闇に持ち歩いたりしないものよ。」
舞「・・・明後日から入るから。」
祐一「そんな・・・」
舞「これで、動物図鑑が買える・・・」
佐祐理「良かったね、舞。」
祐一「う〜っ、名雪になんて説明すればいいんだ・・・」
香里「大丈夫よ。名雪ならきっと気にしないわ。」
祐一「そういう問題じゃない、俺の、俺の作り上げようとしているイメージが・・・」
舞「・・・祐一、感謝。」
一応感謝しているらしい。いや、きっと心の中ではとても感謝しているのだろう。 それにしても、この強引さ。つくづくたくましい奴だ。 伊達に18年間戦い続けてきたわけじゃないな、そう思いながら俺は、頭を抱えるのだった。