日常は、続いていた。
しかし、それを打ち破る事態は、予想外のところからやってきた。
試験が近づいていたのだ。
祐一「迂闊だったぜ・・・・。」
正直、こんなまっとうな学生イベントのことなどすっかり忘れていた。
身に降りかかる災厄に翻弄され、勉強など手つかずだ。
祐一「ということで、助けてくれ香里。」
香里「高くつくわよ?」
祐一「しょうがないなあ。ほら、佐祐理さんをやるよ。」
佐祐理「えーっ?佐祐理、香里さんのものになっちゃうんですか?」
香里「・・・・・・・・。」
祐一「ま、待ってくれ。冗談だぞ?」
香里「わかってるわよ。で、なにが欲しいの?ノート?要点整理?愛のムチ?」
祐一「全部くれ。」
助かった。これで何とかなるだろう。
優秀な友人は、持っておくものだ。
舞「・・・・すごい。」
香里から渡されたノートを見て、舞が呟いた。
授業中に録った内容を、さらにきれいにまとめ直してある。
祐一「うーん、ここまでしてくれるとは、恐縮だな・・・。」
香里「気にすること無いわ。いつもやっていることだもの。」
祐一「しかし、ほんとに何か礼しないとな。」
佐祐理「ということで、きょうはおひるごはんをごいっしょしましょう。」
香里「え?」
佐祐理「香里さんの分も、作ってきたんですよぉ」
香里「で、でも・・・・」
祐一「いいじゃないか、たまには。ほら。」
佐祐理「残したらもったいないです。」
舞「・・・腐りやすい季節。」
祐一「そういうことだ。ほら、行こうぜ。」
香里「で、場所はここなわけね・・・・。」
自治会室の扉の前で、香里がため息をつく。
祐一「気にするな。俺達は既に、ここの常連だ。」
そういって俺は、扉の向こうに入っていった。
中にいる連中は、俺達を気にすることもない。さも当たり前のように、それまでしていたことを続けている。
だが香里が中に入ったとき、数名があっと言うような顔をするのがわかった。
祐一「?」
香里の知り合いだろうか。
だが香里は、平然とした顔をしている。
顔を戻すと、先ほどの連中も、何事もなかったかのような顔をしていた。
気のせいだったのだろうか。
佐祐理「西谷さん、こんにちは。」
西谷「はい。今日も来たんですね。」
祐一「毎日来てるだろ。」
香里「相沢君、あなた、自治会の子にまで手出してたのね。」
祐一「人聞きの悪いことを。」
西谷「こちらは?」
祐一「ああ、美坂香里。香里と呼んで差し支えないぞ。」
香里「それはあたしがいうべき台詞でしょ。」
こうしてまた一つ、日常を回る針が増えた。
産業学部217教室。
収容人数の少なさから授業にはほとんど使われないこの部屋は、学生にとって格好の自主学習の場となっていた。
だが、さすがに早朝ともなると、ここにいる人間も少ない。
そう思って217に入った香里は、そこに先客がいたことに多少の驚きを感じた。
香里「・・・・早いのね。」
佐祐理「香里さんこそ。」
香里「いつもこんな早いわけじゃないわよね?」
佐祐理「試験前ですから。」
香里「ずいぶん熱心ね。あなた、自宅からで、しかもお弁当も作ってるんでしょう?大変じゃない。」
佐祐理「義務ですから。」
香里「義務?」
佐祐理「はい。これは、佐祐理に課せられた、義務なんです。」
香里「誰かにそう言われたの?」
ううん、と佐祐理はかぶりを振る。
佐祐理「誰に言われるまでもなく、佐祐理がしなければいけない事なんです。
誰よりも凛々しく、誇らしく。そして人の為になることをする。それが佐祐理の生きる意味なんです。」
香里「・・・・あなたって、凄いわ。見かけによらない人だとは思っていたけど。」
佐祐理「あははーっ。香里さんに褒められると、鼻高々ですね。」
香里「歳はたった一つしか違わないのに・・・なにがこんな差を付けるのかしら。」
佐祐理「でも、口で言うほど大したことやってるわけじゃないですよ。むしろ、さっきの言葉が恥ずかしいくらいですよね。」
香里「そういう考えを持って、実行してるって事が凄いのよ。」
佐祐理「実行・・・してますか?」
香里「してるわ。妬ましいくらいにね。」
佐祐理「そうですか・・・・・。」
一呼吸。
佐祐理「ほんとは、自信ないんですよ・・・。自分のやってることが、本当に人の為になる、誇らしく思えることなのか、って。」
香里「・・・そうなの?」
佐祐理「一度、おっきな失敗してますから。」
香里「誰かを傷つけてしまったとか?でもそれは」
佐祐理「殺しちゃったんです。」
香里「え・・・・・?!」
佐祐理「弟・・佐祐理に、弟がいたんですけどね・・・。」
過去のこと、自分の弟のこと、おそらくは彼女自身の傷であろう事を、佐祐理は語り始めた。
香里はそれを、ただ黙って聞いていた。
佐祐理の言葉に一区切りが付き、僅かな沈黙を挟んだ後。
香里は口を開いた。
香里「・・・そうね。でも、それは自分を責めて、追い込んでるだけじゃない?」
佐祐理「その通りだと思います。だけど、今はどうしようもないことなんですよ・・・」
香里「あなたを非難したいわけじゃないのよ・・・・。」
しばし沈黙した後、香里は言った。
香里「あたし、妹がいてね・・・・・」
祐一「あの二人、最近仲いいな。」
舞「・・・(こくり)」
舞もそう思っていたらしい。
別に悪いことではない。ただ、あの二人が一緒に早弁しているというのは、ちょっと異様というか何というか・・・
祐一「よお二人さん。何でまた早弁を?」
香里「失礼ね。これは朝ご飯よ、あ・さ・ご・は・ん。」
佐祐理「祐一さんも食べます?」
祐一「いや、今はさすがにいい・・・・。」
まだ九時前だ。
祐一「いや俺はまた、てっきり今日の昼飯はないものと・・・」
佐祐理「大丈夫ですよ。それは別にありますから。」
祐一「だよなあ。無かったら、舞が怒るもんなあ。はっはっは」
そんなことを言いながら、舞の元に戻っていった。
祐一「朝ご飯だってさ。」
舞「・・・聞いてた。」
祐一「そうか。」
舞「・・・祐一、明日から朝用の弁当、持ってきて。」
祐一「そうだな。・・・・って、俺が作るのか?!」
楽しいときだった。まるでそれは、ずっと以前から続いていて、そしてこれからも続くかのような錯覚を覚えていた。
だが、それは違った。俺達は、渦巻く気流の中心にある、ほんの小さな一穴にいたに過ぎなかったのだ。
自治会「〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
祐一「おお、なんか久しぶりだな。連中アジってるぜ。」
佐祐理「じゃあ、応援に行かないといけませんね。」
祐一「香里も行くか?」
香里「・・・・やめておくわ。」
佐祐理「そうですか。ごめんなさい、今日はお昼ご一緒できませんね。」
香里「そうね・・・・。」
何故か、香里の顔が浮かないような気がした。
香里「佐祐理さん・・・。」
佐祐理「はい?」
香里「ううん、なんでもないわ・・・・。」
祐一「? じゃあ、行って来るよ。」
永久動力は存在しない。時計の針は見るものを惑わし、そしていつか止まる。