『リキから佳奈多さんにメッセージが届いてます。早く助けて欲しいんでしょうかねえ』
その台詞と共にクドから渡されたメモリーカードを、佳奈多は指でもてあそんでいた。今後を話し合うため集まっていた空き教室で、話し合いもせずにずっとそうしていたため、他の4人も一体何なのかと佳奈多を訝しがっていた。葉留佳が佳奈多の手元をのぞき込んで言った。
「見ないんデスカ?」
「ええ…そうね」
「直枝君からのメッセージだから、見る前からお腹いっぱいになっちゃってるんじゃない? 意外とうぶねえ」
「な、何言ってるんですかっ!」
そう言って佳奈多は、大慌てて携帯電話を取りだし、スロットにメモリーカードを差し込んだ。カードの中身は動画ファイルが一つ、それを佳奈多は再生した。他の4人も後ろから覗き込む形で一緒に見始めた。映像には、森の中に立つ直枝理樹の姿が映っていた。
『佳奈多さん。僕は今、森の中にいるよ。そこで偶然見つけたんだ。これ、コケモモの木。英語だとクランベリー。そのまま食べるとすごく酸っぱいんだ。でもじっとかみしめてるとほのかな甘みが感じられて。それが、まるで自分だけが知ってる小さな幸せみたいにも感じられて。コケモモってまるで、佳奈多さんみたいだなあ、って思うんだ』
佳奈多は携帯を閉じた。
「何言ってるんだか…」
「20年前のサントリーのCM?」
あーちゃん先輩が口を挟んだ。
「違います…と言うか私そのCM知らないです」
「あらそう」
「と言いますか…あーちゃん先輩が何故20年前のCMを知っているのか非常に疑問なのですが…」
美魚の疑問に葉留佳と小毬がうんうんと頷いた。
「え? いや、それは…ほら、あれよ、再放送、再放送で見たの」
「CMの再放送なんて聞いた事無いですが…」
「え、そう? やーねえ、この歳でもう記憶障害かしら」
それ以上は、もう誰も何も言わなかった。
「じゃあ、行くわよ」
妙にうれしそうな顔をしながら、佳奈多はパーティメンバーを急かした。メンバーは動こうとしなかった。
「待って。行くってどこに行くのよ」
あーちゃん先輩が苦情を申し立てた。
「愚問ですね。直枝の所に決まってるじゃないですか」
「はあ。いきなり直枝君の所に行くの?」
「直枝がコケモモ持って私を待ってるんです」
「…。」
佳奈多以外の4人が一斉に黙った。雰囲気を察した佳奈多は、慌てて訂正した。
「直枝が捕まってるから助けに行くんです。大魔王棗恭介に捕まった直枝理樹を助けるのが、私達の目的じゃないですか」
「ああ、そういえばそうだったわね」
美魚が挙手して発言許可を求めた。
「ただ直枝さんを助け出すだけならいいのですが、大魔王棗恭介がそこにいるかもしれない、というか多分いますよ。どうするんです?」
「もちろん倒すわ」
「…そんなあっさり」
「あの、トレーニングとかレベル上げとか、大魔王倒すって行ったら普通そういうの積み重ねた上でやるものじゃないんですカ? 私らまだそういうの全然やってないんですけど…そういうの無しでいきなり魔王倒しに行くんデスカ?」
「そんなもの必要無いわ」
「必要無い。うーん、必要だと思うなあ…」
「そうかしら?」
「一般的には必要かと思われます…」
「一般的、ねえ」
佳奈多は他4人の顔を見渡してから、続けた。
「訓練しなければ目的を達成できない状況なら、勿論そうするわ。でも訓練無しでも出来る見込があるのなら、一度トライしてみた方が時間を無駄にしなくて済むんじゃないかしら?」
「まあ、出来る見込があるならね…で、大魔王棗恭介を倒す事は出来るの?」
「この顔ぶれなら出来ると思いますけど」
佳奈多の言葉を聞いて、5人は互いに顔を見合わせた。
「…では、ちょっと顔ぶれを整理してみましょうか」
美魚は黒板の前に立ち、上から順にメンバーの名前と職業を書き連ねていった。
名前 | 職業 |
二木佳奈多 | 勇者 |
神北小毬 | 魔法使い |
あーちゃん先輩 | 権力者 |
西園美魚 | アドベンチャーコンサルタント |
三枝葉留佳 | バッファオーバーフロー |
書き終えた美魚は、チョークを持ったまま4人の方向に振り返った。
「…不思議な事ですが、私も行けそうな気がしてきました」
「確かに、他の目的ならともかく棗君を倒すのにはこれ以上無いという面子ね」
「よくわかりませんガ、この5人は、テキトーに選んだように見えて実は大魔王棗恭介を倒すために選ばれし5人だったというわけデスネ!」
「え、ええ…勿論そのつもりで選んだわ」
「そうだったんだあ。やっぱり二木さんできる人だね、すごいすごい」
「わかって貰えたのなら、先ほどの話はご理解いただけるかしら?」
佳奈多は一同を見渡した。今度は誰も反対するものはいなかった。
「では、行きましょうか」
「待って。このメンバーで棗君倒せそうなのはわかったけど、だからってどこに行くというのよ」
「直枝の捕まっていそうなところです」
「だからどこよそれ」
「直枝の捕まっている場所は近くにコケモモが生えていると見て間違いないでしょう。だって直枝がそう言ってるんだもの。市内でコケモモが生えていそうな場所は4カ所程度だから、そんなに多くはないわよ」
「多くはないですが遠いんじゃないですか? 仮に市域の端から端までだとかなりありますが…」
「それもそうね…手分けした方がいいかしら? 5人いるんだし」
「でも、具体的にどこかまだ聞いてないですケド、バスで行けないところもあるんじゃないんですカ?」
「そうね…森林公園はバスが出てるけど、丸歎山と箒中学校のあたりはバス停無いわね。ま、歩けばいいんじゃない?」
「丸歎山って確かバス停から5Kmくらいあるじゃないデスカ…」
「5Kmくらい歩きなさいよ」
「往復だと10Kmじゃないデスカ…体力はともかく気力が持ちませんヨ」
「気力がない? 気力がないですって? 何故? 何故無いの? 私は今すごく満ちあふれてるのに? あなたと私に一体どんな差があるというの?」
「理樹君からビデオメールもらったか否かという差ですヨ」
「えっ」
「あなたは直枝さんから励ましのビデオメールもらってやる気十分でしょうけど、私たちはそれを横から覗き見してただけですし」
「そもそも私達宛じゃないしねえ…」
「見せつけられた方はむしろ負の感情でやる気削がれちゃったわよねえ」
「顔で笑って心で泣いて、という言葉の意味を辞書で引け、ってとこですヨ」
4人にやいのやいの言われた佳奈多はしょげた。
「ごめんなさい…」
「いや、そこまでしょげられるとなんかこっちが悪いみたいな気になるじゃないデスカ…」
「でも私、調子乗ってた。直枝を助けるためなら5Kmくらい歩けだなんて…」
「いや、ほんとにそこに理樹君が捕まってるなら5Kmくらい歩きますけどネ」
それを聞いた小毬が少し考えて、言った。
「やっぱりもう少し絞り込んだ方がいいんじゃないかな。あと、かな…二木さんはさっき、3カ所しか名前挙げなかったけど、全部で4カ所あるんだよね? もう1カ所はどこ?」
「もう1カ所はそこの裏山よ」
佳奈多以外の4人が一瞬凍り付いた。
「裏山ってアンタ…だったら、まずそこ調べて違ったら他の場所探す検討すればいい話じゃないデスカ」
「本当にそうね…その通りだわ。私どうかしてた」
「二木さんはたぶん、みんなで裏山を調べた後で三枝さんの言ったとおりにするつもりだったのではないでしょうか。手分けすることになったから話がおかしくなっただけで」
「うん、そう、その通り。西園さんありがとう」
「こんな事で姉の威厳が崩れるのは悲しいでしょうから…」
「え? 今のってじゃあ、一方的に責め立てたりしたはるちんが悪者って事ですカ?」
「まあ、そのあたりはお姉さんとよく話し合ってもらえばいいですが。神北さんがもっと絞り込もうと提案しているのを無視しているのはいただけませんね」
「ううっ、面目ない…」
「謝罪と反省それに自己批判と今後の再発防止策を」
「あわ、私は別にそんな…美魚ちゃんはるちゃんがかわいそうだよ」
「え、えーっと、とにかく、もっと情報を集めて徒労をなくすことが肝要かと存じマス…具体的に情報を集める方法まで言わないと駄目デスカ?」
「駄目といいますか…三枝さんなら、追いつめればいい知恵の一つや二つ出てくると踏んでいたのですが…」
「美魚ちんが私をどういう人間と思っているのか時々わからなくなる…」
「ごめんなさい葉留佳、実は私もあまりよくわかってない…」
「うわ、ひどっ! アンタ、そんなんでよく妹に変装とか出来ましたネ!」
「あれは…違うの、あれは…」
「はるちゃん、過去をほじくり返すようなことは駄目!」
議論は不毛な言い争いになりつつあった。これを傍観していたあーちゃん先輩は、ふと携帯をとりだし、誰かに向けてメールを打ち始めた。
「何してるんです?」
「んんー? ま、ちょっと情報源に思い当たってね」
「え、私達があれだけ情報源を議論しても思いつかなかったのに、すごい、ねえこの人やっぱりすごいよ!」
「そんな大したものでもないんだけどね…あとあんた達議論なんかしてなかったでしょ」
そう言ってあーちゃん先輩はメールを送信した。送信してしばらくすると、校舎の陰から現れた鈴が駆け寄ってきた。
「お呼びでしょうか姉上」
鈴はあーちゃん先輩にかしづいた。驚いた佳奈多は鈴を抱き起こそうとした。
「ちょっとあなた、何やってるの!」
「我が偉大なる姉上様に敬意と服従の意を示している。何かおかしいか?」
「誰にも懐かないことで有名なあなたがこんなことしてたらおかしいでしょう!?」
「それは間違いだ。悪意と偏見から来る誤解だ。あたしは以前から姉上様に懐いている」
「…そう、それは申し訳ないわ。いやでも服従って…それに敬意ならもっと他に示し方があるでしょう?」
「姉上様の使い魔としてふさわしい敬意の示しかただと思ったのだが…」
「な…あなた何を言って…」
佳奈多はあーちゃん先輩に詰め寄った。
「ちょっとあーちゃん先輩、何やってるんですか!」
「何って、何が?」
「何がじゃないです! 後輩に姉呼ばわりさせるに飽きたらず、使い魔扱いとか!」
「え? 最近は後輩を使い魔にするのって普通じゃないの?」
「普通じゃないです…」
「でも妹や弟を子分にして町を闊歩するとか、よく子供がやるじゃない」
「うん、それはうちの兄もやってたな」
「私はやってません…」
「やってくれてもよかったんですけどネ」
「やらないわよ…」
「というよりこの方法使えば、表向き私をいじめてるように見せかけて一緒に遊ぶことが出来たじゃない! お姉ちゃん何で気づかなかったの!」
「え? それはその…ごめん」
「いや、ここはそんな素直に謝ってほしかったんじゃないんデスガ」
佳奈多と葉留佳の会話が妙な言い合いになりだしたのをよそに、あーちゃん先輩はしゃがみ込んで鈴に尋ねた。
「あなたのお兄ちゃんがどこにいるか知らない?」
「私のお兄ちゃんなどという生き物はこの世に存在しません。バカ兄貴のことですか?」
「…うん、バカ兄貴」
「バカ兄貴なら、裏山で秘密基地…じゃなかった、魔宮作ってます」
「魔宮?」
葉留佳と取っ組み合いになりかけていたところを小毬と美魚に制止されていた佳奈多が口を挟んだ。
「うん、魔王の宮殿だから魔宮なんだとか言ってた。なんのことかよーわからん」
「うん、まあ…知らないなら知らないままの方が幸せかもね」
「とにかく棗君…えっと大魔王だっけ? の居場所はわかったでわけね。ほら、役に立ったでしょ?」
「まあ…役に立ったのは認めます」
「でかしたぞ我が忠実なるしもべ棗鈴、勇者様も満足しておられる。ほら、褒美の品だ」
「ありがたき幸せ」
鈴はあーちゃん先輩からモンペチを受け取った。
「もう行ってもよろしいでしょうか? 早くこのモンペチを猫たちに配給したいので」
「相変わらず猫思いねえ」
「それもありますが。最近猫のリーダーがモウタクトウに交代して猫達が造反有理とか叫ぶようになったので、反乱が起きないように配給は速やかに行わねばならないのです」
「それは大変。早く行ってきなさい」
「はっ」
鈴はモンペチを抱えて去っていった。
「棗先輩…じゃなかった大魔王恭介が裏山にいるって事は、理樹君が捕まってる場所も裏山で確定なんじゃないですカ?」
「そうね、私もそう思うわ。まず裏山を探そうと思うんだけど、みんなはどうかしら?」
「いいと思います」
「むしろ何か不都合があるのでしょうか」
「異論は無いけど…なんだかあっさり解決しそうでつまらないわ」
「遊びでやってるんじゃないんです、あっさり解決した方がいいに決まってます」
「そうかなあ? 楽しい事はずっと続いた方がいいと思うけど」
「はるちんその意見には大賛成デス! 姉にもこの考え方を見習って欲しいものですヨ」
「そう…わかったわ、じゃあ、この作戦名を『第一次魔宮作戦』にしましょう」
「既に二回目があること確定ですか…」
「だって葉留佳がそう言うんだもの。あとあーちゃん先輩も」
「ずっと続いた方がいいとは言ったけど、二回目をやりたいとまでは言ってないわよ…?」
「じゃあ、『永遠の魔宮作戦』にでもすればいいんですか?」
「それってなんか辛いことばっかりで楽しくなさそうだよ…」
「わかったわよ…じゃあ、ただの魔宮作戦でいいわね」
「ねえあーちゃん先輩…なんかあの人、どうあっても魔宮作戦って言葉使いたいみたいですケド」
「かなちゃんそういうの好きだから…あ、でも言ったらダメよ、ムキになって否定するから」
「聞こえてるんですけど」
「ありゃま」
「あーちゃん先輩は葉留佳に余計なこと言わないで下さい。葉留佳は黒板消しといて」
「妹の素朴な疑問を悪用して平然と雑用を押しつけるこの姉…いつか下克上してやるゥ」
そう言いながら葉留佳 はクリーナーを手に取り、黒板の前に立った。字を消そうとしたところで葉留佳の視線が自分の名前のところで止まり、手が止まった。
「あの…美魚ちん? チョットいいですカ?」
「なんでしょうか?」
「えっと、さっき見落としてしまったので少々言いづらいのデスガ…なんか私の職業がバッファオーバーフローになってるんですケド?」
「はあ。何か問題でも?」
「いや、問題というか…バッファオーバーフローって職業じゃないですよネ?」
「今更そんなこと言われても困るのですけど」
「えええ。今更というか、だって常識で考えてくださいよバッファオーバーフローは職業じゃないですヨ」
「あなたが常識とか言いますか」
「いや、…今そういうこと持ち出しますカ?」
「そもそも、あなたがバッファオーバーフローということにしてくれと言うから、そういう扱いで5人目にしたんですよ?」
「えぇ!? いや、まさかそれを職業にされるなんて思わなくて…」
「だいたい、私に苦情を言われても困ります。文句があるならリーダーである二木さんに言ってください」
葉留佳は戸口で待っていた佳奈多に泣き付いた。
「お姉ちゃ〜ん、美魚ちんがいじめる…」
「ええ、聞いてたわよ。あなたが悪いわ」
「うわ、ひっど」
「だいたい、クドリャフカの所に行ったときに職業名も登録したんだから、何故その時に気づかなかったの?」
「はるちゃん、その時美魚ちゃんとなんか言い争いしてたから…」
佳奈多ははぁと溜息をついた。
「しょうの無い子ね…変えたいのなら登録し直さないといけないから、職業名考えておきなさい」
「よぉし、とびきりカッコイイ職業名考えてやるぞ…見ていろ美魚ちん!」
「はあ。見てるだけならかまいませんが」
佳奈多はやれやれと首を振った。その後ろから、ずっと聞いていたあーちゃん先輩が佳奈多の肩を叩いた。
「かなちゃん、アタシも職業名変えようと思うんだけど」
「そうですか」
「知りたい?」
「そうですね、登録し直さないといけないですし」
「愛天使アーマードあや、にしようかと思うんだけど」
「長すぎないですか?」
「…そういう反応して欲しかったんじゃないんだけどなあ」
「どういう反応して欲しかったんですか…」
「ねえ、早く行かないと日が暮れちゃわないかなあ? 暗いとさすがに探せないと思うんだ」
「あ、そうね。行きましょう」
小毬に急かされて、佳奈多達は裏山に旅立った。
裏山に入った佳奈多は、一行を引き連れて裏道をどんどん歩いて行った。通常通る道を早々と外れて、獣道のようになっている狭い通路を佳奈多が先導して進んでいった。
「あの、お姉ちゃん? なんか目的地が既にわかっているかのようにどんどん先に進んでいきますけど…こっちでいいんですカ?」
「棗先輩が秘密基地を作るのってだいたいこの辺りなの。パターンがあるから」
「詳しいのねかなちゃん…もしかして棗君に興味があるの?」
「裏山を散策しているとよく見かけるだけです」
「よく見かけるんじゃ秘密基地でも何でも無いですネ」
「ほら、今は秘密基地じゃなくて、魔宮だから」
「そうだったわね…ええと、大魔王棗恭介が魔宮を作るのってだいたいこの辺りなの。パターンがあるから」
「二木さん、別に言い直さなくていいですよ…?」
「そうなの? こういうのってちゃんと言わないといけないかと思って…」
そうこうしているうちに、一行はコケモモの木が生えている場所に着いた。そこからさらに少し進むと、開けた場所にブルーシートで覆われたテントとおぼしきものが設営されているのを発見した。
「あれが…魔宮…!」
葉留佳がそう言った他は、誰も言葉を発しなかった。しばらくそこに立ちすくんでいた。そよ風が吹き、小鳥が数羽飛んでいった。遠くから季節はずれのわらび餅売りの声が聞こえてきて、一行は我に返った。
「とりあえず中に入ってみましょうか」
「気をつけた方がいいよ」
「わかってるわ。私が先に行くから、みんなもついてきて」
大魔王棗恭介は、魔宮の中でくつろぎのひとときを過ごしていた。
「雑誌の名前が『革命』だからてっきり政治雑誌かと思ったら漫画雑誌だったぜ…まあわかってて買ったんだけどな」
よくわからないことをいいながら、魔宮に持ち込んだベッドに寝そべって漫画を読んでいた。そこに入り口に取り付けている鈴が鳴る音がしたので、恭介は顔を上げた。
「おいおい誰だ? 入るときは合い言葉を言えといっておいただろう?」
「済みません。合い言葉を知らないものですから」
恭介は慌てて飛び起きた。
「お前、二木佳奈多! なんだお前、何でこんなところにいる!」
「いたらいけませんか?」
「いかんわっ。男の子の秘密でものぞきに来たのかっ」
「そんなものに興味はありません」
「アタシはあるけどねえ」
佳奈多の後ろに隠れていたあーちゃん先輩が顔を覗かせ、そして恭介の表情が青ざめた。
「げっ…」
「げって何よ。失礼な子ねー」
恭介は何かの精神的ショックに必死に耐えているかのような表情をしていたが、やがて多少は立ち直ったのか、言葉を発し始めた。
「おい、お前ら…何いきなり来てんだよ。非常識だと思わないのか」
「思いません」
「事前に電話ぐらいしろよっ」
「事前に魔王に電話する勇者なんて聞いたことありません」
「魔王? 魔王だと?」
恭介は何かを思い出しかけていて、しかしなかなか言葉が出てこない様子だった。見かねた佳奈多が自分から用件を伝えた。
「直枝理樹を返してもらいに来ました、大魔王棗恭介」
「理樹を…? ああ、ああ、あの話か」
恭介は今思い出したというふうに相槌を打っていた。
「いや、何だ。こんな早く来ると思ってなかったのでな。何の準備もしてなかった」
「だったら準備中の札でもかけておくべきでは無いでしょうカ」
「うむ。それもそうだな」
頷いた恭介は、魔宮の隅にあるはこの中をあさり始め、木製の札を取り出して、それを手に持ったまま外に出た。佳奈多達もつられて外に出た。「準備中」と書かれた札が入り口にかけられていた。
「そういうわけだ。まだ準備中だから帰ってくれないか?」
「帰れと言われて帰る勇者がいると思いますか?」
「まあ、それもそうだな。だったらこういうのはどうだろう。見逃してくれれば、この秘密基地…いや違った、魔宮の半分をやろう」
「いりません。私は遊びに来たわけでは無いので」
「そんなもの誰が欲しがりますカ」
「マジかよいらないのかよ」
「世界の半分ならまだしも、魔宮の半分とか言われてもねえ」
「しかもお城みたいな建物じゃなくて、これ、テントだし」
「テントとかいうなっ。それなりに苦労して作ったんだっ。だいたい何だお前らっ、いきなりやってきて言いたい放題」
「恭介さん落ち着いて下さい」
美魚になだめられて恭介は少し落ち着きを取り戻した。その間に魔宮の中に戻っていた小毬が、お茶を用意していた。
「水出しですけど、お茶が入りましたよ。どうですか〜?」
「いや、お前…なに人んちで勝手にお茶入れてるんだよ…」
「はわわ!? い、いけませんでしたかっ!?」
「いやもういいよ…」
恭介はその辺に座り込み、湯飲みを手にとってお茶を飲んだ。佳奈多達も適当に座ってお茶を飲んでいた。
「大魔王の拠点でゆっくりお茶飲んでる勇者ご一行ってのもどうなんですカネ…」
「ああ、そういやそうだ。お前ら、用が無いなら帰れ。さっきも言ったようにこっちはまだ準備中なんだ」
「用ならあります。直枝理樹を返してください」
「返してください…か」
「な、なんですか」
「断る! 理樹はお前には渡さん!」
「理樹君は渡さんじゃなくて直枝さんデスヨ」
「三枝さん…今そういう茶々を入れるのは正直どうかと…」
「美魚ちんがニヤついてたからわざと言ったんですヨ」
美魚と葉留佳が言い合っているのをよそに、佳奈多は再び恭介に要求を告げた。
「直枝を返してください」
「お前のものじゃないだろう」
「あなたのものでもありません」
「理樹は俺が育てた」
「だからこそいい加減あなたから自立すべきだと思います」
「お前が代わりに保護したいだけなんじゃないのか」
「保護しますよ。風紀委員ですから」
「そうじゃない、個人的に保護したいんじゃないのかって話だ」
「個人的に保護って…そんないやらしいこと考えてないわ…」
「保護がいやらしいという発想は無かったな…やはりお前のような女に理樹は渡せない」
「違うわ、私はただ…」
「ちょっと。何親権争いしてる離婚夫婦みたいな会話してるのよ」
あーちゃん先輩が嫉妬気味に口を挟んだことで、佳奈多も恭介も我に返った。
「つい熱くなっちまったぜ…」
「そうですね…でも直枝は返して貰いますよ」
「まだ言うか」
「これが仕事ですから。それに幼なじみだろうがなんだろうが、生徒が連れ去られたとあっては看過できません」
「そうか…しかし、そう言われてもここにはいないしな」
「確かに、ここにいる様子はないですが…一応確認してみます」
そう言って佳奈多は、漫画本の山をどかしたりベッドの下を覗き込んだり炊飯器の蓋を開けたりして、理樹がいないことを確認した。
「本当にいないようですね」
「うん、いや、あのな。わざわざ確認しなくても、炊飯器の中に理樹がいる訳ないだろう…」
「電気も来てないのに炊飯器を何に使ってるのか興味があったんです」
「自転車こいでご飯炊くつもりだったんだよっ!」
佳奈多は呆れた表情で、やれやれとでも言うように手を広げた。ずっと苦笑していた小毬が佳奈多に話しかけた。
「理樹君いないならどうするの?他を探す?」
「そうね、素直に直枝の居所を吐く大魔王棗恭介とも思えないし。でも」
佳奈多は魔宮の中をぐるりと見渡した。
「ここは撤去しておかないとね」
「なに…?」
恭介の顔が歪んだ。
「今、なんて言った」
「ここは撤去する、と言ったんです。設営許可とってないですよね?」
「秘密基地作るのにいちいち許可なんか取るわけ無いだろう…」
「そうですか。無許可なら撤去します」
「これ作るのにどれだけ時間かかったと思ってるんだよっ!」
「知りません。あなたこそ、いつも勝手に作られた違法構造物を撤去するのに私の時間がどれだけ費やされてると思ってるんですか」
「作っても作っても毎回いつの間にか撤去されてるの、お前の仕業だったのか…ッ!」
「仕事ですので」
「仕事というか、これはもはやイジメだぞっ! それが勇者のすることか!」
「これは特任風紀委員の仕事ですので。勇者とか関係なく」
「権力か! 権力を笠に着るというのか! そうだよな、勇者ってのはいつもそうだ。所詮勇者などという存在は権力の走狗でしかない!」
「そうですか。ではお望み通り、権力に相応しく強制執行を行います」
そう言って佳奈多は携帯を取りだし、どこかに電話をかけた。会話を終えた佳奈多は恭介の方に振り返り、宣告した。
「風紀委員会の執行許可は下りました。これより違法構築物の撤去を行いますので、退去してください」
「待て、俺は承諾していない!」
「異議申し立ては風紀委員会審判部会に行ってください。そこでの審決が不満な場合は司法委員会に提訴することも出来ます。認められるかはともかく…何にしろ、私に文句を言っても決定は覆りませんよ」
「この鬼! 官僚主義者! お前は勇者なんかじゃない、ただの悪魔だ!」
「大魔王に悪魔呼ばわりされるとは思いませんでした…」
「まったく、見苦しいわねえこの子は」
そう言ってあーちゃん先輩が恭介の肩を掴み、外に引っ張り出そうとした。恭介は抵抗したので、なかなか動かせなかった。佳奈多が無言で近づいてもう片方の脇を抱え、葉留佳と小毬もそれに続いてそれぞれ右足と左足を持ち上げた。恭介は宙に浮いた。女の子4人に抱えられている恭介の姿を美魚が写真に撮った。
「おい、何の辱めだこれは!」
「辱めではありません、撤去の邪魔だからどいて貰っているだけです」
「写真に撮る事無いだろう!」
「…訴訟になったときの証拠になりますので」
「その理由今思いついただろう!?」
恭介は抵抗虚しく魔宮の外に連れ出されてしまった。
「じゃあ撤去にかかるわよ。柱は竹だし、倒れても中の物はそのままでも問題無いわね。まずビニールシートを外したいから、葉留佳と神北さん、西園さんは手伝って。あーちゃん先輩はそのまま大魔王棗恭介を押さえておいて下さい」
「りょぉかい」
「おい、待て!」
恭介はあーちゃん先輩に取り押さえられていて動けなかった。佳奈多と他3人は、魔宮を覆う青い幕をはずすため、4隅に散らばって作業を始めた。あーちゃん先輩は恭介の服の中に手を入れていた。
「おい、何をする」
「役得役得〜」
「お前、ふざけんな…」
「じゃあ真剣に触るわね」
「そういう意味じゃねえ…」
「どうして欲しいのよ」
「だから、触るなって…」
「かなちゃんに恭介押さえとけって言われてるしなあ。それは無理」
「だったらせめて猥褻行為はやめてくれ…」
「んまっ。猥褻行為ですって! アタシそんなつもりないのに、恭介はそういう気分になってたって言うのっ!? んもう、きょぉ〜すけ〜のス〜ケ〜ベ〜♪」
佳奈多と葉留佳と小毬と美魚が、一斉に恭介の方を向いた。
「違う! 俺はスケベなんかじゃ…」
佳奈多と葉留佳と小毬と美魚は、何も言わず作業に戻った。
「待て! お前ら誤解している! 話を聞いてくれ!」
「作業の邪魔しちゃだめよ恭介」
「作業より俺の名誉の方が大事だっ」
「とっくにホモだのシスコンだの言われてるのに、今更なにが名誉よ」
「お前…どこまで俺の心をくじくんだ…」
恭介が泣いている間に、佳奈多達は解体作業を終えていた。
「それじゃあ、葉留佳と西園さんはこっち来て。神北さん、一緒に引っ張るわよ」
「おっけー。せーの、っ!」
佳奈多と小毬がビニールシートを引っ張り、シートが引きずり下ろされると共に引っかかっていた竹の柱が倒れていった。その光景を恭介は眼を見開いて見続けていた。大した音はしなかったが、恭介の耳にはそれが轟音を上げて崩れていくように見えた。心の轟音を打ち消すかのように、恭介は叫んだ。
「うあああぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!!!!!」
恭介の叫びをよそに、佳奈多は後片付けの指示をしながら自らも魔宮の残骸のチェックをしていた。
「これも備品…これも備品じゃないの。全く、どれだけ勝手に持ち出してるのよ…」
「ビニールシート、畳み終わりました」
「ありがとう。それはそのまま下に持っていくから…一人で持てそうならそのままおりていいわよ」
「他にも荷物いっぱいあるよ?」
「私物はいいわ、学校の備品だけ持って行きましょう」
「それでも結構あるわねえ」
「そうですね…仕方ありません、持てるだけ持って行くことにしましょう」
佳奈多達は備品を選別し、それぞれ持てる物を携えて、山を下りていった。恭介は、魔宮跡の傍らでずっと泣き崩れていた。そこに、美魚が戻って来て、そっとビニールシートを差し出した。
「西園…もしかして、秘密基地の再建を手伝ってくれるのか?」
美魚はゆっくりと首を振った。
「恭介さんの私物…特に漫画本、そのままだと雨が降ったとき濡れてしまいますから。今日中に一人で持ち出すのは無理でしょう?」
「…。」
「漫画といえど、本が傷むのは悲しいですから。それだけです。ビニールシートはちゃんと返しておいて下さいね。私が怒られてしまいますから」
そう言って美魚は、再び去って行った。恭介はその後ろ姿を見送った後、再び泣き崩れた。
第一次魔宮作戦 終了。
次回
大魔王棗恭介の魔宮を破壊した勇者佳奈多、しかしそれは数ある魔宮のうちの一つでしかなかった。そして何より、理樹を救出できていない。大魔王討伐のため再び裏山に向かおうとする佳奈多達一行の前に、恭介の手下が立ちふさがる。
次回 勇者佳奈多と百万円の壺、第四話「三本の矢さんなのです」