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 僕が佳奈多さんと葉留佳さんと同居し始めて、もう何ヶ月経ったのだろう。
 僕は部屋で一人、求人用のフリーペーパーをを眺めていた。何か僕にも出来そうな仕事は無いだろうか。自宅でできる仕事でなくてはならない。発作が起きても迷惑をかけたりしない仕事でなくてはならない。佳奈多さんにそう言われているから。
 
 扉が開く音がして、佳奈多さんが部屋に入ってきた。3人で住むからと広めの部屋を借りたつもりの1LKだったけど、リビングは居室にはならないということは住んでみて初めてわかった。みんな自然に、寝室に使うはずの部屋に来てしまう。僕はこの部屋で、いつも二人を出迎えることになる。
 佳奈多さんは疲れた表情で部屋に入ってきて、はぁと溜息をつきながら自分の定位置に座った。
「おつかれさま」
「ええ、おつかれさまよ」
 そう言って佳奈多さんはタイを外し、襟元を緩めた。葉留佳さんならいざ知らず、佳奈多さんが外では絶対に見せない姿だ。僕の前でもこんなに気を緩めるようになったのは結構最近のことだ。
「本当はすぐにお風呂に入った方がいいのだけど、少し休みたい気分なのよ」
 何故か僕に言い訳するような口調で佳奈多さんは言った。今日は特に疲れたらしい、休むと言いつつ時折肩を動かしている。
「佳奈多さん、少し肩を揉もうか?」
「そうね──自分でするより直枝に揉んで貰った方が、回復は早いかもしれないわ」
 そう言って佳奈多さんは背中を僕の方に向けた。少し距離があったので、僕は佳奈多さんの側まで移動しようとした。足首に繋がった鎖がじゃらりと軽く音を立てて、佳奈多さんは一瞬だけ振り向いて音のした方を見た。しかし何事もなかったかのようにすぐ元の向きに戻ってしまった。そして両腕を床に付けて、少しだけ体を僕の方に移動させてくれた。
 僕は佳奈多さんの後ろに座って、肩から背中にかけてこりをほぐす為に指を押しつけて揉んだ。
 揉んでいるうちに、疲れで険しくなっていた佳奈多さんの表情がだんだん緩くなっていくのが、後ろ側からでもわかった。
「ふぅ」
 佳奈多さんは溜息をついて、だいぶ良くなったということを僕に教えてくれた。僕は佳奈多さんの肩に押さえつけていた手を放そうとした。その左手を佳奈多さんが自分の右手で押さえた。左手を押さえられてしまったので、右手の方も放したはいいものの完全にどけることも出来ず、そのまま宙に浮かせる恰好になってしまった。
「佳奈多さん?」
 僕が声をかけると、佳奈多さんは一瞬無言になった。そして僕の手を押さえたまま言った。
「肩を揉んでくれたお礼をしないと。ね」
 一瞬、鎖を外してくれるのかと思った。けれどもそれは無かった。代わりに佳奈多さんは、手を押さえたままその手の指を絡ませ始めた。僕は何も言わずさせるがままにしていたが、そのうち無意識的に自分の方からも指を絡ませ始めていた。
 どれだけの時間が経っただろうか。佳奈多さんが口を開いた。
「いやらしいのね」
「なっ。なんでそうなるのさっ」
「いやらしいことは微塵も考えていなかったと、断言できる?」
「そっ、それは…」
 全くの嘘だった。
「この分だと他にもいやらしいことを考えていそうね」
「考えてないよっ!」
「どうだか。肩を揉むとか言って、もっと先に手を伸ばそうとか思ってたんじゃないの?」
 肩のもっと先。僕は確かめるつもりで目線をそっちにやった。ブラウスが大きく膨れあがっている。さっき佳奈多さんが襟元を緩めたので、隙間から中が見えてしまいそうだ。
 気がつくと佳奈多さんが横目で僕の顔を見ていた。少しあきれ顔だった。
「ち、違うんだ! 違うんだよ!」
「何が違うの…」
 そう言って佳奈多さんは、押さえていた僕の左手を引いた。反射的に僕が抵抗したので、佳奈多さんは引っ張る力を強めた。強められた力に僕は一瞬驚いて、左手の力を抜いてしまった。体のバランスを崩して佳奈多さんにもたれかかってしまった。佳奈多さんは体をずらして半回転させ、僕の体が自分の前に来るようにした。左手は佳奈多さんに捕まれてしまっていた。佳奈多さんはその手を自分の胸元に持ってきて、触れる手前のところで止めた。
「ねえ。どうしたいの?」
「どうしたいって…」
 言わされてる。そう思った。でもここで嘘を言ってもあまりいいことはない、そうも思った。
「触りたい…」
「そう」
 佳奈多さんはそっと押すように僕の手を胸に当てた。初めての感覚に頭が真っ白になりそうだった。折角の佳奈多さんの好意だから、気絶なんかしたらいけない。僕は少しだけ頭を振って、そしてとりあえず姿勢をたて直そうと思った。起き上がろうとすると佳奈多さんがもう片方の手で支えてくれた。そして僕が体勢を直すと、そのまま抱きかかえるように自分の体に押しつけてきた。
「佳奈多さん!?」
 僕が思わず声を出すと、かなたさんの腕の力は弱まった。
「えっ。吸いたいんじゃないの!?」
「えっ!? あ、あの」
 違う、と一瞬言おうとした。でもここで僕が否定したら佳奈多さんに恥をかかせてしまう。そう思って言葉を飲み込んだ。代わりに、自分から佳奈多さんの胸に顔を押し当てた。佳奈多さんは何も言わず左手で僕の頭を支えてくれた。右手は僕の左手と繋がれていたが、それを放して胸元に手をやり、ボタンを外し始めた。ぼくはされるがままになっていた。吸い付いたときだけは、一瞬だけ亡くなった母親のことを思い出した。それ以外はなにも考えなかった。ただひたすら、夢中で吸っていた。
 佳奈多さんはずっと僕の頭を撫でてくれていた。そしてふと、こんなことを言った。
「こんなに夢中で吸っちゃって…。直枝ったら赤ちゃんみたい」
「!!!」
 さすがに恥ずかしすぎる。僕は顔を放そうとした。けれどもそれは出来なかった。佳奈多さんは両手でいしっかりと僕の頭を抱きかかえて自分の胸に押しつけていた。
「だめよ…離れてはだめ。離れないで…」
 そう言ったたきりずっと強く僕を抱きしめたままになってしまった。僕は暫くそのままの姿勢でじっとしていた。どうしたら佳奈多さんを安心させられるだろう。そんな事ばかり考えていた。考えて、正解かどうかわからなかったけど、空いていた両手を佳奈多さんの後ろに回して背中を抱きしめた。佳奈多さんはその力に押されたとでも言わんばかりに僕の方に倒れ込んできた。背中に床があたったとき、一瞬だけ足の鎖のことが頭をよぎったが、すぐにそんなものはどうでも良くなった。
 
 気を失っていた。その事に気づくのに、少しばかり時間がかかった。すぐ横に佳奈多さんの顔があった。佳奈多さんは僕の頭を抱えるようになで続けていた。
「直枝も…葉留佳も…私のもの。…ねえ、そうでしょう?」
「うん…そうだね」
 僕が頷くと、佳奈多さんはとても無邪気な表情で笑ってくれた。
 
 服を直しながら、佳奈多さんは言った。
「ねえ。この事…葉留佳には黙っていて欲しいの」
「う、うん」
「葉留佳がこんな事を知ってしまったらきっと傷つくと思うし…無意味に悲しませたりはしたくないのよ」
「わかった、葉留佳さんには内緒にするよ」
「…ありがと」
 そう言って佳奈多さんはもう一度僕を撫でてくれた。
 
 
 
 
 
 僕は部屋で一人、求人用のフリーペーパーをを眺めていた。何か僕にも出来そうな仕事は無いだろうか。引っ越してすぐ始めたバイトは、仕事中に発作を起こして結局辞めることになってしまった。
 佳奈多さんも葉留佳さんも、外に働きに出ている。僕は親が残してくれた遺産があるから、何とか自分の生活費は出せている。佳奈多さんも葉留佳さんもそんなもの出さなくていいと言う。そんなはずはない。二人だけ働きに出して僕は何もしていないだなんて、そんな道理はない。二人には勝手に外に出るなと言われていたけど、外に出なくていい仕事なんてそうそうあるものじゃない。そう思った僕は、無断で外に出てしまった。
 そして発作を起こした。
 
 3人で部屋に戻ってくると、葉留佳さんは泣き顔になって何で外に出たのと僕を責め始めた。僕は何も言い返せなかった。佳奈多さんが葉留佳さんを取りなしてくれて、葉留佳さんは何とか落ち着いた。そして佳奈多さんは、僕に足を出すように言った。言われるがままに足を差し出すと、佳奈多さんはいつの間に買ってきたのか、鎖を付けるための輪を僕の足に付けた。鎖のもう一方の端は部屋で一番重そうな洋服入れに繋がれた。
「あなたが悪いのよ。勝手に外に出たりするから」
 僕はうなだれたままだった。確かに、一人で外に出ないということは二人と約束していて、僕はそれを破ってしまった。
「ねえ直枝。わかってるわよね? あなたはいつ発作を起こすかわからないんだし、それが誰もいない場所だったら助からない可能性だってある。もし誰かがいたとしても、人が倒れれば騒ぎになるし、大変な迷惑をかけることになるでしょう? 助けてくれた人にも、後で謝らないといけない私達にも」
「うん…」
「それに一切外に出るななんて言ってないでしょう? 私か葉留佳、どっちかと一緒なら、外に出てもいいって」
「うん、僕が悪かったよ」
「わかってくれてるのならいいわ。これからは外に出たいときはちゃんと言いなさい」
 そう言って佳奈多さんは二組の鍵を取り出し、そのうちの一つを葉留佳さんに渡した。
「二人で持っておきましょう」
「うん、そうだね」
 
 約束通り、二人のうちのどちらかに言えば、僕は自由に外出できた。葉留佳さんはむしろ好んで僕を外に連れ出したがって、そんなとき佳奈多さんは少し寂しそうな顔をしていた。
 
 
 
 
 
 僕は部屋で一人、求人用のフリーペーパーをを眺めていた。何か僕にも出来そうな仕事は無いだろうか。家でできる仕事は詐欺まがいのものが多いから勝手に決めずにちゃんと相談しなさい、佳奈多さんはそう言っていた。葉留佳さんではだめなの? と僕が意地悪心から訊くと、ぴしゃりと駄目よと言われた。自分で全部把握しておかないと気が済まないのだろう、僕はそう推測した。
 顔を上げて時計を見る。佳奈多さんが帰ってくるまでにはまだ時間がありそうだ。今日はむしろ葉留佳さんの方が早く帰ってくる日だっただろうか。僕は少し移動して、佳奈多さんお手製のスケジュール帳を取りに行った。市販の大学ノートの見開き2ページを使って1週間分の予定がきっちりと書き込まれている。僕の記憶通り、今日は佳奈多さんは少し遅くて、葉留佳さんは早く帰ってくる予定になっていた。
 
 扉が開く音がした。少し早いけど、きっと葉留佳さんだ。僕の予想通り、顔を覗かせたのは葉留佳さんだった。
「はるちんは残業はしたくないのデス」
 訊かれてもいないのにそんなことを言った。予定より早く帰ってきたことの説明なのだろうか。僕は敢えて何も言わなかった。それはいつものことなので、葉留佳さんも気に留めなかった。
「お姉ちゃんは今日帰り遅いんだよね…?」
 僕の手元の予定表を見ながら、葉留佳さんはそう言った。
「うん、かなり時間があるね。こういうときは先に食べてていいって佳奈多さんが言ってたよ」
「つまり作っとけって意味デスヨネそれって」
「まあ、そういうことになるね」
 暫く二人で苦笑した。
「部屋で理樹君と二人だけなんて、結構久しぶりだなー」
 そう言いながら僕の隣に座ってきた。
「そうだね。あ、何か食べる?」
 立ち上がろうとした僕を、葉留佳さんが制した。
「理樹君は台所まで行けないでしょ」
 そう言って僕の足に繋がれた鎖を見た。
「うん、だから葉留佳さんの鍵で外して貰って。あ、もちろん逃げたりしないよ。今だけだよ」
「ふううん…」
 葉留佳さんは何故か疑いを含んだ眼差しで僕の方を見つめていた。
「え…。何? どうかしたの?」
「理樹君。私、理樹君のこと、信じて、いいんだよね?」
「う、うん。もちろんだよ」
「じゃあ訊くけど。理樹君もお姉ちゃんも、私に隠し事なんてしてないよね?」
 隠し事。僕の脳裏に佳奈多さんとのあのことが蘇った。そして次の瞬間、しまったと思った。葉留佳さんは僕の表情を読み取って、少し落胆した表情になっていた。
「やっぱりね…。うん、ほんとは気づいてたんだ。二人で何やってるかも、ね」
「…。」
 僕は何も言えなかった。
「ひどいな。理樹君も、お姉ちゃんも。私だけのけ者にしたりして」
「違うんだ、葉留佳さん。そういうつもりじゃなくて」
「悪気がないってのはわかってるよ。だからそんなに慌てなくてもいい。ただね、私もちゃんと仲間に入れて欲しいな、って。それだけ。それだけだよ」
 そう言いながら葉留佳さんは顔も体も僕の方に近づけてきた。僕は反射的に後ずさりした。葉留佳さんは動ずる事無く、さらに体を近づけてきた。
「逃げなくてもいいんだよ。大丈夫。お姉ちゃんと同じ事するだけだから」
「ま、待って…」
 僕は足を動かして体を後ろにずらし、葉留佳さんから遠ざかろうとした。それでも葉留佳さんは追ってきた。僕はもっともっと後ろに行こうとした。ガチャリ、と音を立てて、鎖が僕の足の動きを封じた。その音に気づいた葉留佳さんが、僕の足に繋がれた鎖を見た。
「…鎖を付けようって言い出したのはお姉ちゃんだけど。正解だね。やっぱりお姉ちゃんにはかなわないや…」
 そう言ってまた僕の方を向き、また近づいて僕を押さえ込み始めた。僕はもうそれ以上逃げることは出来なかった。葉留佳さんにされるがままになった。
 

 葉留佳さんに犯されながら僕は、二人の父親である晶さんと初めて会ったときのことを思い出していた。


『──やめとけやめとけ。こいつらは怖いぞ。根っこの部分が腐ってやがる──』
 
 
 
 
 
(2013/10/13{はるかな誕生日}公開)
 
 
 
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