荒野草途伸ルート >> 荒野草途伸Key系ページ >>リトルバスターズ!KX >>リトバスSS >> 井ノ真の夏期講習 >>第七話

井ノ真の夏期講習

 

 
 
 
 廊下の掲示板に張り出されたポスターを見て、佳奈多とクドは少々呆然としていました。
 
【まだ間に合う! 夏期特別講習受付中、1,2,3年生受講料無料。 井ノ真ハイスクワット】
 
「…。」
 佳奈多はポスターに手を伸ばし、はがそうとしたのです。
「あっ。あっ。はがしてしまうのですか?」
「だってこれ無許可掲示物だし」
「きっと井ノ原さんにも井ノ原さんなりの事情があるのです…」
「事情があるのなら尚のことちゃんと許可を取らないとだめでしょう?」
「それはそうですが…」
「捨てたりしないわよ。本人に、掲示物はちゃんと許可を取るように指導しないといけないから」
「そうだったのですか」
「…この夏期講習というのが何なのか、興味もあるし…」
「あ、やっぱり気になりますよね」
「気になるというか、ツッコミたいというか…」
「何はともあれ、井ノ原さんの所に行ってみましょう」
 
 
 
 E組の教室に真人はいなかった。佳奈多とクドは人に訊いて周った挙げ句、ようやく空き教室の一つに辿り着きました。佳奈多が扉を開けると、中では葉留佳が数学の授業をしていました。
「おう、お前らも特別講習受けに来たのか」
 後ろで腕組みをしながら聞いていた恭介が、佳奈多に話しかけました。
「受けに来たというか…一体何なのか確認しに来たんだけど」
 そう言って佳奈多は、ポスターを恭介に見せました。
「真人の奴…こんなポスターまで作って、とんだ気合いの入れようだな」
「そのようですね。で、これはどういう事です? 講義をしているのは葉留佳に見えるんですけど」
「ああ。今は数学の時間だからな。数学は三枝に頼んだ」
「頼んだ? あなたが始めたことなんですか?」
「鈴がな。突然獣医になりたいとか言い出して。しかし獣医ってのは獣医学科に入らないとなれないからな。だからこうして特別講習をセットした」
「随分と妹さんに甘いことで」
「いや…むしろこれは、鈴に現実を知って貰おうと思って始めたことだ」
「はあ。それで葉留佳が数学を?」
「三枝は数学が出来るらしいからな。獣医学科に入るにはどれくらいの数学力が必要か、遠慮なく厳しい講義をやってくれと頼んだ」
「はあ、そうですか」
 そう言って佳奈多は、クドと一緒に後ろの席に座りました。
「何だ、お前らも受けてくのか」
「折角の葉留佳の講義ですし」
「そうか。でももうすぐ終わるぞ?」
 恭介は時計を見ながら言った。やがてタイマーの音が鳴り、葉留佳は講義を終了しました。講義を聞いていた鈴は机に突っ伏しました。
「わっ。わっ。鈴さんがオーバーヒートしてるのです!」
 クドは葉留佳と入れ違いに鈴にかけよった。
「少し休みましょう鈴さん」
「だめだ…この後まだ、理科の講義がある」
「そうなのですか…」
 佳奈多は、葉留佳と恭介に向かって尋ねました。
「葉留佳、理科もやるの?」
「イイエ。理科は、井ノ原君がやりマス」
「井ノ原が。ああ」
 佳奈多は机の上に置いていたポスターに目をやっていました。そして何かに気づいたかのように、恭介の方を向きました。
「現実を知って貰うための特別講習じゃないんですか?」
「まあそうなんだが。他に適任もいなかったのでな」
「彼以外なら誰だって適任な気がしますが…」
 そんな会話をしている間に、教室の前方の扉が開いて、井ノ原真人が入ってきた。
「うーし、席に着けー」
 
 そう言って真人は黒板の前まで歩み寄り、大きく『化学』と書きました。
 
「見ての通り、今日の講義は化学だ。アミノ酸について講義するぞ」
「ちょっといいかしら?」
 佳奈多が挙手した。
「アミノ酸って、確かに化学という学問の範疇ではあるけど、高校化学でそこまでやるかしら? どちらかというと生物の範囲だと思うんだけど」
「え? お前何言ってんだ?」
「何言ってるって…高校の授業や大学受験の範囲でアミノ酸といったら生物じゃないの? という指摘をしてるんだけど」
「そんなこと言われてもよぉ。俺は今日の講義では鰹節に含まれるアミノ酸を取り上げるつもりだし。鰹節はナマモノじゃないだろ? だったら生物じゃなくて化学じゃねえか」
 あまりに古典的なボケに、佳奈多は偏頭痛を起こした。代わりにクドが質問した。
「では今日は、鰹節からアミノ酸を工業的に抽出する方法とか、そういった内容の講義をして下さるのですか?」
「え? 工業的に抽出って、そんな大げさなもんじゃねえだろ? 鍋で茹でればいいんじゃないのか?」
「お前は味の素もサトウキビを鍋で茹でるだけで出来ると主張するつもりか…」
 恭介も偏頭痛を起こしていた。
「うるせーな! だいたい今日の講義内容は抽出とかそんな内容じゃねーよ! アミノ酸からタンパク質が合成されて筋肉が出来るとか、そういう内容だよ!」
「そういう内容ならやっぱり生物だと思うのです…」
「イヤ、もしかしたら、井ノ原君の筋肉は化学工業的に合成されているという衝撃の真実がこの後明らかになるのかも知れませんヨ」
「…普通に人体の仕組みの一部だよごめんなさいでした…」
 
 真人は泣き顔になりながら黒板の字を消し、改めて『生物』と書き直しました。
 
「じゃあ、気を取り直して、今回の講義を手伝ってくれるアシスタントの人を紹介しよう。入ってきてくれ!」
 真人が声を上げると、ドアが開いて一人の女子生徒が中に入ってきた。
「紹介しよう、アミノさんだ」
「ど〜も〜。網野 彩で〜す」
「何やってんですかあーちゃん先輩…」
 佳奈多がこめかみを押さえながら突っ込みを入れた。
「何って。特別講義のアシスタントだけど?」
「そうですね…失礼しました…」
「よし、では気を取り直して。アミノさん、例のものを」
 あーちゃん先輩は、鰹節をまぶしたおにぎりをみんなに配った。
「なんだこれは? ねこまんまのつもりか? 最近の猫はねこまんま食べないぞ。あたしは食べるけど」
「そうじゃない。これに入っている鰹節が重要なんだ。さっきも言っただろう、鰹節に含まれているアミノ酸を取り上げると」
「ああ、そんなこと言ってたわね…」
「よしクー公。鰹節に含まれているアミノ酸の名前を言ってみろ」
「え? 鰹節ですよね。必須アミノ酸と呼ばれるものは全部入っていたはずですけど…全部言うんですか?」
「あ、いや、そうだったかな? まあいい、中でも一番有名なものを一つ言ってみろ」
「リジンですか?」
「ん? なんだそれは」
「鰹節に含まれる必須アミノ酸ですけど…」
「常識よねえ」
「…あー、そうだったか? よく覚えてねえや。いや、今聞きたいのはそれじゃなくて、ほら、もっと有名なのがあるだろ。三枝、わかるか?」
「グルタミン酸デスカ?」
「…何だっけ?」
「うまみ成分と言ったらこれでしょ。有名じゃない」
「そういえばそうだったかな。いや、でも今聞きたいのはこれでも無くてだな。二木、お前ならわかるだろ」
「バリン、ロイシン、イソロイシン」
「BACCかあ、確かに筋肉には大事だよなあ」
「ええっ、これはわかるのっ!?」
「筋肉が絡んでますしね…」
「だがよう、これでも無いんだ。さっきうまみ成分って言葉が出ただろ。それの一種だ。恭介、わかるか?」
「お前…まさか、イノシン酸と言いたいのか…?」
「そう! それだよ! 焼き肉のうまみ成分もこれだよ! さすが恭介、わかってやがるぜ」
「あの、井ノ原君。喜んでるとこ悪いんだけど、イノシン酸はアミノ酸じゃなくて、核酸よ?」
「え?」
「リボ核酸とか、デオキシリボ核酸とか言うでしょ。遺伝子を構成する。それの仲間」
「い、遺伝子仲間!? いやオレにはちょっとそういうのは早いぜ」
「どんな仲間よ…」
「要するにアミノ酸とは分子組成が違う、別の種類の分子ということよ」
「なんだ真人、講師のくせに間違えてたのか?」
「い、いいだろ! 今はそんな事重要じゃねえ」
「めちゃくちゃ重要だと思うが…」
「いいや! 今大事なのは! うまみ成分! うまみ成分が大事なの!」
「だからグルタミン酸じゃないんデスカ?」
「グルタミン酸よりイノシン酸! はい覚える! イノシン酸!」
「これ覚えて、どこかの大学に合格出来るのかしら…?」
「AO入試ならいけるんじゃない?」
「もはや生物も化学も関係ありませんネ」
「いいから覚えろ! 肉のうまみ成分はイノシン酸である。はい鈴、復唱!」
「骨の主成分はリン酸カルシウムである」
「リン酸じゃねえよ! イノシン酸だよ! お前何聞いてたんだよ! て言うかわざとだろ、わざと間違えたろ!?」
「わざと間違えられる程あたしゃ賢くない…」
「だったら言ったとおり覚えろよ!」
「だったらもう少しテストに出そうなことを教えなさいよ…」
「テストに出そうと言うと、核酸には必ずリン酸が含まれているわね」
「アデノシン3リン酸とかもそうデスネ」
「はっ、もしかして鈴さんは、この事を指摘したかったのでは!?」
「え? いやそーいうわけでは…」
「賢くないとか言いながら、ちゃんと解ってるのね」
「すごいよ鈴ちゃん」
「えらいよ鈴ちゃん」
「かわいいよ鈴ちゃん」
「ばんざーい」
「ばんざーい」
「やめれ…なんだこの展開」
「あの、俺は…? オレのこともすごくてえらいってほめてくれないのか?」
「イノシン酸も核酸だから、リン酸が含まれてるわよ」
「リン酸無しではイノシン酸はあり得ない! 衝撃の真実!」
「なんだ真人、あたしがいないとなにもできない奴だったのか」
「え? いや待ってくれ…」
「鈴さんは猫だけでなく井ノ原さんのお世話までしていたんですねっ!」
「すごいよ鈴ちゃん」
「えらいよ鈴ちゃん」
「かわいいよ鈴ちゃん」
「ばんざーい」
「ばんざーい」
「なんだよこれ!? もはやわけがわからねえ!」
「自業自得。元々わけのわからない講義をしていたのは、あなたの方じゃなくて?」
「ちくしょぉ! 俺だって…俺だって…いいかお前ら、東大獣医学部に入って、お前ら見返してやるからな!」
 そう言い残して真人は泣きながら教室を飛び出していきました。
「東大に獣医学部ってありましたっけ?」
「きっと東大を組織改革して獣医学部を作れるくらい偉い人になるって意味よ。察してあげましょうよ」
「そうだったのですか…。井ノ原さん、陰ながら応援してます…」
 みんな真人が走り去ったあとを哀れみの視線で見ていました。そんな中、鈴は恭介に向かってぽつりと呟きました。
「兄貴…」
「ん?」
「あたし、強くなる。馬鹿にされない程度には勉強する」
「そうか。がんばれ」
 そんな兄妹と葉留佳を見比べながら、佳奈多は少し複雑そうな顔をしていたのでした。
 
 
おしまい
 
 
 
 
−−−−−−−−−−−−−−
 t  : 一覧


リトルバスターズ!KXに戻る
−−−−−−−−−−−−−−