栞「私、確かに『ドラマみたいな恋がしたい』って言いましたよっ!でも、誕生日に『忙しいから来られない』なんて、それじゃ出来損ないの三流ドラマじゃないですかっ!!」
栞が電話口で喚いている。相手は、間違いなく相沢君だろう。
そうか、相沢君来ないのね・・・。
栞「もういいです!祐一さんなんか、大嫌いですっ!!」
がちゃんっ
受話器を乱暴に置く栞。その顔には、あからさまに落胆の表情が見える。
今は関わらない方がいいだろう。そう判断したあたしは、そそくさと退散を決め込む。
が。
栞「・・・・・・。」
まずい、目が合ってしまった。
栞「・・・・・・。」
じーっ
香里「な、なあに?」
栞「・・・・・・。」
じーーっ
香里「ざ、残念だったわね。ほら、相沢君も受験生だし、いろいろあるのよ・・・」
栞「・・・・・・。」
じーーーっ
香里「えっと、今度都合のいいときに、三十倍にして返してもらいなさい。ね?」
栞「・・・・・・。」
じーーーーっ
栞は何も言わない。が、その目は明らかに何かを要求している。
香里「だ・・・だめよっ。あたしだって忙しいんだから。辛い辛い受験生なのよ。」
栞「・・・・・・。」
じーーーーーっ
香里「ほら、今日は栞は相沢君と一緒だと思ってたから、あたしも予定入れちゃってるのよ」
栞「・・・・・・。」
じーーーーーーっ
香里「はあ・・・。わかったわ、つきあってあげるわよ。」
栞「はい♪」
ころっと表情を変える。こうなることは計算済、といったところだろう。
香里「着替えてくるわ。」
玄関に出ると、栞はすでに待機していた。
香里「あんた、その格好で外出る気?」
栞「ダメかな?」
香里「外は寒いのよ。もっと厚着した方がいいんじゃない?」
栞「厚着のしすぎは虚弱体質を生むんだよ。」
香里「それは健常体の人が言う言葉よ。あんたはすでに虚弱体質なんだから・・・。」
栞「うー。」
栞の病状はは確かに、以前よりよくなっている。でもそれは、最悪の事態を脱したと言うだけで、普通の人が持つ無理のできる体になったわけではない。
香里「とりあえず、これだけでも着なさい。」
栞「これ、お父さんのコートだよ?」
香里「いいのよ、ここに置いてあったんだから。」
栞「そういう問題じゃ、ないっ」
玄関先でわあわあ言い合うあたし達に、母親が何事かとやってくる。
結局意に反して厚着をさせられた栞。不服そうだ。
栞「動きにくい・・・。」
香里「がまんしなさい。」
栞「これじゃ走れない。」
香里「走る必要なんか無いでしょ。」
実際、行く目的の場所すら決まっていないのだ。現時点では歩くことすら無意味かもしれない。
香里「ねえ、どこへ行くつもり?」
栞「え?お姉ちゃん決めてないの?」
香里「あたしはあんたにつきあわされて来てるだけなのよ。目的なんてあるわけないでしょ。」
栞「そうだっけ・・?」
口に指を宛てて、考える仕草をする。
香里「はあ・・・。」
なんだか、前に比べて変な癖がついたんじゃないかしら、この子・・・・。
前に比べて?
ふと思う。
そういえば、こうして栞と二人でどこかへ出かけるなんて、久しぶりではないだろうか。
初めてではないけれど、前にこうして歩いたのはいつだっただろう。
少なくとも、思い出さなければいけないくらい以前のことだ。
栞「・・・お姉ちゃん?」
香里「ん?ううん、なんでもない。」
栞「・・・・??」
結局目的を決めないまま歩き続け、その足が勝手に連れてきてくれた場所は商店街だった。
栞「目的もなくぶらつくには、いいところなんじゃない?」
香里「そうね。」
商店街は、夕刻の活況を呈していた。
かつて路面電車が消えていったように、全国で商店街が消えていっている。それなのに、この町の商店街の賑わいよう。まだまだここって田舎なのかしら・・・。
そういえば、自分はこの町を出ていこうと考えていた時期があった。
知っている人の誰もいない、たった一人で生きていく世界を望んで。
ううん、あのときあたしは、すでに一人だった。
香里「誰にも言えなかったもの・・・。」
栞「え?!」
何事かとあたしの顔を見つめる栞。
香里「な、なんでもないの・・・。」
栞「お姉ちゃん・・・変です。」
香里「そんなことないわ。あたしは昔からこうよ。」
栞「そんなことないです。お姉ちゃんはこんな変な人じゃなかったもん。」
香里「あんたも、そんな減らず口叩くような子じゃなかったわっ」
わいわい言いながら歩く二人。
道行く人には、どんな二人に見えるだろう。姉妹に見えるかしら。
・・ううん、人がどんな風に見てるかなんて、関係ないじゃない。
突如、栞が立ち止まる。
栞「・・・お姉ちゃん、勝負です。」
香里「え?」
栞の指さす先には、ゲームセンターがあった。
香里「・・・あたしは品行方正少女だから、ああいう場所には立ち寄らないのよ・・。」
栞「負けるのが怖いんだ。」
香里「・・・・・。」
栞「ニブニブの病気の妹にゲームで負けたなんて風評が立ったら、お姉ちゃんの評判はがた落ちだもんね。」
香里「・・・やるわよ。」
別に、風評が立つのが怖かった訳じゃない。妙に自信たっぷりな栞の姿、その腕前を見てみたくなっただけだ。
香里「ま、あんたに負けるとも思えないけど・・・。」
栞「わ、ひどぉい。」
香里「・・・・・。」
栞「これで8連勝です♪」
どうしたのかしら。確かにあたしはゲームなんてやりなれていないけど、でも栞にここまで負け込むなんて、正直意外だった。
香里「あんた、こんなに強かったの?」
栞「祐一さんのとっくんのおかげです♪」
そうか。
香里「ああもう、わかった。あたしの負け負け。風評でも素麺でも、何でも流して頂戴。」
栞「ん〜〜〜・・・・・じゃあ、あそこでお姉ちゃんのおごりです。」
喫茶店に入り、おのおのが注文を出す。
品が来るまでの間、なんでもない会話を楽しむ。
それは、品が来ても同じだ。
香里「ちょっと、そのアイスクリーム、溶けてるんじゃない?」
栞「ホットソースがかかってるんだから、溶けてるのは当たり前だよ。」
香里「ふうん・・・冬用のアイスか。」
栞「祐一さんが見つけてくれたの。」
香里「相沢君が?ちょっと意外ね。彼、こういうもの好きそうじゃないのに。」
栞「それも愛の力です。」
香里「愛の力、ね。」
それこそ相沢君に似合わない言葉だ。
そういうと、栞は怒ったような顔をする。
栞「そんなこと言うお姉ちゃんは嫌いです。」
香里「別に栞のこと悪く言ってるわけじゃないのよ。」
栞「同じ事です。私と祐一さんは、もう他人じゃないんですから。」
他人。その言葉に、一瞬びくっとする。
もちろん、そんなものに怯えたり引け目を感じたりする理由は、もう無い。
でも、一度刺さってしまった鉛筆の芯は、一年やそこらで消えるものではない。端から見ればそれは黒子にしか見えなくても。
そんな気持ちを押し隠すように、言ってやる。
香里「あんたにとっては他人じゃなくても、あたしにとっては他人だもん。」
栞「そんなことないですっ!」
あっさり否定されてしまう。
栞「だって、祐一さんは、お姉ちゃんの弟になる人なんだから・・・・。」
香里「は?!」
つい素っ頓狂な声を出してしまう。
香里「あんた・・・意味解って言ってるの?そこまで考えているの?」
栞「え?えっと、・・・」
もじもじする栞。たぶん、あまり深く考えていなかったのだろう。
そんな栞に、あたしは意地悪く言ってやる。
香里「あたしに弟なんていないわ。」
栞「そんなこと言うお姉ちゃん嫌いです。」
帰り道。
空の色が、赤から濃紺に変わる頃。
連れ添って家路につく二人。
香里「そういえば、今日あんたが話していたことって、殆ど相沢君の事ね・・・。」
栞「そ、そんなことないです。」
香里「あるわよ。ちゃんと数えてたんだから、相沢君の名前が出る回数。」
176回。
栞「お姉ちゃん、暇人。」
香里「そうかもね。こんな寒い中、わざわざ妹と外うろついてるんだから・・・・。」
栞「でも、私は楽しかったよ。」
そういえば、今日栞と二人で出かけられたのも、ある意味相沢君のおかげなんだな・・・。
もしかして、これが彼なりの誕生日プレゼントだったりして?
・・・まさかね。彼にそんな気の利いたことはできないわ。
香里「栞、相沢君からのプレゼントはまだ受け取ってないのよね?」
栞「うん。祐一さんは意地悪だから、前倒ししてくれないの。」
香里「案外、何も用意してないだけだったりしてね。」
栞「そういうことは考えちゃダメです。」
香里「そうね。」
栞「お姉ちゃんは、何をくれるの?」
香里「秘密。」
栞「わ、教えてくれてもいいじゃない。」
香里「家に帰れば解るんだから、いいじゃないの。」
栞「じゃ、早く帰ろ♪」
そういって手を引く栞。
そうだね、急いで帰ろうか。
予定外だったけど、久しぶりに家族四人で誕生会を開くことになっているもの。
祐一「よお、香里。」
香里「よお、じゃないわよ。あなた、栞との約束反故にしたでしょ。」
祐一「あ、いや、それは・・・・。」
香里「おかげで、代わりにあたしがつきあわされたのよ。」
祐一「それは申し訳ない。」
香里「あたしはいいんだけどね・・。栞には謝っておくのよ。」
祐一「ああ、そうする。」
香里「全く、何があったの?当日になって断りの電話入れるなんて。」
祐一「あ、いや、その・・・・・。」
香里「隠さなくてもいいでしょ。理由によっては、弁護してあげるわよ?」
祐一「あ、ああ、・・・・・」
祐一「実はな・・・・腹の調子が悪かったんだ。」
香里「・・・・・・。」
はあ。
祐一「ん、どうした香里、泣いてるのか?俺に同情してくれてるのか?」
香里「情けなくて涙が出てるのよ・・・・。」
相沢君、やっぱりあたしは、当分あなたを弟とは認めないからね・・・・・。