14:香里と佐祐理

 

日常は、続いていた。
しかし、それを打ち破る事態は、予想外のところからやってきた。

試験が近づいていたのだ。

祐一「迂闊だったぜ・・・・。」

正直、こんなまっとうな学生イベントのことなどすっかり忘れていた。
身に降りかかる災厄に翻弄され、勉強など手つかずだ。

祐一「ということで、助けてくれ香里。」


香里「高くつくわよ?」

祐一「しょうがないなあ。ほら、佐祐理さんをやるよ。」


佐祐理「えーっ?佐祐理、香里さんのものになっちゃうんですか?」

香里「・・・・・・・・。」

祐一「ま、待ってくれ。冗談だぞ?」


香里「わかってるわよ。で、なにが欲しいの?ノート?要点整理?愛のムチ?」

祐一「全部くれ。」

助かった。これで何とかなるだろう。
優秀な友人は、持っておくものだ。


「・・・・すごい。」

香里から渡されたノートを見て、舞が呟いた。
授業中に録った内容を、さらにきれいにまとめ直してある。

祐一「うーん、ここまでしてくれるとは、恐縮だな・・・。」


香里「気にすること無いわ。いつもやっていることだもの。」

祐一「しかし、ほんとに何か礼しないとな。」


佐祐理「ということで、きょうはお昼ごはんをご一緒しましょう。」


香里「え?」

佐祐理「香里さんの分も、作ってきたんですよぉ」


香里「で、でも・・・・」

祐一「いいじゃないか、たまには。ほら。」


佐祐理「残したらもったいないです。」


「・・・腐りやすい季節。」

祐一「そういうことだ。ほら、行こうぜ。」


香里「で、場所はここなわけね・・・・。」

自治会室の扉の前で、香里がため息をつく。

祐一「気にするな。俺達は既に、ここの常連だ。」

そういって俺は、扉の向こうに入っていった。
中にいる連中は、俺達を気にすることもない。さも当たり前のように、それまでしていたことを続けている。

だが香里が中に入ったとき、数名があっと言うような顔をするのがわかった。

祐一「?」

香里の知り合いだろうか。
だが香里は、平然とした顔をしている。

顔を戻すと、先ほどの連中も、何事もなかったかのような顔をしていた。

気のせいだったのだろうか。

佐祐理「西谷さん、こんにちは。」


西谷「はい。今日も来たんですね。」


祐一「毎日来てるだろ。」

香里「相沢君、あなた、自治会の子にまで手出してたのね。」


祐一「人聞きの悪いことを。」

西谷「こちらは?」


祐一「ああ、美坂香里。香里と呼んで差し支えないぞ。」


香里「それはあたしがいうべき台詞でしょ。」

こうしてまた一つ、日常を回る針が増えた。


産業学部217教室。
収容人数の少なさから授業にはほとんど使われないこの部屋は、学生にとって格好の自主学習の場となっていた。

だが、さすがに早朝ともなると、ここにいる人間も少ない。
そう思って217教室に入った香里は、そこに先客がいたことに多少の驚きを感じた。

香里「・・・・早いのね。」


佐祐理「香里さんこそ。」

香里「いつもこんな早いわけじゃないわよね?」


佐祐理「試験前ですから。」

香里「ずいぶん熱心ね。あなた、自宅からで、しかもお弁当も作ってるんでしょう?大変じゃない。」


佐祐理「義務ですから。」

香里「義務?」

佐祐理「はい。これは、佐祐理に課せられた、義務なんです。」


香里「誰かにそう言われたの?」

ううん、と佐祐理はかぶりを振る。

佐祐理「誰に言われるまでもなく、佐祐理がしなければいけない事なんです。
    誰よりも凛々しく、誇らしく。そして人の為になることをする。それが佐祐理の生きる意味なんです。」

香里「・・・・あなたって、凄いわ。見かけによらない人だとは思っていたけど。」


佐祐理「あははーっ。香里さんに褒められると、鼻高々ですね。」

香里「歳はたった一つしか違わないのに・・・なにがこんな差を付けるのかしら。」


佐祐理「でも、口で言うほど大したことやってるわけじゃないですよ。むしろ、さっきの言葉が恥ずかしいくらいですよね。」

香里「そういう考えを持って、実行してるって事が凄いのよ。」


佐祐理「実行・・・してますか?」

香里「してるわ。妬ましいくらいにね。」


佐祐理「そうですか・・・・・。」

一呼吸。

佐祐理「ほんとは、自信ないんですよ・・・。自分のやってることが、本当に人の為になる、誇らしく思えることなのか、って。」


香里「・・・そうなの?」

佐祐理「一度、おっきな失敗してますから。」


香里「誰かを傷つけてしまったとか?でもそれは」

佐祐理「殺しちゃったんです。」


香里「え・・・・・?!」

佐祐理「弟・・佐祐理に、弟がいたんですけどね・・・。」

過去のこと、自分の弟のこと、おそらくは彼女自身の傷であろう事を、佐祐理は語り始めた。
香里はそれを、ただ黙って聞いていた。

佐祐理の言葉に一区切りが付き、僅かな沈黙を挟んだ後。
香里は口を開いた。

香里「・・・そうね。でも、それは自分を責めて、追い込んでるだけじゃない?」


佐祐理「その通りだと思います。だけど、今はどうしようもないことなんですよ・・・」

香里「あなたを非難したいわけじゃないのよ・・・・。」

しばし沈黙した後、香里は言った。

香里「あたし、妹がいてね・・・・・」


 

祐一「あの二人、最近仲いいな。」


「・・・(こくり)」

舞もそう思っていたらしい。
別に悪いことではない。ただ、あの二人が一緒に早弁しているというのは、ちょっと異様というか何というか・・・

祐一「よお二人さん。何でまた早弁を?」


香里「失礼ね。これは朝ご飯よ、あ・さ・ご・は・ん。」


佐祐理「祐一さんも食べます?」

祐一「いや、今はさすがにいい・・・・。」

まだ九時前だ。

祐一「いや俺はまた、てっきり今日の昼飯はないものと・・・」


佐祐理「大丈夫ですよ。それは別にありますから。」

祐一「だよなあ。無かったら、舞が怒るもんなあ。はっはっは」

そんなことを言いながら、舞の元に戻っていった。

祐一「朝ご飯だってさ。」


「・・・聞いてた。」

祐一「そうか。」

「・・・祐一、明日から朝用の弁当、持ってきて。」


祐一「そうだな。・・・・って、俺が作るのか?!」

 


 

 

楽しいときだった。まるでそれは、ずっと以前から続いていて、そしてこれからも続くかのような錯覚を覚えていた。
だが、それは違った。俺達は、渦巻く気流の中心にある、ほんの小さな一穴にいたに過ぎなかったのだ。

自治会「      !」

祐一「おお、なんか久しぶりだな。連中アジってるぜ。」


佐祐理「じゃあ、応援に行かないといけませんね。」

祐一「香里も行くか?」


香里「・・・・やめておくわ。」

佐祐理「そうですか。ごめんなさい、今日はお昼ご一緒できませんね。」


香里「そうね・・・・。」

何故か、香里の顔が浮かないような気がした。

香里「佐祐理さん・・・。」


佐祐理「はい?」

香里「ううん、なんでもないわ・・・・。」

祐一「? じゃあ、行って来るよ。」


永久動力は存在しない。時計の針は見るものを惑わし、そしていつか止まる。


その15へ

戻る