16:一個目の学園祭

 

八月ももう、終わりに近づいていた。
木々から聞こえる声は、けたやかましいアブラゼミからツクツクボウシへと代わっている。

そんな夏の効果音の向こうから、人によるものとおぼしき喧噪が聞こえていた。

 

新濃「ナース祭だな。」


祐一「ナース祭?」

新濃「福祉学部の学園祭だ。旧看護短大時代の学園祭が前身で、ナース祭と呼ばれている。」

香里「ふうん。で、正式名称は?」


新濃「忘れた。」


祐一「そんなことだと思ったぜ。」

新濃「いや、マイナーなお祭りだからな。いわば福祉単独の奴だし。」


香里「大学の年間予定表に載っていないものね。」

新濃「まあ、細かい事情とかを話せば、長くなるのだが・・・」

 

新濃は話し出そうとしている。
ほんとに長くなりそうだ。こいつは長い物が好きだ。

 

祐一「香里、行ってみようぜ。」


香里「そうね。」

新濃「あ、おい。ナース祭の話聞かなくていいのか?」


祐一「正式名称も知らないような奴の話聞いても、意味ねーよ。」

 

 

祐一「・・・ふうん、一応学園祭の雰囲気はあるなあ。」

福祉学部の建物群。その周辺に、屋台やイベント会場が設えられている。

香里「学園祭の雰囲気って、どんな雰囲気?」


祐一「もちろん、人だかりがあって出店が出て大道芸人がいて太鼓が鳴って花火が開く奴だ。」

香里「・・・・それって夏祭りじゃない」


祐一「似たようなもんだと思うけどなあ。」

実際目の前の光景がそうなのだから、間違いじゃないだろう。

香里「少なくともあそこで演奏してるバンドは、太鼓使ってないわよ?」


祐一「いや、あれは大道芸人かと思った。」

香里「・・・・誰も聞いてなかったことを祈るわ。」

呆れたような顔をしてそう言う。

祐一「しかし、夏休みだってのに、よくこれだけの人間が集まるよなあ。」


香里「そう言うあたし達だって、ここにいるのよ?」

祐一「世の中には暇人が多いって事か。」


香里「そういうこと。」

そんな話をしながら、人混みで狭くなった路地を歩いていた。

香里「何きょろきょろしてるの?」


祐一「いや、もしかしたら北川も来てるんじゃないかと。」

香里「そうねえ。来てるかもしれないわね。」

笑いながら、香里も北川を探しだした。

祐一「二人掛かりで捜しても、見つからないなあ。」


香里「来てる保証はないからね。」

と、ふと思う。

 

祐一「・・・俺達はここに、北川を探しに来たんだろうか。」


香里「別にいいんじゃない?特に目的もなかったんだし。」

祐一「しかし、お祭りに来て『北川を捜す』が目的じゃ、何となく虚しいぞ。」


香里「じゃあ、『名雪を捜す』にする?」

祐一「一緒じゃん・・・」

 

と言うか、名雪は絶対来てないはずだ。

 

香里「じゃあ、『佐祐理さんを捜す』。」


祐一「来てたら、俺達が捜すまでもなく、向こうから発見されてるぞ。」

香里「じゃあ、『かわ・・・」

祐一「あのなあ・・・いい加減『誰かを捜す』という発想から抜け出さないか?」


香里「そうね。折角、相沢君と二人きりで来てるんだしね。」

 

・・・折角、と言うほどのことでもない気がするが・・・

 

祐一「ま、元はと言えば、俺が北川捜したのがいけなかったんだな・・・。」

 

そういって前を見やる。視界に映る人混み。
ふと、その中の一人が、俺の目に留まった。
意識の中に走る、記憶の斜線。

 

祐一「・・・・・・・。」

香里「どうしたの?」

祐一「・・・ごめん、香里。ちょっとここで待っていてくれ。」


香里「え・・・?」

そういって俺は駆けだしていた。

 

見覚えのあるリュックだった。羽のついた。

向こうは、歩いている。俺は、走っている。すぐ追いつけるはずだ。

そう思ったのだが、何故か見失ってしまった。

 

祐一「・・・・・変だ。どこ行った?」

 

辺りを激しく見渡すも、もうその姿は俺の目には見えない。

幻覚だったのかとあきらめ、香里のところに戻ろうとしたとき。
街路樹の元に、はねつきリュックを背負った人物がいた。

今度こそ見失ってなるものか。そう思いながら駆け寄り、逃がすものかと、その肩をがっしと掴む。

 

男「・・・なんすか?」


祐一「げ・・・・・男?!」

男「・・・何の用ですか?」


祐一「い・・いや。何でそんな格好してるのかなあ、と。」

男は、何も答えない。その目は、訊いてくれるなと訴えているかのようだ。

祐一「いや、悪かった。俺が悪かった。全面的に悪かった。」

 

俺は、逃げるようにその場を立ち去った。

 

香里「何だったの?」


祐一「いや・・・。知り合いかと思ったら、『罰ゲームの人』だった。」

香里「そ。」


祐一「悪かったな、置いてきぼりにして。・・・なんか奢ろうか?」

香里「そう。じゃあ、あれなんかどう?」

 

そう言って香里の指さす先には、屋台があった。

 

祐一「『あつあつのたい焼き』。・・・・マジすか?!」


香里「マジよ。」

祐一「何でこのくそ暑い中たい焼きなんだ?!何考えてんだよ。否、大体そんなものを売ろうというあいつらの神経からして間違っている。」


香里「あら、海水浴場ではラーメンやおでん売ってるのよ。たい焼きがあっても、おかしくはないんじゃない?」

祐一「ここは海辺じゃない。だいたい、何も『あつあつ』までつけなくても・・・・」


香里「でも、宣伝効果はバッチリじゃない。」

 

確かに、それが俺達の目を引いたのだからな。

 

香里「買ってみない?」

祐一「乗せられてるみたいでなんか嫌だ。」


香里「そう?」

 

そう言いながらも香里は、俺の手を引いてどんどん屋台に向かっていく。

 

祐一「そんなにたい焼き食いたいのか?」


香里「変わったもの、好きでしょ?」

祐一「嫌いじゃないけどさ・・・。」


香里「じゃあ、挑戦してみるべきじゃない。」

祐一「挑戦って・・・」

 

・・・・ま、いいか。
 
俺も、何となくたい焼きを手にしたい気分だ。 
 

祐一「うわ、ほんとに熱そうだぞ。」


香里「その場で焼いてくれたからね。」

祐一「じゃあ、冷めないうちに食べるか。」


香里「せっかくの焼きたてだものね。」

 

夏場に交わす台詞じゃないよな、等と思いながら、一個を香里に渡し、自分用にもう一つを取る。

 

セミが、鳴いている。
その木の根本にあるベンチ。
そこには二人の男女が座り、たい焼きをほおばっている。

・・・・異様な光景だろうな。

風が、吹いた。

 

祐一「たい焼き食った所為かな、風がとても心地よく感じるのだが。」


香里「そうね。」

 

そう言って、う〜んと伸びをする香里。

反った体に、波打つ髪が絡まって、吹き抜ける風の感覚と相まって・・・

 

香里「何?」


祐一「え?!」


何故か、その姿に見とれてしまった。

 

祐一「いや、何でもない。あ、たい焼きもう一個食う?」

 

ごまかすように、袋に手を入れる。
が、そこにはもうたい焼きはなかった。

 

祐一「あれ・・・・・?」


香里「どうしたの?」

祐一「いや・・・たい焼きが無いんだ。」


香里「食べちゃったんじゃないの?」

祐一「いや、お互い一個づつのはずだし。買ったの、四個だよなあ?」

 

暖かみの残る袋をくるくると回しながら訊いた。

 

香里「通りすがりの野良犬が食べちゃったのかしら。」


祐一「だったら気づくだろ普通。」

 

そう言いながらも俺は、野良犬を捜して辺りを見渡していた。

その視界の中に、見えたもの。
それは、またしてもあのはねリュックだった。

 

祐一「・・・・・・・。」

 

先ほどの罰ゲーム男ではない。今度ははっきり認識できた。
俺の記憶の中にある、あの少女の姿と同一だと。

少女は人混みの中を駆けて行っている。

あの距離では、走っても追いつくことは出来ないだろう。
そう思ったとき、ふと、その少女が振り返ったような気がした。
たとえそれが現実でも、それはほんの一瞬だった。

でも、彼女はたぶん、笑っていた。
そして次の瞬間には、俺の目はもう、その姿をとらえることは出来なかった。

 

香里「どうしたの?」

 

その香里の言葉で、我に返った。

 

祐一「いや、・・・ちょっとな。」

 

そう言って、たい焼きの袋をポケットに押し込んだ。

 

香里「捨てないの?」


祐一「ああ。今日はちょっと、持って帰りたい気分なんだ。」

香里「・・・・変な趣味があるのね。」

笑いながらそう言った。

 

祐一「決して袋を集める趣味があるわけじゃないぞ。ただこれは、そう、いわば思いでの品だ。」


香里「思いでの・・・・。」

 

一瞬の間の後、香里が言った。

 

香里「あたしは、このくらいで思い出にはしたくないわ・・・・。」


祐一「え?」

香里「ううん、こっちの話。」


祐一「???」

 

まあいいか・・・・・。

 

香里「あ、もうそんな時間なのかしら。」


祐一「え?」

香里「ヒグラシ。」

 

そう言われてみると、確かにセミの鳴き声はツクツクボウシからヒグラシになっている。

 

祐一「・・・結構長いこといたんだな。」


香里「もう一日が短い季節なのよ。」

祐一「そうか。あっという間に、時間が過ぎちゃうんだもんな。」


香里「一日も一ヶ月も、季節が終わるのも、あっという間よ。」

その言葉の後、香里が呟いた。

香里「夏も、もう終わるのね・・・。」


 


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