23:歩き出す若人達
〜最終話〜



夜はすっかり更けていた。

乱入してきた二人は、もう騒いではいなかった。
泣きやんだ栞は、疲れて眠っていた。
北川も眠そうだったが、香里は眠ることを許さなかった。

 

北川「オニ。」

香里「いいところで乱入してきたあなた達はアクマよ。」

北川「俺が眠れば、そのまま続きを出来るのに。」

祐一「冗談じゃない、いつ起きるか解らないのに、あんなことできるか。」

北川「ほう、、、そんなことをしていたのか。」

祐一「そんな事って・・・どんなことだ。」

北川「お前の大好きなことだ。」

祐一「俺の大好きなこと?・・・緑の自然ごっこか?」

香里「何それ。」

祐一「知らないか?こうやって両手を広げてだな」

北川「お前、怪しい宗教にとりつかれてないか?」

祐一「怪しい部活には入ってるけどな。そうそう、部活部活。」

 

半ばごまかすように、俺は資料をざぁっと机に広げた。
香里は何も言わなかった。

俺は、逃げられたと思った。北川の追求からも、香里への返答からも。
そのときは、そう思った。


俺が作業を始めた(フリではあるが)ので、香里もそれに倣った。

する事がない北川は、戻っていった。

 

北川「佐祐理さんには俺が話つけておくよ。」

 

そう言い残して、去っていった。

 

 

フリでも始めてしまった以上、作業は続けた。眠気が来るまでそれを続けた。

祐一「おやすみ。」

 

眠気に抵抗するつもりはなかった。香里も、特に何も言わなかった。

朝。 窓から差し込む赤外線と紫外線に焼かれて、俺は目が覚めた。
別に誰かの陰謀ではない。古来よりこの星を直撃してきた、ごく当たり前の自然現象だ。
それに陰謀と言ったって、今この部屋で俺に何かしようというのは、香里か栞ぐらいだろう。
・・・この二人なら何かやりそうだな。

 

祐一「怖い姉妹だ。」

「わ、ひどいですー」

 

いつの間に起きていたのか、栞が俺を非難する目で見ていた。

 

祐一「いや、今のは単なる独り言だ。気にしないでくれ。」

「独り言でも酷いです。ね、ね、おねえちゃん、祐一さんがひどい事言ってるよ。」

 

そういって、まだ寝ている香里をゆさゆさと起こそうとする。

 

香里「ううん?あいざわくんはひどいでしょ、なにもわかってないんでしょ・・・・」

祐一「お、起こすんじゃない!眠れる獅子が・・・・」

「朝は起きるものです。」

 

そう言って栞は、すぅーっと息を吸い込んだ。

 

「ふーっ」

香里「わ?わ?わ?なに?なに?なに?」

 

耳の中に息を吹き込まれて、香里は慌てたように飛び起きた。
普段冷静な香里がそんな様子を見せて、俺はつい笑ってしまった。

 

香里「・・・相沢祐一君」

祐一「ん?」

香里「あなたがやったの?」

祐一「ち、違う。違うぞ。やったのは栞だ。」

香里「そう・・・・」

 

安心したような残念なような、そんな表情をしてから栞のほうに視線をずらす。

 

香里「栞」

「おねえさまおはようございます。」

香里「どういうつもりかしら?」

「え、えっとね、祐一さんがひどい事言うから、お姉ちゃん起こそうと思ってね、それで・・・」

香里「そう・・・・」

 

矛先は、再び俺に向いた。

 

香里「なんて言ったの?」

祐一「言わなきゃだめですか?」

香里「だめ。」

祐一「・・・・・・『怖い姉妹』。」

香里「・・・あら、そう。」

 

香里は、栞に話しかける。

 

香里「あたし達怖い姉妹なんだって、栞。」

「祐一さん、私たちのこと怖いんだね。」

香里「だったら、あたし達がこれから怖いことしても、それは覚悟の上という事よね。」

「そういうことだね。」

 

その後の十数分間、俺はほとんど抵抗できなかった。
必死の思いで、ホワイトボードに「18禁、ちゃんと守ろう少年法」と書くのが精一杯だった。
それすらも、栞の手で消されてしまった。

 

「こんな事書く人嫌いです。」

 

栞はそう言って笑いながら、楽しそうにクリーナーを滑らせた。


その日、昼が過ぎるまで、そんな事ばかりしていた。

 

香里「栞、疲れた?」

「うん、少し。」

 

言葉どうりの表情を見せながら、栞はふうと息をついた。
俺も、少し疲れた。
考えてみれば、朝食も取らずに暴れ回っていたのだ。
疲れない方がおかしい。

 

祐一「じゃあ、今日は帰るか?俺も腹が減った。」

香里「そうね。」

「・・・・・・。」

祐一「ん、栞?」

「ううん、何でもないです。」

香里「・・・疲れてるのね。」

「うん、たぶん、そう。」

 

そう笑った後、栞が言った。

 

「また、こうして会ってくれますか?3人で」

祐一「ああ。」

香里「そうね。」

 

ふと、今の言葉は誰に向かって発せられたのだろう、と思った。
たぶん、俺だ。でも、何故か香里に向かっての言葉でもある気がした。
香里のほうを見ると、同じ事を考えていたのか、俺と目があった。
そして、それが何故か栞に対して気まずかった。

 


 

家に帰ると、当然の事ながら名雪がいた。
佐祐理さんは、帰ったららしい。北川が説得してくれたのだろう。
否それ以前に、丸一日他人の家に居座るほど、佐祐理さんは暇でも非常識でもないだろう。

 

名雪「ね、祐一。香里とは、どうなったの?」

祐一「どうなったとはどういうことだ?」

名雪「どういう事って言われても・・・ほら、仲良くなったの?」

祐一「香里とは別に仲悪くなかったぞ。」

名雪「え、う、うん、そうなんだろうけど」

祐一「そういうことだ。」

名雪「えっと、じゃあ、栞ちゃんとはどうなるの?」

祐一「どうもならない。栞は栞であって、それ以上でもそれ以下でもない。」

名雪「そんなの当たり前だよ。そうじゃなくて、栞ちゃんとの関係を訊いてるんだよ。」

祐一「俺達にやましいところは一つもない。」

 

あまりにも名雪が、俺と香里栞がどうなったとうるさいので、俺はつい、「香里も栞もCIAのスパイだった、友人を売るのは身を切られる思いだったが、心を鬼にして新濃に引き渡した。」と言ってやった。

名雪は新濃のことは良く知らなかったので、俺の言葉をそのまま信じ込んでしまった。

俺は今度は、自分の言葉を取り消すための釈明に追われることになった。

 

後日この事を北川に話したら、北川は「お前は、つくづく残酷なやつだな」

と苦笑した。


翌日。

 

教室の中で欠伸をしている俺の隣に、香里が陣取った。

 

香里「相沢君、昨日の続き。」

祐一「昨日の続き?なんだそのえっちな響きは」

香里「えっちじゃないわよ。それに、何かえっちなこと、した?」

祐一「したような、してないような・・・」

香里「してないわよ。」

 

きっぱり断言された。

 

祐一「じゃあ、昨日の事って、何だ?」

香里「・・・そうね、正確には、一昨日のこと、になるわね・・・」

 

もう3日目なのね、そう呟いてから、俺に告げる。

 

香里「返事、聞きたいんだけど。」

祐一「返事・・・・・・・」

 

しまったすっかり忘れていた。俺が忘れていたから、てっきり香里も忘れているものだと思っていた。
いや、忘れていたんだから、そんな風に考えるはずがない。

 

香里「忘れてた?」

祐一「・・・ああ。」

香里「でも、今思い出したでしょ。聞きたいな。」

祐一「あ、うん・・・・・」

 

目の前には、いつの間にいたのか、佐祐理さんが頬杖をしている。
わくわくしているような目で、こっちをじっと見ている。

 

祐一「あのさ佐祐理さん、・・・・邪魔してると思わない?」

佐祐理「ふえ・・・祐一さん、佐祐理のこと邪魔ですか・・・?」

祐一「いや、そういうことじゃなくて・・・・なあ香里」

香里「あたしは、別にかまわないわよ。」

祐一「・・・・・・・。」

 

大した度胸だ。

 

祐一「いやしかし、俺は恥ずかしいし・・・その、なんていうか・・・」

佐祐理「でも佐祐理がこの場を離れても、他のみんなが聞いてますよ?」

 

・・・・確かにそうだ。

 

祐一「香里、場所変えよう。」

香里「いいわよ。」

佐祐理「ふえ、行っちゃうんですかあ?じゃあ、あとでちゃんと結果きかせてくださいねーっ。」

人のいない場所は、決して少なくなかった。
適度な明るさが欲しいな、そう言って俺は、時間稼ぎをした。

逃げようとしているわけではない。
ただ、俺の中に引っかかるもの、未消化なものがまだあった。
それを整理したかった。

 

歩いているうちに、外に出てしまった。
芝生広場に、人はいなかった。

俺の当ては、少しはずれた。

 

香里「この季節だと、もう日差しも強くないわね。」

そう言って、一歩先に出た香里が振り返った。
促しているようだった。

俺の中で、まだ整理はついていなかった。

どうせせっつかれるなら、いっそ香里にぶちまけてみるか。

そう思って、口を開いた。

 

祐一「・・・なあ。一つ、訊きたいことがあるんだ。」

香里「本当に一つ?」

祐一「・・・・ああ、一つだ。」

香里「なあに?」

祐一「栞のことだ。香里、本当にこれで、いいのか?」

香里「いいって。どういうこと?」

祐一「栞、『また3人で会おう』って言ったんだぜ。」

香里「言ったわ。」

祐一「あれってさ、どういうことなのかな?『二人きりでは会わないで』、俺にはそんな風に聞こえた。」

香里「間違いではないわね。」

香里は、空を見上げた。俺には後ろ姿しか見えない。

 

香里「昨日あたし、訊いたのよ。その事、栞に。」

祐一「そうか。」

香里「すぐには答えなかったわ。」

香里「ねえ。さっきの、3人で会おうって、どういうこと?」
「・・・・・・。」
香里「あたしへの牽制?」
「ち、ちがうの。そうじゃないの・・・・」
香里「いいのよ、別に怒ってるわけじゃないから。」
「でも、そうじゃないの。」
香里「じゃあ、なぁに?」
「・・・・・。」
香里「栞。3人で会っても、今日みたいに仲のいい友達として遊ぶだけよ。あなたもあたしも、何も進展しないわよ。」
「・・・・うん。」
香里「あたしは、毎日でも祐一・・・相沢君と会うけどね。」
「そう、だよね・・・」
香里「もちろん、遠慮するつもりはないわよ。」

「・・・・そういう約束だもんね。。」
香里「でも栞が会いたいって言えば・・・相沢君、会ってくれると思うわよ。」

「それは・・・そういうのは、やっぱりだめです。」

香里「栞?」
「うん、無理だったんだね、やっぱり。無理だったね。」
香里「何が?」
「私と祐一さんの距離は、もう離れちゃってるもんね。」
香里「栞・・・でもそれは、今から取り戻せることだし、物理的な意味で言ってるなら、それは意志の力でどうにかなるものよ?」
「お姉ちゃん。お姉ちゃんは、わたしの味方なの?」
香里「え?!そ、それは・・・・」

「祐一さんのことに関しては、味方な筈無いよね。」
香里「・・・そうね。味方になれないわ。」
「でも私、お姉ちゃんにはずっと、もっと、味方でいて欲しかったな・・・・」
香里「・・・・。」
「だから、祐一さんとは等距離でいたかった。そういうことなの。えへっ」
香里「栞・・・・」
「今日みたいな日がずっと続けばいいと思ってたんだけど。無理だったね、ごめんね、変な事言って。」
 
 

祐一「・・・・それで?」

香里「うん?」

祐一「香里は、なんて答えたんだ。」

香里「変な事じゃないわ、って。」

祐一「うん。」

香里「でも、あたしには叶えられないわ、そう言ったわ。」

祐一「・・・叶えられないのか?」

香里「ええ。」

 

香里は、決心するようにきっぱりと言った。

 

香里「相沢君。もしそれを叶えたとして、あなたそれで幸せ?」

祐一「え?」

香里「あなただけじゃない、あたしや、栞も、幸せかしら?」

祐一「それは・・・・」

香里「仲良く半分こなんて聞こえはいいけど、世の中割り切れるものばかりじゃないのよ。」

祐一「・・・・・。」

香里「恋愛って中途半端じゃだめだと思うの。半分こなんてやってたら、いずれなし崩しに壊れて、3人とも惨めになるだけよ。」

祐一「・・・・そう、かもな・・・」

香里「だからあたし、栞に言ったわ。『ここまで来てしまった以上、もうあたしは遠慮は出来ない。栞も同じ、あたしへの遠慮はもう要らないわ』って。」

祐一「それで、・・・香里と栞の仲が壊れることはないのか?」

香里「無いわ。」

 

香里の口調は自信に満ちていた。

 

香里「あたし達、二人だけの姉妹なのよ。遠慮して壊れる関係は、とっくに過ぎたわ。」

 

その言葉は、一度壊れたものを立て直したものが見せる自信なのだろうか。

 

香里「相沢君は兄弟はいないらしいけど、名雪とは兄妹みたいなものよね。」

祐一「ああ、そうだな。」

香里「名雪が相沢君のこと好きだってのは、解ってるでしょう。」

祐一「ああ、はっきり思い知ったのは最近だけどな。」

香里「それで相沢君は、名雪に遠慮するかしら?」

祐一「しないな。」

香里「そういうこと。」

香里の言うことは、どこか強引ではある。
だが、俺はその強い意志が理解できた。それは、俺の心が既に、香里と同じものになっているから。
今は、もうそう確信が持てた。

風が吹いた。
都合良く。
いや、そう思えただけだ。風はさっきから吹いていた。
一思考、一呼吸。
俺は口を開いた。

 

祐一「香里、返事だけどさ。」

香里「うん」

祐一「俺、     
 
 
 



名雪「今日は食堂空いてるね。」

北川「この時期は人口が減るらしいからな。」

名雪「どうして?」

北川「まあ、バイトとか旅行とか家に籠もって瞑想とかどっかに失踪とか、いろいろあるらしい。」

名雪「そうなんだ。」

 

時間帯が遅めと言うこともあり、二人は難なく席に着けた。
水瀬が話題をふってくる。

 

名雪「ねえ北川君。祐一と香里、・・・つきあいだしたってほんとかな。」

北川「ああ、ほんとだぞ。」

名雪「やっぱりそうなんだ。」

北川「誰に聞いたんだ?相沢からじゃ無さそうだが。」

名雪「佐祐理さんから、でも祐一からも聞いたよ。」

北川「だったらわざわざ俺に確認することもないだろう。」

名雪「でも祐一、時々変な事言ってごまかすから。」

北川「変なこと?」

名雪「『俺は実はスコロマホンダ星の王子で、逃げてきた美坂公爵一家を連れ戻すため仕方なく』とか。」

北川「アホかあいつは」

名雪「でも祐一、きっとわたしのためにそんなこと言ってるんだよ。わたしのこと傷つけたくないから」

北川「オレは、単にアホな事言いたかっただけな気がするけどな・・・・」

そう言って俺は、思い直したように顔を上げた。

北川「ま、いいか。水瀬の中の相沢像を崩しちゃいけないもんな」

名雪「・・・いいの?ほんとに、崩さない方が良いと思ってるの?」

北川「ん?」

名雪「わたしの中に祐一がいる限り、北川君に希望はないんだよ?」

北川「・・・・・・。」

 

ふっふっと、俺は笑い出した。

 

名雪「何がおかしいの?」

北川「いや・・・。そういう、優しくて残酷なとこ、相沢とそっくりだなと思って。やっぱり血筋かな。」

名雪「・・・北川君、ひどい事言ってる?」

北川「ああ。」

名雪「わっ、酷いよ北川君。」

北川「だからひどいことだって言ってるのに。」

 

う〜、と水瀬は唸った。

 

北川「・・・・ま、8年か、9年か?そんなに長いこと心の中にあったもの、すぐに吐き出せるわけないだろ?だからオレは待つよ、そうだな、同じくらい、9年ぐらいなら。」

名雪「・・・9年は、長いよ。」

北川「だろうな。9年前って言ったら、小学生だしな。」

名雪「でも、お母さんが言ってたよ。十代の1年は、二十歳過ぎてからの3年分だって。」

北川「そうか。すると9年といっても、二年さっ引いて残り7年は今までの2,3年程度、合わせて4,5年か。」

名雪「北川君が待ってた時間と同じだね。」

北川「いや、オレのはもう1年短い。ええと、3年半か。」

名雪「それで、いいよ。」

北川「え?」

名雪「あと3年半だから、大学出るまで。待つのは、それまででいいよ。」

北川「水瀬・・・・」

名雪「そのころには、祐一のこと、思い出になってるかもしれない。」

北川「3年半で、いいのか?」

名雪「それでがんばってみるよ。」

北川「がんばって好きになるって、なんかおかしい気がするけどなあ・・・・」

名雪「うん。だから、ダメでも恨まないでね。」

北川「参ったなあ、3年半拘束されたあげくダメで恨みっこ無しだったら、オレ惨めだぜ。」

名雪「だから、そうならないようがんばるんだよ。ふぁいと、だよ」


 

俺と香里の仲は、一応秘密だった。
俺達の周囲には、だいぶ前からそうなるのではないかという暗黙の期待形成はあった。
だが、一応は秘密であった。

それが崩れたのは、やつの所為だった。

 

新濃「いやいや、私だけだ、私だけがこの事を予見しておったのだよ。」

祐一「帰れ。」

新濃「まあまあそういわずに。今日は、二人の仲を祝して、この私が特別に祝詞をあげに来てやったのだぞ。」

祐一「の、のりと?!」

香里「それって式の時にあげるものじゃない?」

新濃「細かいことは気にするな。要は、二人のことを祝福する気持ち、心の問題なのだ。」

祐一「正直言ってな、あんたに祝福されても嬉しくない。」

新濃「またそんなひねくれたことを。いいんだよ、君たちがひねくれていることは、重々承知しているから。」

香里「・・・・・・・・。」

新濃「さあ、ここにいるみんなにも聴いてもらおう、私が夕べ徹夜で作詞作曲した祝福レクイエムだ。」

香里「さっき祝詞って・・・・」

祐一「行こうぜ香里、こいつは、般若真経を祝詞と言いかねないやつだ。」

香里「ええ・・・・」

新濃「おい、待ちたまえ、わたしのこの世界的センスをもって創った祝いの調べを・・・・」

祐一「・・・佐祐理さん、たびたびで済まないけど・・・・」

佐祐理「はいはい、押さえておきますねーっ。」

新濃「ああっ、何をする!二人が、二人が行ってしまうぞ」

佐祐理「あははーっ。お二人の門出を祝ってーっ。」

祐一「だから佐祐理さん、それ違うってのに」

香里「いいじゃない、いきましょ。」

 

香里は俺の手を引いて、教室から出ていこうとした。
が、俺のベルトが誰かに掴まれ、つんのめってしまう。
振り返ると、俺の後ろから糸が伸びている。

 

祐一「・・・舞、なんだこれは。」

「・・・糸と空き缶。」

祐一「それは見れば解る。何でそんなものを。」

「・・・式の時、車の後ろにつける。」

祐一「俺は車じゃない。」

「・・・だからベルトにつけた。」

祐一「おまえなあ・・・・」

そういって俺は、舞の目が濡れているのに気づいた。

 

祐一「・・・舞、泣いてるのか?」

「・・・泣いてない。」

祐一「泣くような場面じゃないだろ。」

「・・・だから泣いてない。」

 

そういって舞は、あっちを向いてしまった。
俺は、何となく居たたまれなくなった。

祐一「・・・ごめんな、舞。」
 

ぼかっ

 

祐一「痛て・・・」

「・・・謝ったりしたら、許さないから。」

そういって、舞は行ってしまった。
俺は、そのまま香里と教室を出た。
後ろで空き缶ががらがらと音を立てた。
恥ずかしかった。

 

 

 

 

 

栞と出会ったのは、校舎の出入り口だった。
俺はそのとき、後ろで音を立てる空き缶にいい加減うんざりし、手で糸を切ろうとしていた。

 

香里「学校はどうしたの?」

 

先に話しかけたのは香里だった。

 

「午前中病院に行ってたから、そのついでに来たの。」

香里「午後はサボリなのね?悪い子ねえ」

「サボリじゃないもん。」

 

俺は姉妹の会話を聞きながら、必死に糸を切ろうとしていた。

 

「祐一さん。」

 

栞が話を振ってきた。

 

祐一「なんだ?」

「約束。また3人で会おうって。もう果たされちゃいましたね。」

祐一「そうだな。」

「改めて、もう一度約束してくれますか?」

祐一「・・・もう一度?」
 
俺は、糸を切る手を止めた。

 

「はい。そして、今度会うときは、別れ話です。」

祐一「別れ話・・・?」

「祐一さんとお姉ちゃんの。」

香里「あ、あなたねえ・・・・」

祐一「・・・冗談か?」

「いいえ。本気です。」

祐一「そうか・・・。」
 

俺の手は、糸の周りでごちゃごちゃと動いていた。
 

祐一「だったら、そんな約束は出来ない。」

香里「祐一・・・・」

「そう言うと思ってました。」

 

そう言いながらも、少し寂しそうな表情をして、栞は言った。

 

「でも祐一さん、私、祐一さんあきらめませんからね。」

祐一「え・・・・」

「お姉ちゃんに隙があったら、直ぐに奪い取りますから。」

香里「そう。それは油断できないわね。」

祐一「奪・・・」

「見込みはありますよね?一度乗り換えてますし。」

祐一「は、はははは・・・」

「それじゃ祐一さん、お姉ちゃん。今日は帰ります。」

 

笑顔のまま軽くお辞儀をして、栞は帰っていった。
俺の手には、糸が絡まっていた。

香里「相沢君、念のために言っとくけど、あたし浮気は許さないわよ?」

祐一「わかってるよ。」

俺は、絡まってしまった糸を必死にほぐそうとしていた。

香里「何してるの?」

祐一「見ての通りだ、糸が絡まっちゃってさ。」

香里「そう。」

祐一「なあ、取ってくれないか?」

香里「一生あたしについてくるって約束したら、取ってあげてもいいわよ?」

祐一「そんな未来のことなんか約束できない。」

香里「じゃあ取ってあげない。」
 

香里は、俺を置いていこうとしている。

 

祐一「わ、わかったよ。約束する、だから取ってくれ。」

香里「約束よ。」

 

確認するように、香里はそう言った。
 

未来のことは誰にも解らない。
一年前には思いもつかなかった現実が目の前にある。
これが、一年後にはまた、思いも寄らないものになっているかもしれない。
五年、十年、五十年。
一生の事なんて、語れば鬼が笑うだろう。
そんな曖昧な未来に対する約束。
それを信じることが出来るというのは、案外凄いことかもしれない。
俺も香里も、本当にそれを信じ込んでいるかどうか、疑わしい。
でもそれが出来る間柄になったら、俺達はもっと幸せになれるのかな。

そんなことを考えながら、じっと手を差し出していた。

 

香里「ちょっと、これ、ほどけないわよ。」

 

俺の手に絡まった糸は、ますます複雑になっていた。

 

香里「・・・仕方ないわね。何か、切るものがないと。」

祐一「それがあったら苦労はしてない。」

香里「生協でハサミ売ってるはずよ。」

祐一「買ってきてくれ。」

香里「一緒に行くの。」

祐一「こ、この状態でか?」

香里「そう。」

 

そう言って香里は、俺の手を取って歩き出した。
連行されているかのような俺の姿に、道行く人が皆振り返った。

 

香里と俺と、。 

恥ずかしかった。
 
 
 
 
 
 

完。