大学構内東方
サークル棟
郷土研究部第二部室。
薄暗い部屋の中で、コンピュータの操作音が断片的に響く。
光を発するモニターを前に、美坂香里は黙々と作業を進めていた。
傍らに置かれた一枚の紙。舞から渡されたものである。
部屋に篭もりきりで四時間半。香里は疲労を感じ始めていた。
香里「一区切りついたら、休みたいのよね・・・」
その一区切りが、なかなかつかなかった。
獲得されてきた情報は、次々にモニターに表示されていく。
それを、人脳と電脳の共同作業で処理していかなければならない。
香里「やっぱり、全部終わらなきゃ、区切りもつかないって事かしら。」
俺は部室に来ていた。
見あたらない私物があって、それを探しに来ただけだ。
部活をしようとか、部員に用があるとかではない。
部員・・・
香里が来ているだろうか。
今顔を合わせるのは、何となく気まずかった。
出来れば、居て欲しくなかった。
祐一「誰もいないか・・・・」
部屋に誰の姿も認められなかったので、俺はそう呟いた。
最も、新濃が隠れて寝ている可能性はあるが。
手っ取り早く用を済まそうと、俺は部屋の中を捜し始めた。
ドアが開く。
日本地図の貼られた、第二部室に通じるドア。
そうか、第二部室に誰か居るということは、考えなかったな・・・
そんなことを思いながら、目線を移動させた。
疲れ切った、しかしどことなく満足そうな表情の香里がそこにいた。
祐一「香里か・・・」
香里「相沢君・・・」
それだけいうと、香里はそのまま部屋を出ていこうとした。
俺も、そのまま何も言わなかった。
だが、ふと思った。
いいのだろうか、これで。
このまま香里と気まずいまま、ろくに言葉も交わさないまま。
これが続けば、いづれ二人は他人の関係にまでなってしまうのではないか。
そう思った俺は、咄嗟に呼び止めた。
祐一「香里!」
香里「なあに?」
その応答は、いつもの香里と同じものだった。
いや、単にそう感じただけだが。
祐一「・・・なあ。このままで、いいのか?香里、俺達は、・・・」
何が言いたいのか、自分でも分からなかった。
香里「・・・良いわけないでしょ。」
香里は、そのまんまの返答を返してくれた。
祐一「じゃあ、なにを、どうするんだよ。佐祐理さんとか。なあ」
香里「それは、・・・後で考えるわ。」
振り返っていた顔を元に戻し、言った。
香里「・・・あなたにも、いづれわかるわ。」
翌日。
美坂香里は、故郷の町に戻っていた。
だがその足は、家族の住む家に向かっているわけではなかった。
駅から中心街を抜け、一つの大きな建物の前に立つ。
香里「ここに来るのも久しぶりね・・・」
そう言って香里は、市民病院の建物の中に入っていった。
ロビーに掲げられている医師の出勤プレートを確認し、まっすぐ医務局へと向かった。
香里「矢島先生はいらっしゃいますか?」
医務局の入り口から、中へ声をかける。
矢島「私だが。誰かね、君は。」
香里「美坂ともうします。あなたに、ちょっとお話があるのですが。」
矢島「忙しいから後にしてくれ。」
香里「そうですか。では、ここで待たせていただきます。」
そう言って香里は、部屋の中にある椅子に腰掛けてしまった。
矢島「・・・・・・。」
診察時間が終わっていたため、医局には他の医師も大勢居た。
皆、この闖入者を訝しげな目で見ている。
矢島との関係を訝しがるような会話をする者も居た。
矢島「・・・わかった。外で話をしよう。」
香里「ありがとうございます。」
時間が時間のため、客は二人だけ。
香里と、矢島医師のみであった。
香里「ここ、もうすぐ閉店なんじゃないですか?」
矢島「ああ、そうだな。」
香里「別のところにした方が良くありませんか?」
矢島「そんな長くかかる話なのかね?」
香里「あなたの対応次第です。」
矢島「・・・何かね。手っ取り早く言ってくれ。」
香里「そうですね。では・・・」
一呼吸置いた後、香里は続けた。
香里「十年前・・・あなたは倉田一弥という少年の主治医をなさってましたね。」
矢島の頬が、少しだけ動いた。
矢島「・・・ああ。そんな子も居たかな。よく覚えていないが。」
香里「本当に、よく覚えていませんか?」
矢島「・・・受け持ちの患者は常に何十人もいるんだ。十年前の患者のことなど、はっきり覚えているはずがないだろう。」
香里「そうですか?あなたが受け持って、そのまま亡くなってしまった患者なのに・・・」
矢島「・・・何が言いたいんだ・・・・」
ふと、気づいたように矢島が言う。
矢島「君・・・もしかして、あの子のお姉さんか?」
香里「いいえ。そのお姉さんとは、・・・・知り合いですが。」
矢島「ふうん・・・。すると何かね、君はそのお姉さんからその子の事を聞いて、私のところに来たと。」
香里「はい。」
矢島「何のために。」
香里「一弥君の、死因について、確かめたいことがあるんです。」
矢島「死因?倉田一弥の死因は、神経性衰弱による自律神経失調、代謝機能不全。まあ、いわゆる衰弱死という奴だな。」
香里「よく覚えていないと言った割には、はっきりおっしゃいますね。」
矢島「・・・今思い出したんだ」
香里「そうですか。では、これを見ていただければ、当時のことをもっとはっきり思い出していただけるかしら。」
そう言うと香里は、鞄から書類を取りだした。
香里「これ、当時のカルテをプリントアウトしたものなんですけど・・・」
矢島「ま、待て!」
矢島が香里の言葉を遮る。
矢島「こんなもの・・・どうやって入手したんだ?!」
香里「それは、さすがに言えません。ある筋から、とでも申し上げておきましょうか。」
矢島「・・・これは、犯罪だぞ。」
香里「あたしを追求する前に、まず質問の方に答えていただけますか?」
矢島「何だね。」
香里「ここ見ていただけますか?ここなんですけどね、一弥君が亡くなる直前の数日間に処方されていた薬。トリプタノール。抗鬱剤ですよね?」
矢島「ああ。」
香里「5歳の子供に、こんな薬を処方するものなんですか?」
矢島「一弥君の場合、あれは、・・・ある種の自閉症だった。抗鬱剤の処方は、間違いじゃない。」
香里「副作用が大きいんじゃないですか?」
矢島「5歳なら、乳児と違ってある程度体が出来ている。そのカルテにある分なら・・・・・問題ない処方量だ。」
香里「そうですか。医学は専門外なので、その辺はよくわかりませんが・・・」
香里「でしたら。処方に問題がないなら、どうしてカルテを改竄したんですか?」
矢島「なんだと・・・・?!」
香里「こちらも、見ていただけますか?」
香里は、もう一つ紙を取り出した。
香里「ここの病院の医療情報システムの、ファイルアクセスリストです。」
矢島「アクセスリスト?」
香里「ここのシステムは、OS内部で全てのファイルのアクセス並びに変更を、逐一記録するようになっているんですよ。表面上からはわからないかもしれませんが。」
矢島「そんな風になっていたのか。」
香里「ご存じなかったようですね。」
矢島「・・・私はあくまで医者だからな。担当とは言え、コンピュータは専門外だ。」
香里「そうですか。では、このカルテの書き換えが記録に残っているのも、ご存じなかったわけですね。」
矢島「・・・・ああ。」
香里「では、その記録を見ていただきましょう。ここです。一弥君が亡くなった、丁度翌日ですね。correct。訂正されてるんです。」
矢島「・・・誰がそんなことを。」
香里「訂正者のアカウント名は、mim。たぶん、医療システム部長ですね。訂正権限を持ってる人って限られてるでしょうし。」
矢島「・・・・・・・。」
香里「この病院の医療システム部長は・・・・・矢島先生、あなたですね?」
矢島「・・・・・ああ、そうだ。」
香里「何故修正したんです?しかも、一弥君が死んだすぐ翌日に。」
矢島「・・・単なる字句修正だ。」
香里「上に報告もせずに?カルテの修正って、勝手にできるものなんですか?」
矢島「忘れていたんだ。そりゃあ、確かにミスだ。だが、些細なものだ。」
香里「本当に、ミスですか?」
矢島「何が言いたいんだ。」
香里「言いましょうか?」
矢島「・・・・何だと思っているんだ。言ってみろ。」
香里「じゃあ言いましょう。あなたは、一弥君に大量の抗鬱剤の投与を指示した。故意に。目的は、一弥君の殺害。」
矢島「・・・・・。」
香里「抗鬱剤の副作用が強すぎて、一弥君は死んだ。検死は主治医のあなたが行い、単なる衰弱死とされた。だが、カルテを見れば、大量の薬物投与に疑問を抱く人間が当然出る。あなたは事実が明るみに出ないように、自身の権限を使ってカルテの書き換えを行った。」
矢島「・・・・・・。」
香里「とてつもないスキャンダルですね。」
矢島「・・・・証拠は・・・こんなものが、証拠になるのか。」
矢島は、テーブルの上の書類を叩いた。
香里「もちろん、これだけで検察は動いてくれないでしょうし、第一出せないわ。でも、三流紙のネタとしては丁度良いんじゃないかしら?」
矢島「・・・・・・・・・・。」
香里「記事が出れば、あなたの地位はかなり危うくなるでしょうね・・・。」
矢島「・・・何が目的だ。理由もなくこんな事を調べた理由じゃないだろう。何か、要求があるのか。金か?」
香里「真実。」
矢島「何?」
香里「あなたがこれをやった理由。それが知りたいの。」
矢島「理由・・・」
香里「自分の意志でやったわけではないんでしょう?誰に言われたの。」
矢島「君は・・・どこまで知っているんだ。」
香里「何も知らないわ。だからこそ、こうしてあなたに訊いているのよ。」
矢島「何も知らないだと?そんなことがあるか、ここまで事実を述べておきながら。」
香里「事実なのね。」
矢島「ち、違う。これは・・・」
香里「今ここでしらを切っても、あまり意味はないわよ。あなたが人を殺してまで守ろうとした秘密を、あたしがばらすだけだから。」
矢島「それは・・・」
香里「ま、あくまで憶測だけど。ここのシステムの導入のさいに、あなたは賄賂を受け取った。それをかぎつけた人物が、あなたを脅迫して一弥君を死なせるように仕向けた。・・・違うかしら?」
矢島「そこまで知っていて・・・。」
香里「もちろん、脅迫してきた人物の目星もついてるのだけど・・・出来れば、あなたの口からその名前を言ってくれないかしら?」
矢島「・・・・・・・。」
香里「黙っていても、あなた一人が馬鹿を見るだけよ?」
観念したように、矢島は事の経緯を語り始めた。
いつの間にか香里が置いたMDレコーダが、静かに真実を記録し続けていた。
香里「・・・ありがとう。」
矢島が話し終えると、香里はレコーダーを止めて、MDを取り出した。
矢島「それは・・・どうするんだ?」
香里「さあ。でも少なくとも、あなたの良いようには使わないわね。」
そう言って香里は、席を立った。
香里「お時間とらせて申し訳ありませんでした。これで失礼します。」
矢島「・・・・わたしは、これからどうなるんだ?」
立ち去ろうとする香里の背に、矢島が呟いた。
香里「・・・あなたのしたことは許し難いことだけど・・・」
矢島「・・・・・・・。」
香里「あなたをどうするかを決める権利は、あたしにはないの。」
そういい残して、香里は去った。
自治会2「これ、どうぞ。お願いします。」
祐一「ん、連中、今度は何やってるんだ?」
佐祐理「ああ、ビラ配りですね。選挙が近いですから・・・」
祐一「ああ。何だ、あいつらが支持してる候補でもいるのか。そいつには絶対入れないぞ。」
佐祐理「祐一さん、選挙権無いですよ?」
祐一「そうだったな。ちっ」
それでも俺は、奴らが支持する候補というのがどんな奴なのか、興味があった。
祐一「おい、一枚くれ。」
自治会2「はい、ありがとう。・・・・て、え。」
祐一「じゃあな。」
舞「・・・祐一、図々しい。」
祐一「配ってるんだから別に良いだろ。さて、どんな奴だ?」
そういってビラを見えるようにする。
佐祐理「・・・・安井さん。」
祐一「え、知り合い?」
佐祐理「ええ・・・・ちょっと。」
舞「・・・手帳に出てた人?」
佐祐理「え、うん、そうだよ。あれ、手帳見たの?」
祐一「あ、ごめん。佐祐理さん停止してたときに、うちに連絡とろうとして・・ごめん。」
佐祐理「あははっ、別に良いんですよ・・」
舞「・・・秘書の人?」
佐祐理「うん・・・辞めちゃったんだけどね・・・」
祐一「・・・ふうん。そして対立政党から立候補か。いい根性してるな。」
佐祐理「・・・・・・・。」
自治会2「あ、美坂さん。」
その言葉に振り向くと、香里が連中のところにいた。
自治会2「どうです?美坂さんも手伝ってみませんか?」
香里「まだ告示日前よ。」
自治会2「いや、そうなんだけどね。」
香里「それに、あたしまだ18だから。」
自治会2「そうか。それは残念。」
香里「じゃ、せいぜいがんばってね。」
そういって、香里は立ち去ってゆく。
そのとき、香里の顔に薄笑いが浮かんだように見えた。
立候補者は、白民党から出た安井を含めて三人。
事実上、民新党推薦の無所属候補との一騎打ちであったが、固い組織力と倉田前議員の汚職の風評により、安井の当選は堅いと言われていた。
そして数日後。
安井の選挙事務所には、電話がひっきりなしにかかってきていた。
それは、激励の電話などではなかった。
運動員1「ええ、ですからその件は今確認中のところでして・・・え、いえ、もちろんそ
んな事実はありません・・・」
電話口から浴びせられる罵倒。
運動員2「ひっ・・・い、いえ。あれは、紛れもなく只の中傷ですから・・・・」
広がる噂。
運動員3「先生、例の中傷ホームページありました!」
安井「どれだ。」
運動員3「ここです。ほら、関係者の証言が全文に、音声ファイルまでアップされています。」
安井「・・・・これか・・・・・・くそ、あの医者か・・・裏切りやがって」
運動員3「先生?」
安井「あ、いや・・・こいつの発信者はわかるか?すぐに警察に連絡取れ。選挙妨害に名誉毀損だ。」
運動員3「警察に連絡は出来ますが・・・発信者を特定するのは、無理だと思いますよ?」
記者「すみません、北山新聞のものですが。安井さんが、医師を脅迫して子供を殺させたという噂が流れていますね。その件について・・・」
安井「じ、事実無根だ!」
記者「あ、これですね、例のホームページ。いやあ、ここまで具体的な内容だと、全くの事実無根といわれても、はいそうですかというわけには行かないんですけどねえ?」
安井「・・・・・・・。」
さらに数日後。
投票日。
安井、落選。
佐祐理「そうですね・・・・」
祐一「すごい噂回ったらしいからなあ、ネットで。」
西谷「あ、私それ見ました。すごかったですよ。転載自由とか言って。なんか、あちこちに同じものが作ってありましたよ。」
祐一「ふうん・・・・ひでえことする奴がいるなあ・・・・」
香里「とりあえず、これであたしの仕事は終わったのかしら・・・・」
一人机に突っ伏しながら、香里は呟いた。
香里「・・・そうね、終わったわ。後は、佐祐理さんの問題ね。」
そう言って香里は、ポケットから一枚の紙を取りだした。
香里「佐祐理さんに、どうやって伝えようかしら・・・・」