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空より出でたる果実

 1000年の昔。最後の翼人神奈備命は、人々の持つ怨念や呪いを一心に受け、空の向こうに消えていった。その姿は地上の誰をもが見ることは出来なかった。故に彼女の存在は人々から、ごく一部の者を除いて、その記憶の中から消え去っていった。
 彼女の存在は、そのごく一部の力を受け継ぎし者が代々語り継いでいった伝承と、時折、ごくたまに地上に舞い降りる彼女の“羽”のみがわずかにそれを明かすのみであった。
 
 この話は、そんな地上に降り立った羽のうちの1枚がもたらした奇跡にまつわる物語である。
 
 
 300年の昔。大和の国と紀伊の国の国境に、柑と柚葉という二人の姉妹がいた。柑が妹で、柚葉が姉である。二人の父はすでに亡く、また母は行方知れずであった。
 柑は気が強くおてんばで、また不器用で大食らいでもあった。しかし気高く芯が強く、時として聡明である、そんな一面も持っていた。故に柑は、村の者達からは「姫」と呼ばれていた。柚葉は柑とは年が離れており、柑の母親代わりとして柑を育て、そして柑をたいそう可愛がっていた。大変に賢く忍耐強い女性であったが、それと同じものを柑にも求めるため、時として柑はそれに刃向かうこともあった。
 
 ある日、その村に九年という浪人がやってきた。剣の腕はたいそう立つが、しかし既に太平の世に入っていたその時代にはそれは却って歓迎されず、職を得ることも出来ずに国から国へと渡り歩いていたのだった。
 九年は、旅の途中という事もあり、長くその村に留まるつもりはなかった。だが、村の周囲に山賊が現れた、討伐してほしいとの懇願を受け、一宿一飯の恩にと、それを引き受けた。いざ出かけようとする九年の元に、柚葉が走り寄ってきて言った。
「柑の姿が見えませぬ。山賊のいる山におるやも知れませぬ、一緒に探してはくれませぬか。」
 九年は、山賊のいる山にわざわざ向かうとは何とも気のふれた娘よと思ったが、しかし放っておく訳にもいかず、柚葉を伴って山に入っていった。一時ほど歩くと、山中に響くかのような大声で柑が叫んでいるのが聞こえた。
「我が名は柑。村々を荒らし回るお主ら悪党どもを成敗しにきた。いざ尋常に勝負せい!」
 九年と柚葉の二人は顔を見合わせ、そして声のした方へと走っていった。そこには、木の枝の上で仁王立ちになった柑の姿があった。
「む。お主が山賊か! 成敗してくれる。」
「いや、ちょっと待て。」
 九年が止める間もなく、柑は懐から袋を取り出し、それを九年に向かって投げつけた。中から煙のようなものが飛び出し、それは九年の目に入って、とても染みた。
「くっ、目が・・・」
「灰に橙の汁を混ぜておる、さぞかし染みることであろう。どうじゃ、我の力を思い知ったか、山賊!」
「柑、なんということを!」
 とっさに裾で目を覆っていた柚葉が、九年の前に進み出て樹上の柑を叱りつけた。
「柚葉、なぜそこに・・・。さてはお主、柚葉を人質に・・・! 何という卑怯なっ。」
「馬鹿、勘違いするな。俺は」
「この方は九年様です。昨日も村でお会いしたではありませんか!」
「む。そうであったか?」
「はあ・・・。いいから降りてこい。そしてお前は柚葉と村に・・・。」
 そこで九年は、はっと気づいた。物陰に隠れて、自分たちの周りを何者かが取り囲みつつあることに。
「柚葉、じっとしてろ。柑はしばらくそのまま木の上に」
「とりゃぁーっ!」
 九年が言い終わる前に、柑は木の上から九年めがけて飛び降りていた。九年は避ける間もなく、そのまま柑とぶつかって、そして地面に倒れ込んだ。
「馬鹿、なぜ飛び降りてくるんだ!」
「お主が降りよと申すから!」
「いいから早くどけ!」
 二人が口論している間に、彼らを取り囲んでいた何者か――それは山賊達であった――はじりじりと三人に詰め寄り、そして姿を見せるまでになっていた。
「完全に先手をとられてしまったか・・・。」
 柑を押しのけた九年はゆっくりと立ち上がり、そして剣を抜いた。だが、形成は明らかに不利であった。ここは誰か一人と刺し違えても突破口を開き、二人を逃がすしかないか。九年がそう覚悟を決めたとき。
 空から、一枚の羽がゆっくりと舞い降りてきた。
「なんじゃ、あれは・・・。」
 柑は手を伸ばし、その羽を掴み取った。その瞬間、羽から眩い光が発せられ、辺り一面を覆っていった。羽に視線が釘付けになっていた者達は、その強い光に目がくらみ、何も見ることが出来なくなってしまった。ただ一人、山賊達の隙をうかがって羽を見ていなかった九年を除いて。
「――ッ!」
 その一瞬の好機を捉え、九年は全力で山賊の一人に向かっていった。剣で山賊を薙ぎ倒し、すぐにその隣にも斬りかかる。三人を取り囲んでいた山賊は、あっという間に殲滅させられてしまった。
「九年様!」
「やったのかっ?!」
「いや、まだだ。だがとどめをさしている暇はない、逃げるぞ!」
 今は二人を無事逃がすことが先決とばかりに、九年は柚葉と柑の手を取り、一目散に山を下りていった。
 
 
 山賊は取り逃がしたものの、柑を無事に連れ帰ったことで九年は村人達に大層感謝された。そして、まだ山賊が襲ってくるかもしれない、その時のために村に留まってくれと頼まれた。九年としても、山賊を取り逃がした手前上それを断ることも出来ず、暫く村に滞在することにした。
 そんなある日、九年が外を出歩いていると、木の上に柑が座っているのが見えた。
「柑、またそんなところに登って。俺の上に落っこちてこられるのは、もうごめんだぞ。」
「と、突然何を言うかっ。あれは、落っこちたくてわざと落ちたわけではないぞ。」
「まあ確かにそんなことを望んでする奴がいるとも思えないが。しかしそう慌てられると、却って疑いをかけたくもなってくるな。」
「無礼者! そもそもあれは、お主が落ちてこいといったのが悪いのではないかっ!」
「俺は降りてこいと言ったのであって落ちてこいとは言ってないし、それにその後待てと言いかけたんだぞ。」
「屁理屈を申すでないっ!」
「そんなに偏ったことを言っているつもりはないんだがな・・・。」
 そういいながら九年は頭をかいた。そしてふと、柑の手に羽が握られているのが目にとまった。それはあのとき、山賊の一団から九年達を守った羽であった。その時以来ずっと、柑はその羽を肌身離さず持ち歩いていたのであった。
「柑、その羽は・・・。」
「うむ。あのときの羽だ。村の者達は、なにやら禍々しい気を感じると言って気味悪がるがの。だが、もしあのときこの羽が落ちてこなかったら、今頃我は死んでいたやもしれぬ。そう思うと、なんだか手放せなくてな・・・。」
「・・・。」
「それにな。この羽にはこう、他人でない何かを感じるようにも思うのだ。そう、まるで、ずっと昔に我の一部であったかのような、ずっと空に預けていた我自身の、その一部が戻ってきたかのような。そんな風に思えてならないのだ・・・。」
 そう言って柑は、目を閉じ空を見上げた。そのずっと昔の記憶に思いをはせているような、そんな表情であった。九年もまた、柑の瞼の先にある空、そこに何か自分に繋がるものがあるような気がして、ずっと同じものを見つめ続けていた。そして、柑はふと気がついたように目を見開き、九年に言った。
「そう言えば。我が助けられたのは、この羽だけではない。九年殿にも助けられたのだ。しかし我は、まだ其方に礼を言っておらなんだ。」
「ああ。まあそれは、なんだ。気にするな。」
「そうはいかぬ。そうじゃ、この木。この木が一番に実をつけたときに、その実を其方にやろう。」
「ほう。」
「この木はな。我が生まれたのと同じその年に、芽を吹いた。だから我と同い年じゃ。だが一向に実をつけぬ。柚子や酸橘の仲間らしいのだが、一体いつになったら実をつけるのかと、皆にあきれられておるのだ。」
「なかなか大人になれないのかもしれないな。」
「そうやもしれぬ。だが我は、そろそろ実をつけるのではないかと思っておる。だからその時は是非、九年殿に食してもらいたいと思っておるのだ。」
「わかった。ならその時は遠慮なくいただこう。」
「そして、その頃には・・・。我も、今よりはもう少し大人になっておるやもしれぬ・・・。」
「ん?」
「いや、なんでもない。なんでもないのだ、今のは。それよりそろそろ家に戻らねば、柚葉が怒り出す。おおそうだ、九年殿、今日は我とともに家まで来てくだされ。」
 そう言って柑は木から降り、九年の手を取って走り出した。家では柚葉が出迎えてくれた。幸せなときだった。
 
 
 だが、それも長くは続かなかった。柑は重い病にかかってしまった。村には医者もおらず、薬もなかった。ただ、きっと薬も医者も、その時の柑には効かなかったであろう。そして柑の容態は、やがて歩けなくなるほどにまでなってしまった。村人達は、柑の持っている羽の呪いなのでは、と囁きあった。日に日に衰えていく柑を、柚葉と、そして九年は必死で看護し続けた。
 だが。やがて死期がくると悟ったのか、柑は二人にこう言った。
「我をあの木のところまで連れて行ってほしい。最後の頼みだ。」
 最後の、というところに二人は抵抗したが、しかし柑の願いをむげにするわけにもゆかず、九年が柑をおぶって、あの未だ実をつけない木の元へとやってきた。柑は、九年の背中の上で言った。
「柚葉。九年殿。我はもうすぐ、あの世に逝く。九年殿といられなくなるのが心残りだ。九年殿との約束、果たせなかったのが心残りだ。だから、九年殿。我が死んだら、この羽とともに我の亡骸をこの木の根本に埋めてくれ。そして柚葉。もしこの木の実がなったら、その時はその実を、九年殿とともに食べてくれ。初めてのみを九年殿に食べさせるという、約束なのだ。」
「柑、わかりました。確かに九年殿に食べさせます。」
「ううん。二人で食べてほしいのだ。そう、我の代わりに、二人で・・・。」
 そのまま柑は、何も言わなくなってしまった。二人は柑を家に連れ帰り、手を尽くしたが、柑はそのまま亡くなってしまった。
 
 二人は柑の亡骸を、遺言通りその木の根本に埋めた。
 
 その年の冬。その木はようやく、幾ばくかの実をつけた。柑橘に似た、青い実であった。初めてのその実を、九年と柚葉は二人で分かち合って食べた。残った幾つかを村人に分けようとしたが、祟りを恐れる村人達は誰もそれを受け取ろうとはしなかった。
 
 九年は村から立ち去ることなく、そのまま柚葉の元に留まった。柑の残した木は、毎年実をつけ続けていた。
 
 
 何年か経って、村を流行り病が襲った。多くの村人達が倒れ、それを介護する者達もまた同じように倒れていった。ただ、九年と柚葉だけは、病に倒れることもなく、ずっと村人達の介護に奔走し続けていた。
「あの二人だけは病に倒れることがない。一体どうしたことか。」
 村人達は、そう囁きあった。二人にもなかなか思い当たるところがなかったが、ふと、彼らが村人達と違うところに一つ気づいた。それは、柚葉の残したあの木の実を食べ続けていたことだった。
「きっとこれが理由です。あなた達も是非、食べてみてください。」
 そう言って二人は、村人達に青い柑橘の実を配って歩いた。やがて、村全体から病が引いていった。彼らにはまるで、奇跡のようであった。
「これはきっと、邪を祓う実に違いない。」
 そんなことから、その青い実は邪祓(じゃばら)と呼ばれるようになった。九年と柚葉は、何も言わなかった。ただ、二人は信じていた。その奇跡はきっと、柑がその分身である羽とともに起こした奇跡なのだと。
 
 
 
 現在でもこの“じゃばら”は、和歌山県北山村の特産品として、全国にその名を知られている。
2005年11月5日執筆
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