星がきれい。
輝いているという表現は、あまり似合わない。強く、淡く。人の目にようやく見える光の点の数々。
それでも、わたしは満足だ。むしろ、この方がいいとすら言える。
強く眩しく輝く光。あまり好きではない光。
小さく儚くそれでも消えない火。それは、かなりぐっとくるものがある。
奈津観「線香花火でも、したいな・・・」
結論はそれだった。
佳乃「うふふ。じゃあ、やる?」
縁に右手と母の頭。
窓から体をひねらせて、母が覗き込んでくる。
体の小さな母に、その体勢はきついだろう。
わたしは、迷った。降りるべきか、それとも母を屋根に引き上げるか。
佳乃「早く、引き上げて欲しいなあ」
引き上げて欲しいらしい。母がそう言うなら、そうしよう。
叔母が怒ったら、母のせいにしよう。そう思いながら、母の軽い体を両腕で引っ張った。
母の左手には、数本の線香花火が握られていた。
奈津観「・・・屋根の上で花火するつもり?」
佳乃「コンクリートだから、大丈夫だよお」
そういう問題ではない気がする。
佳乃「お姉ちゃんが怒ったら、奈津観のせいにするから。」
冗談じゃない。
佳乃「冗談だよお」
手を後ろに組みながら、母は言った。
そして片方の手、右の方がわたしに伸びる。
線香花火一本。
佳乃「やるよね?」
やりたかったのは事実だし、差し出されたものをむげに断るのもなんだか。
反抗期は切り札なのだ。
そう思って、線香花火を受け取った。
奈津観「しけってるなんてこと、無いよね?」
佳乃「お父さんがぺろぺろ舐めてなきゃね。」
それはないだろう。父はまだ旅行中のはずだ。
確かに、知らない間に帰ってきているということもある。よくある。
だがそれにしても、帰ってきていきなり花火を舐めるなんてまねはしないだろう。
いくらあの父でも。
母の手が、垂れ下がった火薬の糸に伸びる。手の内にはライター。
炎がちりちりと燃え上り、やがて玉になる。
それを確認したかのように、母が口を開いた。
佳乃「線香花火じゃないけどね・・お父さん、花火食べちゃったことあるんだよ。」
食べたことあるのか。
しまった前言撤回。口に出してないけど。
佳乃「最初はね、ケーキについてるローソク。これ食えないのか、って訊いたの。で、お姉ちゃんが馬鹿にして『これが食えるんだったら花火だって食えるなキミは』って笑ったら、ムキになって・・・」
しかも自分の意志か。
佳乃「お母さんね。そのときはもう、コンクリートミキサーみたいに部屋中転げ回って大笑いしたけど」
するだろう
佳乃「でも。知らなかったの。往人君ね・・・誕生日のケーキ食べるのって、それが初めてだったんだって。」
奈津観「・・・・・。」
佳乃「ケーキだって食べたことなんかほとんど無いのに、ましてや、ローソクだの飾りだのつけるなんて、・・・知らなかったって。」
奈津観「そうだったんだ。」
聞いたことがある。父は昔、かなり貧しかったと、人並みの生活が送れなかったと。
貧しさのあまり6歳の時に南の島に渡り、米軍実験施設で被験体として過ごしていたと。その後身柄が叔母の手に渡り、世話を受けていたが、その恩を忘れて母に手を出し、頭に来たけど仕方なくおいてやることにしたと。
叔母の弁である。
そのことを父に聞いてみたら、ただ一言
ゆ「信じるなよ。」
と返ってきただけだった。
佳乃「お母さん、後で悪かったなって気づいてね。お父さんに謝ったんだけど。」
母の話はまだ終わっちゃいなかった。
佳乃「お父さん、ね。『知らなかったんだ。仕方ないだろう。知らぬが仏だ。』って。」
奈津観「・・・かなり用法が間違ってる気がする。」
佳乃「うん、たぶんね・・・きっと、自分の事言ったんだと思うよ。ローソク食べても仕方ないじゃないか、って。」
でも用法は間違ってる。それに食べたのは花火
佳乃「結局、私はちゃんと謝れなかったの。・・・でもね。そのとき思ったの。」
奈津観「何を」
佳乃「往人君ってかわいいな、って。」
奈津観「あ」
真っ赤にうねりをあげていた球が、音もなく闇に消えた。
奈津観「落ちちゃった。」
佳乃「・・・落ちちゃったね。」
何も見えはしない、届かない世界にいってしまった火の玉を、二人で見つめていた。
奈津観「なんの話だった?」
佳乃「うーんっと」
母は腕組みをして、数秒考え込んだ。
なんの話だったのかわからないのではなく、どう話をすり替えようか考え込んでいる、のだと思う。
佳乃「そうだ。あのね奈津観。お母さんはあのとき謝れなかったけど・・・・でも、今はもう、そのことを後悔してないの。」
奈津観「開き直ったの?」
佳乃「そういう・・言い方もあるけど」
母は苦笑した。
佳乃「それよりも、決めたのよ。往人君がこれから落ち込んだりいじめられたりしたら、私が守っていこう、って。こんなに大きくて強そうな往人君でも、意外なところで弱かったりするんだ、ってわかっちゃったから。」
奈津観「・・・・。」
佳乃「その晩、お姉ちゃんのいない間に、往人君にその事言ったの。そしたら往人君も、『わかった。俺もおまえの弱い部分を守る。二人とも弱かったら・・二人で一緒に守ろう』って。」
奈津観「・・・結局、ノロケ話なわけね。」
佳乃「え〜? そうじゃないよお」
言ってる本人には自覚がないものだ。
わたしは半ばむかつき状態で残りの線香花火を全部ひったくった。
ついでにライターもひったくった。
佳乃「あ。」
残り全てに火をつけると、ばちばちと明るい火が連鎖する。その光が、あまりよく見えていなかった母の表情を照らし出した。
母は笑っていた。へらへらとしたものではなく。優しい。わたしに、ほほえみかけて。
思わず、目をそらしてしまった。嫌じゃない。でも、優しさは快楽だから、時として苦痛にもなる。遠野先生がそう言ってた。苦痛というほどじゃないけど。
目の中に映るのは、大きくふくれた火の玉が振れて離れて落ちてゆく様子だった。
明るさが消える。日の光に慣れた目は、星明かりだけでは物足りないといっている。
母の姿も、かたちしかわからない。そのかたちが、ゆっくりと立ち上がる様をつくってゆく。
佳乃「さて。戻るか。」
促すわけではなく、ただ、独り言として、母はそう言った。
奈津観「あ・・・お母さん、一人で降りれる?」
佳乃「だいじょうぶだよお。降りるのはすとんと降りるだけで、上るのとは違うんだから。」
ま、そりゃそうだけど・・・・
佳乃「奈津観も、あんまり長いこといないようにね。もう夏じゃないんだから。」
奈津観「うん・・・」
母が屋根の縁に座る。たぶん、足を投げ出している。
わたしは、一つだけ訊きたくなった。
奈津観「おかあさん?」
佳乃「なあに?」
振り向く。少し慣れた目で見る、いつもの母の顔。
奈津観「あの・・・ここに来たの、・・さっきのことが、言いたかったから?」
佳乃「うーん・・・さあ、どうかな。そうとも違うとも。」
奈津観「うん、わかった。」
なにがわかったのかはっきりしないけど、でも納得はできた。
佳乃「それじゃ、おやすみなさい。えいっ」
母の姿が消える。下に飛び降りた。
そして物音。
どすんっ
佳乃「・・いったぁい・・・・・」
聖「な、なにごとだ?!」
叔母がすっ飛んできたらしい。わたしは縁まで移動して、母の様子を見る。
お尻を押さえた母が、しゃがみ込んでいた。
聖「どうしたのだ佳乃!」
佳乃「え?あ、あはは、ちょっと屋根から降りるのに失敗しちゃった。」
聖「何? なんで屋根なんぞに・・・」
そう言って屋根を見上げる叔母。わたしと目が合う。
見つめ合う二人。叔母は無表情で、わたしは作り笑いだけど。
叔母の表情がゆるむ。
聖「そういうことか・・・」
叔母は母に手を貸し、立ち上がらせた。
聖「・・治療しないとな。さ、来なさい。」
佳乃「え? でも、もうどこも痛くないよお」
聖「なんと!どこも痛くないとは!いかん、これは重傷だ、すぐに手術しないと」
佳乃「それってもう手遅れってことだよお」
なにやら言い合っている。おもしろかったが、二人が建物の中に入るとよく聞こえなくなってしまった。
そして静寂。
わたしは再び、仰向けになった。目の中に再び、星空が映る。
ううん。ずっとあったんだ。さっき花火をしているときも、この星空はずっとここにあった。
たとえ何をしていようとも。今も未来も昔も。何があったとしても。
奈津観「・・・・うんっ。」
本当はまだよくわからなかった。でも、なんだか納得出来た気分だった。
A.A.A.−FS.5終わり