カイユウは、外を見ていた。
授業中。
美凪「・・・物が燃えると言うことは、酸素と結びつくこと、つまり酸化です。・・・人生に燃えると言うことはすばらしいこと、つまり賛歌です。」
20人余りの生徒を前に、遠野先生は何か言っている。今は理科の時間だったろうか、それとも道徳の時間だったか。
どっちにしてもつまらないので、外を眺めるカイユウを眺めていた。
奈津観「・・・・・・。」
何を見ているのだろう。澄んだ瞳の指す向き、それはよくわかる。空。今日の空は日本晴れ、澄んだ青空。雲すらない。ただ、空を見ているのだろうか。私の目には何の移りゆく物も感じられないあの空に、何かを見ているのだろうか。彼のあの瞳は、私らでは感じられない何かを捉えることが可能なのだろうか。そういえば。あの空の向こうは、真空の宇宙。漆黒と空白が支配する、無の世界。それなのに、あの空の色は青。何かが覆っているわけではない、覆っているのは透明なはずの空気、それなのに、無を包み隠すかのように、あの空は果てしなく青い。
カイユウの瞳。美しく黒く澄んだ瞳、その奥には包み隠された青が、もしかして存在するのだろうか。
海雄「何も無いよ。」
こちらに振り向きもせず、私に話しかけているかさえもわからない、そんな印象を持たせながらカイユウは言った。
ほんとうだろうか。
私は、その言葉が素直に信じられなかった。
というより、今の言葉は私への返答だったのだろうか。ただの独り言だった気もする。独り言で何も無いという奴。カイユウって、実は結構アブナイ奴なのかもしれない。
美凪「霧島さん。」
奈津観「は、はいっ?」
突然のご指名。
美凪「・・・・今言ったこと、聞いてました?」
奈津観「え、えっとあの。水素は酸素と結合して水になるから、火を付けたら危なくてどっかーん・・・」
美凪「・・・聞いてなかったんですね・・・」
奈津観「あ、は、はい・・・ごめんなさい」
美凪「・・・折角のとっておきのギャグだったのに・・・・がっくし」
奈津観「ねえ、ちょっと」
放課。
海雄「・・・なに?」
振り向くカイユウ。その瞳の向きは私。これで、返ってくる言葉は全部私向けのはずだ。
奈津観「何で私だけ注意されるのよ。」
修飾語が足りないが、私が遠野先生にがっくしされた件だ。
海雄「僕のことは、目に入らなかったんだよ。」
奈津観「って言ったって。あなた私より前の席だし、首の角度なんか、あんたの方が曲がってたじゃないの、ほらこんな、こんな。」
カイユウが外を向いていた、その時の首の角度を私は再現して見せた。
海雄「よくあることだよ。」
カイユウはいともあっさり言い放った。私の演技には何の評価も下さず。いや、へたに評価されても困るのだけども。
弓佳「なにしてんの、。」
後ろから弓佳の声。おそらくは、私の妙な首の動きに引き寄せられてきたのだろう。
奈津観「あ、弓佳。きいてよ、こんな理不尽な話って無いでしょ。いやさっきの件なんだけどね」
弓佳「あれはあんたが悪い。どんなにつまんなくても、大人の話は聞いておくのが賢い生き方ってもんよ。」
奈津観「そうなんだけどね。でも、私だけがっくしされて、カイユウは何も言われてないんだよ。カイユウなんか、こんな、こんなに首曲げて外見てたんだよ。」
弓佳「カイユウ・・・・・・?」
弓佳は怪訝そうな顔をする。何がそんなに怪しいというのだ。
弓佳「カイユウって、・・・だれ?」
奈津観「誰って、こいつこいつ。ほら、こんな純情そうな目してさ、やることやってんだから」
私はカイユウを指さしていった。人を指さしてはイケナイ、そんなルールはこの際無視だ。
弓佳「・・・・誰、それ。・・・・・・・あれ?」
弓佳は考え込んでしまった。というより、今のリアクションは気になる。
それについて訊こうと思い、ふと、うしろにいるカイユウのことが引っかかった。
海雄「・・・・・・。」
まるでそれを察したかのようにカイユウは立ち上がり、黙って教室の出口に向かっていった。
私は何となく、その行動が寂しく思え、つい声を出してしまっていた。
奈津観「あ・・・・」
カイユウは振り返り、ほんの少し、私にしか気づかない程度に笑って、そして去っていった。
その後ろ姿に未練はあったが、私は弓佳の方を優先することにした。
奈津観「ねえ、弓佳。今のリアクション・・・」
弓佳「ん・・なんでもない。私の勘違い。今のよそのクラスでしょ」
奈津観「え?そうじゃなくてね」
言いかけて私はやめた。なぜだか、言わない方がいいような気がした。何故そんな気がしたのかわからない。言わない方がいいはずがない、そう思い直したときには、弓佳が既に口を開いていた。
弓佳「あれ、でも他んクラスって事は、上級生?そんな風に見えなかったけど・・・と言うか、何でここにいたのかな。」
奈津観「同級生だよ。」
弓佳「あ、そうか。そうだよねー。なんか変だと思った。」
弓佳は勝手に納得してしまった。弓佳って、こんな頭の悪い女だったろうか?それとも、まだ中で混乱したまんまなんだろうか。
海雄という同級生を思い出せなかった自分のように。
弓佳「同級生かー。」
その言葉にふと私は、カイユウがこのまま戻ってこないのではという思いに捕らわれた。
根拠はない。ただ、そんな気がした。
奈津観「・・・・・。」
探しに行こう。そう決心して、私は駆け出した。そして戸口で、戻ってきたカイユウとすれ違った。
奈津観「わ、ととととととと」
足を踏ん張り、滑る廊下で必死の思いをしながら停止した。
海雄「・・・・・。」
カイユウは、私を見ている。何を考えているのかはわからないが、予想はつく。「なにやってんだ」と。
それを振り払うように、逆質問
奈津観「黙って出ていっちゃうから、心配したぞ。戻ってこないかと思った。」
海雄「何でそう思うの。」
奈津観「どこいってたの?」
海雄「・・・。」
奈津観「ね?」
海雄「・・・い、いいだろ、どこだって。」
奈津観「うん、いいけどね。教えてくれてもいいんじゃない?」
海雄「・・・・。」
奈津観「教えられないようなところ?」
海雄「・・・・・。」
奈津観「えっちなとこ?」
海雄「ち、違う・・・」
奈津観「じゃあなに。」
海雄「・・ぼ、」
カイユウは、顔を真っ赤にして言い放った。
海雄「僕だって、トイレくらい行くさっ!」
そしてそのまま席に戻っていった。
戸口に残された私。大した距離はないけれど。
奈津観「・・・あいつ、はずかしがってたのか・・・」
今日はちょっと失敗だった。そんな思いを引きづりながら、家に戻った。
家、というか診療所の前では、叔母が腕組みして空を見上げている。茜色、朱でも橙でもない、そんな色が拡がる空を見上げていた。
聖「今日はいい天気だったからな・・・」
そんなことを言っている。どういうわけか下駄履きだ。あれで髪がもっと短くてはちまきでもしていたら、完全にオヤジだ。
聖「お、奈津実、戻ったのか。」
奈津観「うん、今戻った。だからただ今。」
聖「ああ。帰ってきたならお帰りだ。」
奈津観「今日の客入りはどうだった?」
聖「ああ、さっぱりだ。天気がいいと、みんな行楽に出かけてしまうからな。」
行楽に行くような人間が医者にかかりに来るはずもないし、そもそも今日は平日のはずだが、とにかく今日も暇だったらしい。
聖「奈津実はどうだった。そうだ、大町君はどうだった?」
奈津観「おおまち・・・・?ダレソレ」
聖「奈津実は忘れっぽいな・・・この間うちに来た、同級生の大町海雄君だ。」
奈津観「あ、ああ・・・」
あいつ、大町って苗字だったんだ。
奈津観「元気だよ、一応・・・」
聖「そうか。その一応というのが気になるが。」
奈津観「うん・・・」
聖「・・・・ん?」
なかなか言い出せなかった。何と言っていいのか解らなかった。カイユウ自身は大丈夫だけど、私と弓佳が大丈夫じゃない、そんな風に言いそうになってやめた。
聖「ん、いいにくいこともあるだろう。まあ、後でゆっくり聞こう。とりあえず中に入れ。」
奈津観「うん・・・」
うながされるまま、中に入った。空はもう、灰色になりだしていた。
A.A.A.−FS.3終わり