見上げれば空。見渡せば海。海の彼方には水平線。空。地平線の代わりに、山の稜線。そして再び、空。
なるほど、吸い込まれそうだ。否、吸い込まれたくなるというべきなのか。
私は堤防に腰を下ろし、色の違う青を見ていた。300日前。その日からのことを、ずっと考えていた。
「いつ、帰ってくるのかな・・・」
 
 



A.A.A.

トリ・プル・エイ 

 
 

  一年に満たない、季節を三つさかのぼった頃
 

「ただぁい、まっ!」

 扉を開けると、そこには珍しくお客さんの姿があった。

「おや、奈津観ちゃん。おかえり。」

 顔見知りのおばあさんだった。

奈津観「涼んでるの?ゆっくりしてってね。」

「もう秋なのに、涼むも何も無かろうに。私は診察を待ってるんだよ。」

奈津観「ふうん・・・」

 普段滅多に患者の来ないこの診療所。待ち時間0が売り物なくらいだ。

奈津観「めずらしいこともあるもんだ。」

「おかげでわたしゃ、ちょっと退屈だよ。」

奈津観「わかった。相手してほしいんだね。でもここは部屋の中だから、チャンバラごっことか激しいものは禁止だよ」

「診察待ってるのに、そんなことしたがるかね」
 
 

 それからしばらくして、おばあさんは中に呼ばれた。おばあさんを呼びに来た母は、その時私の姿に気づいて、一言お帰りと言った。
 前の人は出てこなかった。時間がかかるからと後回しにでもされて、処置室にでもいるのだろう。私はそのまま待合室にいた。霧島診療所に待ち時間を作った男。それがどんな奴なのか、観てみたかった。いや、男と決まったわけじゃないけど。

 10分ほどして、おばあさんは出てきた。たぶん、今またさっきの患者が診察室にいるはずだ。覗こうか。いやでも、そんなことをしたら怒られる。お母さんと、おばさんと、二人がかりで。
 

奈津観「退屈・・」
 

 もう、15分もたつだろうか。子供の15分は長い。私は、新聞を眺めながら、ヒマをもてあそんでいた。一面記事は毎日新聞社が日本資本に買い戻されるというニュースだった。まだよくわからなかった。

 そして、中から人が出てきた。ここで馬が出てきたら驚きだ。
出てきたのは、母、よりはおばさんの年齢に近い女性。そして男の子。見覚えがあるような気がした。

 目が合った。

  その時私は、不思議な感覚に襲われた。彼の瞳は澄んでいた。吸い込まれそう。例えて言うなら、そんな気分だった。彼にそんな意図があるのか、それは解らなかった。いや、たぶん無かっただろう。どんな意志を持っているのか、否、意志があるのか、それすらもわからない。それでも綺麗な瞳だった。
 そして私は、自分が彼をじっと見つめているという事実に気づいた。そういうものが気になり出す年齢だった。

奈津観「やだ、もう・・」
 

 その言葉を口にして、もっと恥ずかしくなった。目を逸らしていたので、彼がその言葉をどう思ったかは解らなかった。目を逸らしていなくても、解らなかったかもしれない。

「お手数かけました。」

「いや。これが私の仕事だからな。不謹慎な言い方だが、来てもらって感謝しているくらいだ。」

佳乃「良くなったから言える台詞だよね。手の施しようがなかったら、大ヒンシュクだよ。」

「もちろん、そんな場合には言うつもりはない。」
 

 叔母と母が、何か言い合っている。よくわからないが、とにかくあの男の子は良くなったという事らしい。

佳乃「奈津観。海雄君のことは、心配ないからね。」
 

 カイユウ。その名前にも、聞き覚えがあった。と言うより、今の母の口振りでは、私とこの男の子=カイユウは、知り合いらしい。

奈津観「うーむむむ」

 考え込む私に、女性=たぶんカイユウ母が語りかけた。

海雄母「あなたが、奈津観さんですか・・?」

奈津観「は、はい。霧島奈津観、12さいですっ」

 言わなくてもいいのに、年齢まで言ってしまう。

海雄母「これからも海雄のこと、よろしくお願いしますね。」

「うむ、そうだな。今度倒れたら、奈津観が担いでここまで連れてくるといい。」

佳乃「お姉ちゃん、また倒れるだなんて、エンギでもない」

「あり得なくは無いぞ。今日はもう大丈夫だが、また同じ事は十分起こり得るのだからな。気をつけねば。」

 そう言って叔母は、私の方を向いた。

「奈津観。しっかり見張っておくんだぞ。」

 見張っておけと言われても。いつどこで見張ればいいのやら。
私は、彼=カイユウの顔をじっと見た。確かに見覚えはあるのだが、その理由がなんなのやら

「こらこら。今見張っても意味は無いだろう。」

佳乃「学校とか。明日から、ね。」

学校。

奈津観「おお、そうか。」

 そう言えば彼は、同級生だった。英語でくらすめいと。何故忘れていたんだろう。

「全く、奈津観はよくわからないな。」

 苦笑しながら叔母が言った。何か勘違いをしているようだった。でも敢えて訂正はしなかった。同級生のことを忘れていただなんて、あまり格好いいものではない。

 そして、カイユウとその母は出ていった。

奈津観「そういえば、あいつ何も言わなかったな。」

 大したことではなかったが、何となく気になった。
 

「ふむ。今日はこれで終わりか。」

 3人しかいない待合室を見渡して、叔母は呟いた。

佳乃「まだわかんないよぉ。閉店時間まであと1時間あるからね。」

「経験上、この時間に患者が来た試しはない。」

佳乃「っでもありえなくはないよ。」

「医者は経験則の商売なのだ。そういう事だから、今日はもう上がりだ。」
 

 そういって、扉に掲げてある札をひっくり返してしまった。これでもし患者が来ても、よほどの急患でない限り中に入ってくることはない。こういう事をするから、この時間の患者はいないのではないだろうか。

「秋の夜は釣瓶落としだからな。」

 そんな意味不明なことを言いながら、奥に引っ込んでしまった。

佳乃「さて。徃人君が帰ってくる前に、夕飯の支度を済ませてしまうか。」

奈津観「え!今日お母さんが料理するの・・?」

佳乃「そうだよお。何か不都合ある?」

奈津観「私、お腹イタイ・・・」

佳乃「お姉ちゃんに診て貰えば、すぐ治るからねえ」
 

 治っても、また痛くなるだろう。そう思ったが、言い出せなかった。ごめんカイユウ。早速だけど、明日学校行けないかもしんない・・・
 
 
 

A.A.A.−FS.1終わり

(2001年1月27日執筆)
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